

その日の朝、旧制広島二中の一年生たちは、広島市の中心、今の平和公園(平和記念公園)の近くに集合していた。広島が空襲された場合の備えとして、広島では、空襲時に起きる火災の延焼を防ぐために、多くの建物があらかじめ壊されていた。一年生たちは、そのがれきを片付ける作業にあたる予定だったという。
だが、「空襲」は思いもしなかった形でいきなりやってきた。集合後まもなく投下された原子爆弾により、彼ら320余名全員が死亡した。
全員が死亡した、と一言で言い切ってしまってから、痛みと違和感に襲われた。
全員死亡は事実である。だが、原爆によって死亡したという意味では同じでも、最期の遂げ方はそれぞれ違う。そして彼らには各自の名前があり、家族がいた。わずか12、3年という短い歳月でも、彼らにはそれぞれの違った人生があったのだ。その当然の事実を、出版元のポプラ社が送ってくれた「いしぶみ」という一冊の漫画が教えてくれた。
「いしぶみ」は、地元の放送局である広島テレビ放送が、遺族を探し出して話を聞き、生徒たちの行動と言葉をたどって制作した1969年のドキュメンタリー番組が原作である。番組は翌年に書籍化され、このたび、55年ぶりに漫画化されてよみがえった。
読みやすさも手伝い、我を忘れて読み進んだ。だが、途中でページをめくる手が止まる。言葉がない。子どもたちがかわいそうでならない。
満身創痍で川に飛び込み、救助を待った子どもたちがいた。しかし期待もむなしく、ある子は「お母ちゃん」と叫びながら、ある子は君が代を歌いながら絶命していった。
両親に会いたい一心で川の土手でがんばっていた子は、探しに来た父親に助け上げられ、自宅に帰り着いた。「学校に欠席の届けを出してくれ」と言い、「ぼくは戦地で戦っている兵隊さんとかわりないんだね」と言い、やがて息を引き取った。
救護所の中や救難のトラックの荷台で死んでいった子どもたちもいた。そして、かなりの数の子どもたちが、爆発の一瞬のうちに命を落としたと見られる。
広島二中一年生のそれぞれの最期が、まるで空白をひとつひとつ埋めていくようにして記されていく。困難を極めたであろう遺族からの聞き取りが記録として刻まれ、後世の子どもたちにも伝わりやすいようにと、漫画という表現手法がとられた。
そして数日後、今度はNHK出版の編集者が、僕に分厚い書籍を届けてくれた。タイトルを「Hiroshima Collection」という。「原爆資料館(広島平和記念資料館)」が所蔵する被爆資料300点以上が、写真家の土田ヒロミさんによる撮影で収められている。
写真はすべてモノクロである。見開きで左側に写真、右側に持ち主たちの最期にまつわるストーリーが端的に、日本語と英語の双方で記されている。
そこには、一瞬のうちに破壊された日常そのものがあった。掲載されている写真は、犠牲者が身に着けていた軍服やモンペ、ワンピースといった衣類や、弁当箱や下駄、はさみや手持ち金庫に至る普段使いの品物だ。ほとんどが火炎のすさまじい影響にさらされたことが分かるが、かろうじて原形をとどめている。
著者の土田ヒロミさんは、「一切の私的感情を排して、即物的な記録に徹すること。対象について私的な解釈をしないこと」に徹してきたという(あとがきにかえて、より)。あえてモノクロ写真にしたのも、そのためと思われる。
「即物的な記録」である分、一枚一枚の写真が、なおのことストレートに心に刺さってくる。
中学一年生男子の「下着」と題された写真があった。小さな衣類には似つかわしくない大きな皺が寄り、煤けている。だが、それは明らかに両足を通す男の子の下履きの姿をしている。この下着の主は、全身に大やけどを負い、「服を脱がす時も、皮ふにはりついている部分を切り取らなければならなかった」。母親が桃の缶詰の汁を飲ませると「とてもおいしかった」と言ったが、まもなく息を引き取ったという。
この一年生の姿が、「いしぶみ」に描かれた少年の姿とシンクロした。かたや漫画という分かりやすい表現を通じて、かたや私的感情を排したモノクロの写真によって。
そのいずれもが、僕の心を大きく揺さぶった。言葉にならない。表現手法こそ違っていても、緻密に検証された記録が持つ圧倒的な力は、あれこれ言葉を見つける仕事をしている自分のような人間を、むしろ恐ろしいほど単純に打ちのめす。
広島に原爆が投下された8月6日、報道ステーションでは新しい企画に挑戦した。爆発のキノコ雲のフィルム映像は残っているが、その「音」の記録は残っていない。だが、爆発の音を記憶しているという男性が見つかった。男性の証言をもとに、音響スタッフが最新の技術を駆使し、投下の前後の音を再現したのである。
まずは、音を記憶しているというその男性の話を聞けたことからして僥倖だった。なぜなら、爆心地近くにいた人の多くは、地上600メートルで炸裂した爆発音が届く前に、絶命するか、先に届いた衝撃波の影響で鼓膜が損傷していたからだ。証言者の男性は、爆風で突き落とされたのが偶然にも足元の防空壕だったおかげで生き延び、遅れてやって来た爆音も記憶していたのである。
再現された「原爆の音」は、原子爆弾の激しい炸裂音だけでなく、はじけ飛ぶガラスの音などが複雑に入り組んでいた。やがて静寂が戻るが、実はそれは静寂ではなく、耳をすませば泣き叫ぶ子どもの声などが途切れることなく続く。原爆が日常を一瞬のうちに破壊するものであることを、視覚ではなく聴覚で再現したのである。この放送に対し、証言者の男性が、「私が聞いたのは確かにこの音でした」との感想を寄せてくださったことに、スタッフ一同胸をなでおろした。
取材者や編集者もまた人間であり、悲惨な体験と向き合い、それを記録として残すことは、時に大きな心の負荷となる。しかし、それこそジャーナリズムの仕事だ。「いしぶみ」や「Hiroshima Collection」を送り出した人たち、「原爆の音」を再現した音響スタッフたちは、時代をまさに記したのだと言える。
個人的な感想を、匿名で無制限なまでにネット上に放出するネット・ツールとは違う決定的な使命が、われわれにはある。戦後80年が経っても、まだまだ発掘されていない事実があるのだと、心に言い聞かせている。
(2025年8月10日)


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