大越健介の報ステ後記

戦時の言葉
2022年03月28日

 アメリカのバイデン大統領の言葉が波紋を呼んだ。
 ウクライナの戦火が止まない中での隣国・ポーランドへの訪問。1千人が集まったワルシャワ王宮での演説だった。プーチン大統領を独裁者と批判し、「この男が権力の座にとどまってはならない」と断じたのだ。
 
 僕は元来、単細胞な性質(たち)で、東京六大学野球のマウンドに立っていたころも、打たれるとカッと頭に血が上り、速くもないまっすぐ一点張りの単調なピッチングに陥り、連打を浴びるという悪癖があった。
それはともかく、単純な僕はこの発言に、何も考えることなく「そうだ、そうだ」と頷いた。この悲惨な侵略戦争を終わらせるには、主導したプーチン大統領が権力の座から去るのが一番だと思うからだ。

 しかし、アメリカ政府は火消しに追われた。どうやらこの発言は事前の演説原稿にはなかったらしい(だからこそ大統領の本音が表れている)が、例えばブリンケン国務長官は、「プーチン大統領にはいずれの国に対しても戦争を仕掛けたり、侵略する権利はないと述べただけだ」とややこしい釈明をした。フランスのマクロン大統領は「私ならそんな言葉は使わない」と冷ややかだ。

 キーワードは「体制転換」だ。バイデン大統領はこれまでも、プーチン大統領を「人殺し」、「悪党」、「戦争犯罪人」と言った強い言葉で批判してきた。プーチン大統領による侵略を、民主主義と専制主義の戦いと位置付けてきたバイデン大統領にとっては、いわば自然な流れで出てきたのが「この男が権力の座にとどまってはならない」という言葉だろう。
 しかし、これはすなわち、政権の転覆を狙った究極の内政干渉ととられかねない。だからこそアメリカ政府は火消しに必死だし、事実、ロシア側は「ロシアの大統領はロシア人が決める」、「こんな暴言を吐いた大統領はひとりもいない」と反発している。こうなってくると、さすがに単細胞な僕も、バイデン大統領の発言の危なっかしさが理解できる。

 つくづく、民主主義とは、とてもデリケートで、かつ厳格なものなのだと思う。プーチン大統領を言葉で批判することは(それがかなりキツイものでも)許されるが、プーチン氏を大統領としていただくロシアの主権を冒す発言は許されないということなのだ。民主主義国家の盟主を自認するアメリカの大統領だからこそ、その発言は一線を越えているということになる。
 この発言によって、プーチン大統領特有の「西側がわれわれを潰そうとしている」という主張に正当性を与えてしまう可能性がある。あるいは、自国の大統領はさすがに暴走気味ではないかと考え始めているロシア国民すら、反アメリカ感情に染めてしまう可能性もある。

 外交の言葉は大切だ。特に戦時においてはなおさらなのだ。
 いま、多くのアナリストたちが、ロシア軍の焦りを指摘する。首都キエフなど主要都市を電光石火のごとく陥落させるつもりが、ウクライナ軍や市民の祖国防衛にかける士気の高さの前に挫折しつつあると言われる。だが、その分、作戦はウクライナの南東部に集中し、港湾都市マリウポリなどの惨状は目を覆うばかりだ。ロシア軍の作戦が仮に全体としてうまくいっていないとしても、アメリカ大統領の不注意な発言が、さらなる悲劇を呼び込むとすれば、バイデン大統領のそれは「失言」どころでは済まされなくなる。

 しかし。
 単細胞で直情径行の傾向がある僕は、バイデン大統領の「予定になかった」言葉を否定できない。究極の内政干渉を行っているのは誰か。それはプーチン大統領その人ではないか。
 NATOの東方拡大を警戒し、ウクライナもその一翼を担うようになれば国の存続にかかわる重大な事態だと、プーチン大統領は考えたのだという。その敏感な部分にもっと配慮した外交を、「西側」が事前に展開し、プーチン大統領に一定の安心を与えていたら、今回の悲劇は防ぐことができたかもしれない。いろいろな意味で今回の戦争を顧みる必要はありそうだ。
 だが、ウクライナという独立国の主権を徹底的に侵害し、多くの命を奪ったのはプーチン大統領の側だ。理屈や感情はともかく、超えてはならない一線を越えた以上、相応の責任を取ってもらうべきなのだ。言い方はいろいろあるにしても、やはり退場願うほかはない。

03 01 02

 ウクライナ国境に近いポーランドの町を取材してから、早くも1週間が経った。戦禍を逃れ、夫や父を残し、重い荷物をもって隣国に逃れてくる人たちの姿は、僕のまぶたに焼き付いて離れない。それはまさに戦争という悲劇のざらざらした断片だった。そして、戦場はウクライナであり、この悲劇を引き起こしているのがロシア軍であることを、改めて実感した。

 戦時の言葉遣いには、敏感でなければならない。うまく言葉をあやつり、駆け引きに持ち込むことだって必要だろう。だが、忘れてはいけないのが、これは「プーチンの戦争」だということだ。最後に責任を取るべきは誰か。
 それはバイデン大統領の言葉を待つまでもなく明らかだと思う。その軸だけは、心ある国際社会の一員として、ぶれずに持ち続ける必要がある。

(2022年3月28日)

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