ありがたいことに、報道ステーションのディレクターたちが一緒に取材に行こうといろいろ誘ってくれるので、大喜びで現場に出向いている。この一週間ほどで全くジャンルの違う3件の現場を踏んだ。ところが、どの現場でも僕の頭の中には同じ文字がちらついていた。それは「脱」という文字だ。
「脱ぐ」のではなく「脱する」の方。異なるジャンルで、なぜ「脱」の一文字によって一気通貫するのか。何回かに分けて考えてみることにする。
最初の「脱」は、ベストセラー・「人新世の「資本論」」の著者である経済思想家の斎藤幸平さんへのインタビューだ。人新世は、ひとしんせい、と読む。大阪市立大学大学院の准教授を務める斎藤幸平さんは、なんと僕の長男と同じ1987年生まれの若手である。キーワードは「脱成長」。その中身を僕なりにかいつまんで紹介したい。
18世紀の産業革命以降、人類の経済活動は、資本主義のもと短期間で爆発的に拡大してきた。その結果として、地球は「人新世」という地質学上の新しい年代、つまり「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」に入った。
人新世は、環境危機に直結している。地球温暖化は、SDGsの掛け声や、環境ビジネスへの産業転換だけでは止められない領域に入った。例えば、ガソリン車から電気自動車に切り替えるのは確かに効果があるが、だがその分、リチウムなどの鉱物資源の奪い合いとなり、産地である途上国からの収奪が加速する。しかも新産業への切り替えは新たなCO2の排出を呼び込みさえする。成長とCO2排出抑制を同時に進めるというのはしょせん夢物語・・・。
人類の行く手には絶望しか待っていないのか。希望を見出すにはどのような処方箋が求められるのか。インタビューで斎藤さんが強調したのが「脱成長」なのである。
資本主義のもとでは、経済は成長するもの、させるものという前提で社会が回ってきた。「分配」を掲げて登場した岸田首相も、「成長と分配の好循環」という言い方に比重を置き始めているし、分配を大きくするには成長のパイを大きくする方がいい、という理屈だ。
しかし、パイは大きくする方がいいという考えを斎藤さんは覆す。
「経済成長して全体のパイを大きくしたところで、一部の人たちが持って行っちゃうんだったら意味がないですよね。むしろ、今あるパイは十分、すでにあるんじゃないか。私たちが貧しく、日々の生活が苦しいのは、十分にモノがないからではなく、一部の人たちが多く取り過ぎているからじゃないですか」。
なるほど、斎藤さんの論理はシンプルである。
一部に偏った富を、貧しい人たちへと移し替えることができれば、無理に経済成長をしなくても格差は解消される。成長につきもののCO2の排出も抑えられ、それだけ気候危機を回避する可能性も高まる、というわけだ。
しかしなあ、と考えながら、ふと政治記者時代に取材でお世話になった梶山静六元官房長官(故人)が言っていたことを思い出した。もう25年くらい前になるか。
梶山さんは、与党である自民党と野党の社会党(当時)の役割を、「造山運動と水平運動」と表現した。高い山を造る政策(経済成長)は自民党が主に担ってきたが、それを水平にならす作業(分配)は社会党が本家だというのだ。その上で「自民党っていうのは、3分の1は社会党なんだよ」と梶山さんは続けた。自民党は社会党の政策をほどよく取り入れて政権運営をしてきたという意味である。
味がある言い方だが、このときもやはり政策の底流にあったのは「成長と分配」の循環だ。
成長を求めず、分配だけをシステム化する。そんなことは可能なのか。
「競い合い、よりお金を儲けようとするのが人間の本性からきているとすれば、それと違うことをしようとしても難しいのでは?」
斎藤さんはコモンという言葉を用いて、「みんなが必要とするもの、例えば水や電気、インターネット、医療、介護と言ったものを共有財産である『コモン』としてみんなで管理をしていく」社会を目指すべきだと語った。
これはかつて旧ソ連など共産主義国家がとろうとして失敗した社会体制と近いようにも見える。しかし斎藤さんは、それらとは違う「市民が自分たちで管理していくような参加型の社会主義」だと言う。
斎藤さんは「資本論」で知られるカール・マルクスの再研究を通じて、そうしたあり方を提言するに至った。詳しくは斎藤さんの著書をご覧あれ。
この提言にどこまで賛成するかは別として、従来の、成長ありきの経済社会はもう限界にきているという指摘は大いにうなずけるところだ。
「成長にとらわれないところに、実は本当の豊かさがあるということでしょうか?」
「本当の、というのは分かりませんが、少なくとも今の豊かさと違う豊かさが存在するのに、なぜ経済成長という豊かさだけをこれほど重視する社会になってしまっているのか。人々が幸せに感じたり、人々が別の意味での豊かさを感じる可能性があるのだったら、その方が『良い道』ではないのかということは言えると思います」。
斎藤さんの話は私たちの常識を揺さぶる。揺さぶるだけの理由がある。
地球という天体はすでに悲鳴を上げている。「脱成長」という言葉が説得力を持つのは、生き物としての人間の「本性」が警告を鳴らしているからなのだ。