大谷翔平選手が50本塁打50盗塁という快挙を成し遂げる瞬間を空港で見届けてから、僕は搭乗口に並んだ。この日は金曜日。本来はこのニュースをスタジオから伝えるところだが、僕はドイツに飛ぶことになっていた。いまドイツで起きていること、極右に位置付けられるポピュリズム政党の急激な台頭が、とても気になったからだ。
強固な愛国主義と、その裏腹の露骨な排他主義を掲げる右派ポピュリズムは、この10年ほどのヨーロッパを席巻してきた。その背景にあるのは、イスラム過激派が支配地域を広げた際、中東などからの難民たちが、次々とヨーロッパに流入してきたことだ。財政余力のない国ほど受け入れの限界が来るのも早かった。「なぜ我々の税金が彼らに使われるのか」。そんな庶民の不満の受け皿となったのがポピュリズム政党だ。
それはドイツも例外ではなかった。財政基盤が固く、難民受け入れに積極的だったドイツは国際社会から一目置かれる存在だったが、この国でも「難民排斥」を訴える極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は勢力を徐々に拡大していた。
ところが事態は一気に進んだ。「もうここまで来たか」と僕は驚いたのが、AfDが東部チューリンゲン州での州議会選挙で第一党に躍進したというニュースだった。党幹部のひとりはあろうことか、ヒトラー率いるナチスを擁護するかのような言動で物議を醸していた。これは現地に飛ぶしかないと、僕は9月22日に行われる東部ブランデンブルク州の州議会選挙の選挙戦を取材することにした。この州でも、事前の世論調査ではAfDがトップを走っていたからだ。
それにしても、なぜここまで支持が急伸したのか。ブランデンブルク州東部、炭鉱と石炭火力発電で栄えたコットブスという町を訪ね、駅で客待ちをしていた初老のタクシー運転手に話を聞いたときに、その理由のひとつを理解した。ウクライナである。
AfDを支持していると思われる彼は、ウクライナからの避難民について言った。「避難民とは言えない人もいるんだ。大きな車を持っていたりしてね。そういう人が福祉を受けるなら、ドイツの年金生活者こそが(もっと)役所からお金をもらうべきなんだ」。
コットブスは、ポーランドとの国境付近に位置している。2年半前、ロシアがウクライナを本格侵攻した直後、この町は、最大で1日1000人の避難民を受け入れた。温かいスープでもてなそうと、中央駅にはたくさんの市民がボランティア活動にあたったという。
ところが戦争が長引き、避難民の受け入れも限界に来たのだとタクシー運転手は言う。しかも、石炭火力発電で栄えたこの町も、脱炭素の流れの中で発電所の閉鎖が決まるなど、衰退の気配が漂う。はじめはウクライナの避難民に対して深い同情を示した市民たちも、かなりの数が今や、避難民を重荷に感じているのは否めない。
そうした市民の鬱屈の受け皿になったのがAfDだ。AfDは、火力発電所を閉鎖する政府の方針を猛烈に批判するとともに、難民・避難民のイベントへの参加禁止などを訴えた。表向き出て行けとは言わないが、われわれと同等だと思うな、という意味である。
そして、州内でAfDを支持する様々な声を聞くうちに気づいたことがある。それはウクライナの避難民をめぐるその言いぶりが、ほぼ同じパターンであり、そこに含まれる具体例までもがあまりにも似通っていることだ。
ひとつの例が高級車だ。コットブス市の選挙区からAfD公認で立候補しているレナ・コトレ氏という36歳の若き女性候補にインタビューした。彼女は「高級車で走り回っているウクライナ人もいるのです」と切って捨てた。そういう人をドイツ市民の税金で支援するのはおかしいと言う。
コットブスで出会ったさきほどのタクシー運転手も、ウクライナ避難民について、「大きな車」を持っている人もいると話していた。高級車は「裕福なのにドイツの支援を受けている」ウクライナ避難民を象徴するものらしい。
またこんな言いぶりもあった。別の町でのAfDの選挙集会でのこと。支持者の中年女性は「ウクライナ人は、お金をもらおうと休暇のようにドイツを訪れる」と言った。
コトレ候補の発言にも似たものがあった。「彼らはウクライナで休暇を過ごし、またこちらに戻ってきては保護を求めているそうです。故郷で休暇となると、ウクライナのほとんどは平和な地域だとしか言えません」。
「休暇」先がドイツなのかウクライナなのかは別として、故郷に住めなくなった避難民のつらさを無視した言葉ではある。うまい汁を吸っている自称「避難民」が実際にいる可能性は否定できないが、コトレ候補に「その言葉に根拠はあるのか」と質したところ、明確な答えはなかった。
調べてみると、ウクライナ避難民についてのこのような論理と例示は、実は他のAfD幹部や候補者に共通していた。支持者たちの中にはAfDによって刷り込まれ、同じ論調を話すようになった人も多いと類推できる。
ここにポピュリズムの罪深さがあるのだと思う。人々の不満や不安を受け止めるのは大事だ。だが、そうした人たちの留飲を下げるような、大衆迎合的な言葉を連呼することでその不満の炎に薪をくべてしまうと、かなりの割合で人々は根拠の乏しい言説を信じるようになり、それを信じない人たちとの分断が深まっていくことにつながる。数々の歴史の過ちはそうしたポピュリズムから生まれたことを忘れてはならない。
ではどうすべきなのか。正直言って答えは簡単には見つからない。
あれこれ考えるうちに思い出した。今回の旅は機中でのちょっとしたハプニングから始まったのだった。羽田からミュンヘンに向かうその飛行機の座席は、不器用な僕にはやや使い勝手が悪かった。食事中、僕はワインの入ったグラスをひじ掛けの隅にひっかけてしまい、隣席にいたドイツ人の老紳士のシャツにこぼしてしまった。
平謝りし、客室乗務員にタオルを持ってきてもらって被害は最小限で済んだが、僕はひやひやだった。そしていよいよ飛行機を降りるという時、改めてワインをこぼしたことを詫びると、その老紳士は「いやいや、むしろずっとフルーティーな香りがして快適でしたよ」と笑顔で返してくれた。
僕はそうしたユーモアに表れるドイツの人たちの賢さを信じる。多党制であるドイツでは単独で政権を担うことは現実的でなく、過激な言説で支持を広げるAfDと連立政権を組もうというところはまだない。そのAfDの幹部たちも、「ナチスの再来と警戒されているが、どうなのか」という、僕のぶしつけな質問に対し、「私たちは民主主義を大事にしているし、ナチスとは全く別物だ」ときっぱりと答えてくれた。
ヨーロッパ大陸で、いくつもの国とひしめき合い、EU・ヨーロッパ連合の中心的存在であり続けるドイツという国は、民主主義の枠をはみ出すことはないだろうと、僕は思っている。むしろ、ドイツへの弾丸取材を終えた僕が心配になったのは、日本のことである。四方を海に囲まれ、平和に慣れたわれわれ日本人は、民主主義のトレーニングを十分に積んできているのだろうか。もし、とてつもないポピュリズム政党が出てきたときに、その怖さを読み取るだけの感性を育んできているのだろうか。
帰国の機中で、つらつらとそんなことを考えていた。
(2024年9月22日)