大越健介の報ステ後記

外交の失敗
2022年04月03日

 かなり前のことになるが、NHKのキャスター時代、同局の朝の情報番組に「ゲスト出演」したことがある。テーマは「夫婦関係」とのことで、何を聞かれるのかヒヤヒヤしていたが、番組の最後で突然、MCからムチャぶりが来た。

 「政治記者歴の長い大越さん、夫婦関係を政治に例えると何ですか?」
 一瞬うろたえたが、平然として答えた。
 「外交ですね」
 「そのココロは?」
 「決して武力行使に至ることのないように、話し合いで解決します」。

 今となってしまっては平和なやり取りだと思う。外交が破綻し、実際に武力行使に発展してしまった今となっては。
 ロシアによるウクライナの侵略戦争が始まって1か月以上が経つ。首都キーウ(キエフ)陥落とゼレンスキー政権の転覆を狙ったプーチン大統領の戦略は挫折しつつあると言われる。その代わり、ロシア国境に近い東部ドンバス地方(ルハンシク、ドネツク両州)などに兵力を集中させて占領地域を拡大し、クリミア半島などとともに自国の支配下に置きたい意向とされる。ドネツク州の西端、港湾都市のマリウポリなどに残酷極まりない攻撃を繰り返しているのはそのためだ。

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 一体、この戦争は何だったのだと思う。
 2014年、ロシアはクリミア半島を、武力を背景にして一方的に併合した。決して許されることではないが、少なくともおびただしい血が流れることはなかった。
 その直後にドンバス地方に対しても侵略を開始し、ロシア系住民をあおってウクライナ本国と対立構図を作り出した。いま、ルハンシク人民共和国、ドネツク人民共和国と名乗っている(そしてロシアが勝手に独立を承認している)地域がそれである。

 ロシアの狙いが、結局クリミア半島とドンバス地方の併合にあるのであれば、もちろんそれは違法だとしても、皮肉な話だが、開戦の2月24日の時点で、半ば実現されていたことなのだ。
 ならば、この1か月以上の間、ウクライナ、ロシアの双方に数えきれないほどの死者を出し、町を破壊し、ウクライナの1000万人以上が国の内外へ避難せざるを得なくなったのは、いったい何のためだったのか。
 プーチン大統領は「ネオナチ(ゼレンスキー政権のことを言うそうだ)からウクライナ国民を解放したのだ」などと理屈をこねているが、荒唐無稽にもほどがある。

 「外交の失敗の罪は大きいのです」
 僕が長年取材でお世話になっている元外交官はつくづく言った。彼は「この戦争は回避できたのに、互いに甘く見ていた結果ですよ」と言いながら、こんな解説をしてくれた。
 ロシア、特にプーチン大統領にはNATO・北大西洋条約機構が東方に拡大することへの潜在的な恐怖と極度の警戒心があった。とりわけ「兄弟国」であるウクライナがNATOに傾斜することは許せないという気持ちがあった。
 そこに、ウクライナのゼレンスキー政権がこれまでの政権以上に「NATO」寄りの姿勢を示したことで、プーチン大統領はレッドラインを超えた。
 一方、NATO側には、そもそもウクライナまで加盟を認めようという考えはなかった。それはロシアを刺激しすぎて危険だからだ。そして、「まさかロシアの方だって、ウクライナがNATOに入るなんて本気で想定していないだろう」とタカをくくっていた。

 そこに齟齬があったというわけだ。ロシアにはウクライナのNATO加盟があり得ると本気で考えてしまった判断ミスがあり、NATO側にはロシアの危機感を甘く見てしまった迂闊さがあった。
 「例えば、アメリカのバイデン大統領なりがプーチン大統領に対し、『ウクライナのことは心配に及ばない』ときちんとサインを出していたとすれば、結果は違ったものになっていたのではないでしょうか」。元外交官はため息をついた。

 しかし、外交の出番はこれからとも言える。トルコが仲立ちとなって、ウクライナ、ロシア両国の停戦協議が続けられているのは、希望の糸である。われわれの方から見て、プーチン大統領の罪はあまりにも大きいが、彼に「振り上げたこぶしの下ろしどころ」を用意してやることもまた外交の知恵だ。いくら罪深い大統領とはいえ、乏しい情報の中で自国の大統領を信じている(信じざるを得ない)国民の感情も大切だ。そこは丁寧に扱っていく必要があり、そのためにも必要となるのは外交の力である。

 非難の応酬だけでは物事は解決しない。トルコが仲介に当たっているからと言って、一国だけでは力不足は否めない。超大国を自任するなら、アメリカもそろそろ外交力を本気で発揮してほしい。中国もあやふやな態度でなく、この際、ロシアを動かし、世界に尊敬される大国にステップアップしてはどうか。日本だって、その両国を動かす車輪のひとつにはなれるはずだ。

 夫婦喧嘩だって、話し合いが閉ざされれば別離しかなくなる。国際関係の場合、話し合いの道が閉ざされれば、失われるのは命である。
 きょうもウクライナでは砲撃の音が鳴っている。命が失われている。

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