大越健介の報ステ後記

国境の町で
2022年03月19日

 それは生中継の合間の出来事だった。

 ポーランドの東端にある、ウクライナ国境の町・メディカ。検問所を通って次々にウクライナを逃れてきた人たちが、中継カメラを構えた僕たちのクルーのそばを通り過ぎていく。ほとんどが女性と子どもだ。みな疲れ切っているが、ボランティアの人たちが差し出す温かいスープや励ましの言葉に癒されるのか、ほっとした表情を浮かべる人もいる。
 3月18日。僕たちはこの日、このメディカの検問所近くから、避難民の現実や、受け入れるポーランドの人たちの思いなどを生中継で伝えようと、準備を整えていた。報道ステーションの本番が始まり、この日、この場から伝えるべき内容について最後のチェックをしているときだった。

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まだあどけなさが残る若い女性が、母親と思われる女性に背中を押されるようにして僕に問いかけてきた。
 「ニッポンですか。飛行機、使いますか」
片言だが、しっかりした日本語だ。重い荷物を持ったこの親子は、明らかにウクライナから避難してきたばかりの様子である。
 避難してきた人たちに、取材でこちらから話しかけることはあっても、話しかけられることはまずない。しかも日本語だったこともあってドギマギしてしまい、「日本語が使えるんですね。すごいですね」などと的外れな受け答えをしてしまった。

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彼女が言った。
「ワルシャワから飛行機ありますか?」
僕が「戦争のせいで、いま、直接行く飛行機は、ないと思います。僕たちはあす日本に帰りますが、ドイツのフランクフルトで乗り換えて・・・」などとやり取りをするうちに、この親子は、日本に避難したいのではないか、と気づいた。
 慌てて、ウクライナ語の通訳をお願いしているマルコ君という学生(ウクライナ出身の19歳。ポーランドの大学に通い、英語も堪能。1年半前から日本語を学んでいる)を呼んだ。

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 ことの次第が少しずつわかってきた。ウクライナから母親とともに戦禍を逃れてきたこの若い女性は、漫画が大好きなのだという。日本語も漫画で覚えた。日本で学び、将来は漫画家になるのが夢なのだという。僕たち取材クルーが日本のメディアだと気づき、「一緒に日本に連れて行ってほしい」と伝えたかったそうだ。
 中継リポートに入る時間まであとわずかだ。しかも、日本の避難民受け入れ態勢や必要な手続きなど、その場では無責任なことは言えない。帰国したらできるだけのことをするという旨を伝え、スタッフのひとりが連絡先を交換して別れた。
 親子はとりあえず安堵した表情だった。行くあてがあるわけではないが、とりあえず首都のワルシャワに移動すると言い残し、近くの鉄道の駅に向かうバスの列に加わった。

 そして僕たちクルーはこの中継をもって、今回のポーランド取材の旅を終えた。
 僕はいま、フランクフルトで羽田への乗り継ぎのための長い待ち時間を過ごしている。ネットを開くと、ウクライナから逃れてきた若い女性が、危うく人身売買の標的にされそうになったというニュースが目に入ってきた。
 何ということだ。苦しい思いをしながら避難してきた人たちが、これ以上悲劇に見舞われることなどあっていいのか。

 この1週間、ポーランドのウクライナ国境で取材を続け、何度も胸が締め付けられた。
 ウクライナの決まりで、60歳までの成人男性は、祖国防衛のために国に残ることが求められている。脱出してきた人のほとんどが、女性や子ども、高齢者なのはそのためだ。

 避難民を受け入れるシェルター(避難所)などでの取材は細心の注意を払ったつもりだ。だが、自分の愚かさを悔いる場面もあった。
 ある施設で、12歳と4歳のふたりの子どもを連れて避難してきた女性がインタビューに応じてくれた。事前に、施設の担当者から「私たちは、彼女たちの過去には触れずに、これからの話だけをするようにしています」と言われていた。傷口を広げるような質問はしないようにと暗に釘を刺されていたのである。
 もちろん、日本でも災害直後の避難所の取材などを経験しているので、分かっていたつもりだ。慎重に言葉を選んで質問した。この女性は、これからの落ち着き先が決まっていないこと。ここポーランドで、何でもいいから仕事を探したい気持ちであることを話してくれた。

 だが、そこでやめておけばよかったのだ。
 「ご家族とは連絡を取り合えていますか」と質問した瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれ、言葉を発することができなくなってしまった。
 「ごめんなさい。つらいことを思い出させてしまいました。許してください」と、その場を立ち去るしかなかった。
 How stupid I am! なぜだかわからないが、心の中で自分を英語でののしっていた。
 通訳をしてくれたマルコ君は、「この仕事、悲しいです」と言った。彼の祖国もウクライナなのである。

 厳しい状況の中で取材に応じてくれた人、そし取材を手伝ってくれた人たちに心から感謝している。一連の取材を終えて、報道ステーションのスタッフのひとりが、「ぜひ、また取材に来ましょう。平和が戻ったら、ウクライナに入り、たくさんの人の声を聴きましょう」と言った。
 同感だ。そして、世界ではウクライナだけでなく、シリアなどの中東や、アフリカ。ミャンマーなどのアジア、そして中南米と、深刻な人道危機が、同時並行で起きていることを忘れてはならないと思う。  
 僕たちにできることは何か。8時間という、フランクフルトでの長すぎる待ち時間の中で、そのことを考え続けている。

(2022年3月19日)

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