宇宙探査の歴史の過程で、サルやイヌをはじめとして、数多くの生き物たちが宇宙に送られ、宇宙空間が生体に与える影響を調べる貴重な資料になってくれた。だが、その中でもネコの登場頻度は少ない。マイペースすぎて扱いにくいのかも。
うちのコタローは、きょうも世間を賑わすニュースなどわれ関せずで、テーブルの上で寝転がったり、思索にふけったり?している。
いろいろな動物に迷惑をかけながらも、人類はせっせと宇宙への夢を追い続け、今や空前と言っていい宇宙ビジネスのブームだそうだ。すなわち「脱地球」が一大トレンドとなりつつあるわけだ。
僕はというと、宇宙に目を向けるのは、せいぜい酔っぱらって家路につくときにふと見上げるオリオン座くらいであって、それはあくまで遠い存在だった。それが、先日、東京・日本橋で開かれた宇宙ビジネスの展示会を訪ねてみて、考えを改めた。
25の「日の丸ベンチャー」が出展し、自社の可能性をアピールしている。驚いたのが、開場と同時にどっと人が集まる光景だ。コロナの影響もあってこの熱気とはずいぶんご無沙汰していたなと、しみじみとした気分になった。そしてあちこちで早くも商談が始まっていた。
ある企業は、宇宙の掃除屋さんを目指している。役目を終えた人工衛星の破片など、地球の周りにはおよそ3万4千個ものデブリ、つまり宇宙ゴミが浮遊している。中には大型バスくらいのものもあるとのことで、衝突の危険も半端ではない。この企業が開発したのは、強力な磁石でデブリをキャッチし、デブリごと自ら大気圏に突入して燃焼する人工衛星だ。なんとも献身的な仕事である。
「この分野で日本は先陣を切っています。お掃除は日本文化に根付いている部分ですからね」と、担当者は自信にあふれた表情で語っていた。2024年の実用化を目指しているそうだ。どう採算をとるのかは素人には想像できないが、なんだかステキだ。
古い人間の頭からすれば、宇宙と言えばアポロやソユーズのイメージだ。最近でいえばイーロン・マスク氏が民間参入を果たしていることは知っていたが、しょせん宇宙開発で先行していたアメリカやロシア(旧ソ連)の独断場ではないか、などと思ってしまう。しかし、さすがに宇宙は、地球という一惑星の大国ごときがカバーできるレベルではないのであって、日本企業にとってもチャンスは無限なのだという。
展示会で次に訪ねた企業は、おなじみの月に熱い視線を注いでいた。
近年、月には豊富な水資源があることが分かったという。それによって月はがぜん、人類がリーチする甲斐のある天体となった。水があれば滞在ができる。滞在できればさらなる調査が可能になり、資源の開発にもつながる。
「アポロのときは月に行って戻ってくるというのが大きなチャレンジでしたが、いま言われているのは、『going back to the moon to stay』というコンセプトです」と、この企業の若き代表は言った。アポロ計画での月への着陸が第一ステージだとすれば、月は「滞在するための存在」として再び脚光を浴びているのだという。2040年には月面に1000人が滞在し、年間1万人が地球との間を行き来する世界を実現したいとして、この企業では小型で安価な月面着陸船の開発をまずは手掛けている。
ただ、僕は少し引っかかることがあった。月の開発を進めるのはそれこそ「脱地球」であり、さんざん地球の資源を食い尽くし、しまいには温暖化ガスまみれにしてしまったことからの現実逃避と言われても仕方ないのではないか。地球の問題は地球で解決する。月はあくまで月として、ウサギさんが餅つきをする場所のままで良いのではないか・・・。
そんな僕の疑問を瞬時に読み取ったのか、「そのお気持ち、わかりますよ」と言わんばかりに、代表は丁寧に言葉を継いだ。
「地球と月とを切り離された形で考えているのではありません。月には水資源があるので、コンパクトな形での水素社会を作ることが可能です。そこで得られるノウハウは、必ず地球に還元できると思っています。まさに地球が直面している温暖化などの社会課題に対しても向き合って、解決策を提供していくことが大事だと思っています」。
なるほど、「脱地球」のように見えて、宇宙を真剣に考えること、イコール地球を考えることでもあるということか。しかも日本の特性をいかせば、われわれ日本人のアイデンティティを確認することにもつながりそうだ。
しかし・・・。しつこい僕はこの取材を通じて、前週のこの欄で紹介した経済思想家の斎藤幸平さんの主張がずっと頭をよぎっていた。「成長」がすべての前提になっている資本主義経済のあり方を転換し、「脱成長」の社会へと舵を切るべきだという考え方だった。そのためにも「コモン」、つまり社会の共有財産を、利益の対象でなく市民が共同管理する仕組みを確立すべきだと斎藤さんは語った。
宇宙への進出は、つまりは新たな成長の種を見出すことであり、「脱成長」の思想とは相いれない面が多そうだ。どちらが正しいということではないのだろうが、僕の頭の中は、「脱地球」による新たな「成長」と、「脱成長」の間を行き来していた。
展示会が開かれた東京・日本橋界隈は、宇宙を志す個人やベンチャー企業などが集う場として、施設の整備などが着々と進んでおり、さまざまな情報交換や学びの場が提供されている。その一角のフリースペースでPCを開いていたひとりの女子学生に話しかけてみた。
東京大学文科一類の1年生だという彼女は、宇宙を考える学生団体に所属しているという。宇宙の分野に登場した文科系女子、である。
「専門に勉強しているのは宇宙の法律の分野です。国際法の整備に関わっていけたらな、と思っています」。
そう言って笑顔を浮かべる彼女への短いインタビューで、僕はなぜか少しホッとした。
斎藤幸平さんが言う「コモン」は、この宇宙空間こそ当てはまるのではないかと思った。宇宙覇権の争いなど見たくないし、開発のスピードの差がまた新たな格差を生むのであればそれもごめんである。各国、各企業の努力によって果実が得られるのだとしても、それはできる限り人類の共通の利益として還元されるべきではないのか。
そのためにも急がれるのがルールの確立である。心あるルール・メーカーの登場が待たれる。彼女は宇宙と人間が作るジグソーパズルを埋めるような存在になるのかもしれない。
「脱」というキーワードについては、また別の切り口からも考えてみたい。だが、いろいろあった1年ももう終わりに近づいている。
さて、ゆっくりテレビでも見ようと新聞のテレビ欄を探したら、案の定、コタローが寝そべっている。ちょっとどいてくれないかな。
オミクロン株の登場で、「年末年始の帰省はやめることにしたよ」と、さっき新潟のおふくろに電話した。さびしそうだったが「それがいいね」と同意してくれた。
しばしのお休みはステイホームで過ごそうと思う。コタローと遊びながら。
2021年12月25日