キュウリと政治を考える
2025年07月30日

 うだるような暑さの中、永田町の議員会館を訪ねた。議員会館は衆議院用が2棟、参議院用が1棟ある。各議員に部屋が割り振られており、それぞれ秘書が使う事務室などが併設されている。道路一本挟んだ国会議事堂とは、地下道でつながる構造だ。
 見慣れた景色だが、この静けさは何だと思った。議員会館の外も中も、ほとんど人とすれ違わない、参議院選挙が終わって4日が経った先週木曜日のことである。

 その時、「この暑さじゃあ、石破降ろしも気合が入らんわな~」と思わず独り言が出た。「わな」とか「だわな」という語尾は、昭和から平成にかけて総理大臣を務めた故竹下登さんの独特の口調で、当時の政治記者は雑談の中でよくマネをしたものだ。どこか、老政治家の諦念とか悟りにも似たニュアンスを帯びる。
 自民・公明の与党が参議院でも敗北し、衆議院に続いて少数与党に転落したのはご存じのとおりである。そして案の定、自民党内からは石破降ろしの声が公然と上がっている。だが、その石破降ろしの声も少し夏バテ気味の感は否めず、28日に開かれた自民党の両院議員懇談会も、はっきり言ってしまえばガス抜きの場で終わった。石破さんは、4時間以上にわたる会合を終えた後も、涼しげに続投を宣言した。

 前線で取材に当たっているベテラン政治記者に聞くと、実は石破さんはもう、総理総裁の地位にこだわっていないのだという。ではなぜすんなりと辞意表明をしないのかと言うと、やるべきことが残っているからだと。
 トランプ政権との日米関税交渉が、比較的少ない傷で妥結した。市場は歓迎している。普通なら、この成果を花道に退陣するのが日本の政治家としてよくある身の処し方だが、相手は大統領令ひとつで物事を決めてしまうあの「暴君」である。合意したからと言って油断できないだろうし、石破さんが合意の履行に確信が持てるまで責任を持ちたいというのは理解できる。

 それに、石破さんにも意地というものがあるのだろう。ここからは僕の完全な想像だが、石破さんは心の中でこんな風につぶやいているのではないか。
 「だいたいね、オレに辞めろと言っている連中には、裏金議員が何人もいるじゃないか。どの口が言うのかね」
 あるいはこんなことも。
 「そりゃ、トップが敗北の責任を取るのはかまわないさ。でも、今の自民党に、新たな総裁選びで大騒ぎするだけの体力が残っているのかい?そもそも、総裁という表紙だけ替えても、国民はもうだまされないぜ」。

 このようにつぶやく(僕の想像上の話です、あくまで)石破さんには、それだけの理由がある。両院議員懇談会が開催された28日の朝刊で報道された朝日新聞の世論調査では、「総理大臣を辞めるべきだ」とした人が41%だったのに対し、「その必要はない」とした人は47%と上回った。それを自民党支持層で限ってみると、「辞めるべきだ」が22%だったのに対し、「その必要はない」が70%に跳ね上がっている。ほかならぬ「身内」から、「あんたたち、根っこのところから直さなきゃだめよ」と言われているわけだから、石破さんからすれば自分だけが糾弾の的になるのは釈然としないだろう。

 とはいえ、現実の政治には落としどころというものがあるはずで、すでに森山幹事長は両院議員懇談会にあたって、来月、敗戦の総括を終えたら責任を取る旨の発言をしている。森山さんという、党内調整に長けた頼もしい後ろ盾を失えば、石破さんの政権運営は立ち行かなくなること必至だ。つまり、森山さんが辞意を口にし、石破さんがそれを事前に了承していたとすれば、やはり石破さんも来月には降板することを覚悟していることになる。

 おそらく一昔前の自民党ならば、そうした相場感は選挙後ただちに共有され、とりあえず騒ぐにしてもすぐに落ち着き、視線はもう先に向いているはずである。それなのに、この気だるい徒労感とともに、だらだらと石破降ろしの三流舞台を見せられるのはなぜか。

 ひとつ思いつくのはほとんどの派閥が消えたことだ。いまでも旧派閥の仲間たちがひそひそと相談する姿はあるし、それはご自由にということだが、派閥の持っていた「教室」としての機能が失われたのは確かだ。自民党という大人数の集団を、適度な人数で「クラス分け」することで、情報伝達と周知徹底が効率的に行われるという機能は小さくなかった。
 ところが、先生(手練れの派閥幹部)のもとでちゃんと勉強し、クラス対抗戦(総裁選)で優勝を争うだけにしていればよかったものを、裏金を融通させるような事件まで起こした派閥もあったのだから、解散は自業自得。派閥に代わる何らかの生命維持装置を持たない限り、自民党の弱体化は止まらないかもしれない。

 さてと、石破さんである。地位に恋々としないのなら、いつまで「続投宣言」を続けるのか。辞めると言えば求心力が失われるから、最低限の仕事を終えるまではあえて言わないということなのか。求心力はもう失われているようにも思えるが。
 それとも別の計算か。選挙後、メディアは連日自民党のゴタゴタを報道するのに熱心で、躍進した野党のことはあまり注目されない。石破さんは、「悪名は無名に勝る」、つまり目立ったもん勝ちと考え、しばらく自民党に注目が集まるままにしておこうという算段かもしれない。でも、やはり評価を下げる逆効果が大きいような気がする。
 さらに深読みすれば、自身の問題に引き付けて野党側に時間を与えることで、「自公と連立政権を組みたい」というメッセージが、野党側のどこかから発せられるのを待つ戦略かもしれない。そうなると、石破さんもなかなかの策士だ。

 などといろいろ考えてみるが、どうも石破さんの考えが読めない。帰宅して一杯飲んで寝て、翌朝になってもやっぱり読めない。そして家の裏の小さな家庭菜園に行くと、不思議な形のキュウリが採れた。

写真1

 暑さのせいで、この子はすっかりひねくれてしまったのだろうか。いやそうでもないのかも。ぐるっと一回転して見事に着地した感もあり、むしろ感動的だ。ひとしきり眺めた後、思い切りかぶりついたら立派なキュウリの味がした。
 これってひょっとしたら石破さんの心象風景だったりして。去年の秋、総理大臣の務めを果たす決意で実を付けた石破キュウリ。だが残念ながら衆院選で負け、東京都議選で負け、参院選で負け、すっかり気持ちは後ろ向きになってしまった。ところが参院選後、党内がゴタゴタしているうちに、ひと回りして続投の意欲がもう一度みなぎってきた、みたいな。
 まあ、人の気持ちはわからない。なんともつかみどころのない政局である。

(2025年7月30日)

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