台風一族
2024年09月01日

 小学生のころに見上げた夜空が忘れられない。それは、台風が通過した後のことだった。暴風雨が去り、外が急に穏やかになったと思って外に出てみると、晴れ上がった空には満天の星が輝いていた。
 「こういうのを『たいふういっか』と言うんだ」と、確か父が教えてくれたと思う。子どもの僕は、台風も家族みたいなもので、大騒ぎした挙句に一家そろってやっと遠くに離れて行ってくれたと、妙に納得したものだ。それは「台風一家」ではなく、文字にすれば「台風一過」と書くのだというのを知ったのは、もう少し大きくなってからのことである。

 それにしてもこのたびの台風10号には翻弄された。いや、され続けている。
 発生は22日の木曜日の未明だった。本州をほぼまっすぐ直撃しそうだという予報をもとに、番組はまだマリアナ諸島あたりにいた台風を、ニュース項目のトップに持ってきた。そして、翌日の放送ではより具体的に「来週の火曜、水曜にかけて上陸するおそれがある」と伝えた。「台風一家」は北に向けた弾丸ツアーを予定していたはずなのである。

 ところが実際の台風は迷走した。いや、台風自身に意思があるわけではないので、迷走というのは、人間の身勝手な言い分かもしれない。まっすぐに北上しつつあった台風だが、ここで西側から寒冷渦(かんれいうず)という上空の寒気を伴う低気圧が邪魔に入った。寒冷渦は反時計回りの渦に台風を引き込み、なんと西に連れ去ってしまった。週が明けた月曜日のことである。
 だが、この寒冷渦は気まぐれな存在だった。台風を西に引っ張って行ったと思うと急にしぼんでしまい、台風への影響力を失った。しかも、いつもなら台風を東に運んでくれる上空の偏西風はまだずっと離れた北の方にあり、台風には見向きもしてくれない。

 こうして台風10号は、偏西風や寒冷渦といった気象界の「一族」によって、九州の南海上にポツンと置き去りにされた。そして、まるで放置された怒りをため込むように、温度の高い海水からエネルギーを吸収し、非常に強い勢力となって、奄美大島などに暴風雨をもたらすことになったのだ。

 連日伝えるわれわれとしては、予報が更新されるたびにハラハラである。
 被害を最小限に抑えるためにはできるだけ上陸しない進路をとってほしい。それがかなわないのなら、次善の策として一気にスピードを上げ、早く日本列島の東側に抜けてほしい。ところが「一族」の誰にも構ってもらえない台風は、地球の自転の力に従って不機嫌に九州の南をのろのろと北上するのみである。時速10キロ程度と言うから、せいぜい僕がジョギングする程度の速さだ。

 そうするうちに、気象の一族たちからまた邪魔が入る。今度は西から大陸の高気圧が張り出してきた。東にはもともと太平洋高気圧が「でん」と構えているから、台風10号は2つの高気圧に挟まれてしまった。
 高気圧は時計回りに回転している。東の太平洋高気圧の回転に乗れば東に進む可能性があるが、西の高気圧に引きずられれば、西や南に逆戻りという可能性も出てきた。複数の気象予報士と経験豊富なディレクターたちからなる強力な気象チームも、「これほど予測が難しい台風は経験したことがない」と言う。

 しかも、今回の台風は本体だけを警戒していれば済む存在ではなかった。そのエネルギーは遠く離れた南の海から積乱雲を引っ張り、東海や関東、東北に至るまで激しい雨をもたらした。発生から1週間以上が経った30日金曜日、番組では初めて「遠隔地豪雨」という言葉を選択した。
 その日の雨雲レーダーは衝撃的だった。台風本体はのろのろと瀬戸内海付近にあり、西日本に雨雲の丸い渦が腰を据えている。一方、関東や東海にも縦にいくつもの雨雲がかかっている。東の太平洋高気圧の西側の淵に沿う形で、積乱雲が南の海上から次々に供給されているのが分かる。気象予報士の細川さんは、この積乱雲の固まりを「クラウドクラスター」と言うのだと伝えてくれた。「クラスター」…この数年の経験で僕たちの心の琴線に引っかかるようになってしまった言葉である。

 この1週間以上、台風本体のみならず、その一族の面々が入れ代わり立ち代わり主役を張るようにして、日本列島を痛めつけた。土砂崩れなどで複数の命が奪われた。多くの人々の生活が破壊された。
 番組は連日、台風を中心とする気象情報に最も多くの時間を割いた。災害報道は、人々の命と生活を守ることを使命としているが、それでも被害は出てしまう。

 ただ、伝え続けることは大事だ。今回、思ったことがある。
 台風10号をはじめ、気まぐれな「寒冷渦」、はるか南から日本を狙い撃ちするかのような「クラウドクラスター」。これらの「一族」をときに擬人化し、分かりやすいCG画面で伝えることで、気象の仕組みは格段に理解しやすくなる。人間、腑に落ちないことは行動に移さないが、理解さえできれば、防災の具体的な行動をとることにつながる。

 また、こんなことも考えた。今回の台風10号について気象庁は、28日の水曜日、1959年の伊勢湾台風(5000人以上の死者・行方不明者を出した)」クラスの規模となることを想定し、台風の「特別警報」を発表した。異例の事態だった。
 ある日の反省会で、番組プロデューサーが殊勝な面持ちで言った。「伊勢湾台風の当時は、台風の情報を十分に知ることなく命を落とした人も多かったと思う。それを考えれば、今のテレビメディアが果たしている役割は決して小さくないはずです」。
 確かにそうだ。命を守るための情報を伝え続けること、それも単に情報を流すのでなく、理解をしてもらえるだけの工夫を凝らして減災につなげることは、僕たち放送人の最大の社会貢献となりうる。

 9月になった。ようやく水が引き始めた近所の川は、ふだんはわが物顔の雑草たちが増水でなぎ倒され、無残な姿をさらしている。この夏は暴力的とも言える猛暑に苦しんだが、季節は移ろっても自然は別の形で過酷な試練を課す。

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 人間が自然の力に対抗するのは難しい。「一族郎党、束になってかかって来い!」などとはとても言えない。だが、気象という現象を可能な限り分析し、対処するという知恵を人間は持っている。その第一線に立つ覚悟で、これからもスタジオに臨みたい。

(2024年9月1日)

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