2022年に入って初めてのこのコラム。
前回まで「脱」シリーズで2回書いてきて、今回は「脱・その3」で書き出そうと思ったが、そうも行かなくなった。正月明け早々から東京は4年ぶりの警報が出るほどの大雪に見舞われたし、何といっても新型コロナウイルスのオミクロン株の急拡大である。
脱出して逃げ出すわけにもいかない。
それにしてもモヤモヤする。
いったいこのオミクロン株とは何者だ。株価が上がれば喜ぶ人もいるが、この株が広がって喜ぶ人はいない。しかも独特の感覚を覚える。コロナ禍に見舞われてこの方、恐怖や不安やつかの間の安堵を感じることはあったが、この何とも言えぬモヤモヤ感は初めてだ。
それは多分に、この妙な名前の株が持つ特徴にある。感染力はこれまでの中で飛びぬけて強い。だから感染者数の伸び方を見ると度肝を抜かれる。しかし、重症度は低いとされる。実際に全国のデータを見ても、感染者が急増する一方で、亡くなったり重症となったりする人の数は多くはない。その2つの側面について、無意識にバランスを取ろうとして脳が忙しく働いてしまうのだろう。だから頭の中が筋肉疲労を起こす。これがモヤモヤとなる。
重症化率がいくら低いと言っても、感染者の絶対数が増えれば、デルタ株の時と同じように、あるいはそれ以上に重症者は増え、病院は鉄火場となる可能性がある。いまは若い人の感染者が多いので軽症または無症状が多いが、これが高齢者へと感染が広がればなおさらである。やっぱり油断はできない。
諸外国の例を見ても、とにかく規模感が違うのだ。
問題は医療現場にとどまらない。感染者数がとんでもなく増えるということは、重症には至らなくとも仕事を休まざるを得ない人が多数出てくるということになる。代わりがきく職場ならともかく、そうでないところは欠勤が増えることで業務がマヒする。医療や介護をはじめ、絶対に欠かすことのできない「エッセンシャル」な職場がマヒするということは、すなわち社会の基盤がどんと揺らぐことを意味する。普段通りの生活ができなくなることを意味する。実際、沖縄では医療従事者などが感染し、業務に支障が出始めている。そう考えると・・・それはモヤモヤを超えてやはり恐怖である。
だが、恐怖に至る前のモヤモヤの中で、前のような行動の自粛が徹底されることはない。各地の成人式も、対策をとって予定通り行うところもあれば、慎重を期して中止するところもある。街の人流(じんりゅう、という妙な言葉も市民権を得た)も、減ったと言えば減った感じもするが、目に見えて途絶えたわけではない。いや、途絶えればいいのかと聞かれれば、経済のことを考えるとそうは言えない。このあたりの表現の仕方ひとつとっても複雑で、モヤモヤする。
5日、帝国ホテルで経済3団体の共催による新年祝賀会が行われたので取材に出向いた。2年ぶりの開催である。祝賀会と言っても例年のにぎやかさはない。出席者の中で報道ステーションのインタビューに応じてくれたひとりが、サントリーホールディングスの新浪剛史社長だ。
「どうにも不安な年明けですね」と問いかけると、
「そろそろいい加減にしなきゃ。日本は経済よりも安全安心に行き過ぎの感じがあります」と、いきなり突っ込んだ答えが返ってきた。
「アメリカに行くとわかります。ただでさえ日本経済は3周、4周遅れている。何ごともやらない方がいいという発想がはびこっていたのが日本ですよ。コロナでそれがさらに悪い方向に行っている。コロナ対策をきちんとやりながら、経済がやれることはあるはずでしょう」とも強調した。
新浪社長は政府の経済財政諮問会議の委員も務める気鋭の経営者である。
コロナによって人命が脅かされる。しかし、経済が回らなければその影響で同じように人の命は脅かされる。もう両立の解を見つけ出さなければならないのに日本はひたすら立ちすくんでいると言うのだ。新浪社長もまたモヤモヤしていた。
そんな気持ちで政府の対応を見てみると、これまたはてな、という点が少なくない。
岸田首相は「最悪の事態を想定」するとして、沖縄などへのまん延防止等重点措置の適用に踏み切った。各自治体の意向を尊重しながら政府として遅滞ない対応を示したと胸を張る。
しかし、そもそも頼みの綱だった3回目のワクチン接種はどうなっているのだろう。2回目の接種後、6か月で効果が薄らぐことが分かっていながら、3回目の接種はその8か月後に設定されていた。その2か月の差を埋めようと、医療従事者や高齢者施設などでの前倒し接種を進めているが、この感染増加のスピードには到底追いついていない。調達の困難など事情はあるのだろうが、オミクロン株が発見されて以来、早くから想定されていた事態だけに、政府の対応はやはり後手に回ったと言えるのではないか。
だいたい、政府は、先行する欧米などの諸外国の事例を収集し、最も多くの専門家の知見を集める立場にありながら、オミクロン株の「正しいおそれ方」について、ほとんどメッセージを発していない。そこに僕は一番のモヤモヤを感じるのだ。
ちなみに、この長年使いなれたWordというワープロソフトは優れもので、「おそれる」と打って変換すると、「恐れる」、「怖れる」、「畏れる」、「懼れる」と4つの候補が出てくる。ご丁寧なことにそれぞれ意味まで説明されていて、「恐れる」と「怖れる」はほぼ同じ意味ととれるが、「畏れる」となると「神の前にかしこまる」という意味が加わり、「懼れる」となるとやはり「恐れる」に近いようだ。
最大公約数でいけば「恐れる」が一番よさそうだが、「おそれる」という文字の変換候補を考えるのもややこしい。そもそも、「正しくおそれる」って何だ?政府に「正しいおそれ方」をはっきりしてほしいと求めることは、やはり無理筋ということか。
ああ、モヤモヤする。
でもあまりストレスを感じると免疫力が落ちそうだ。
本当に嫌なウイルスだ。
(2022年1月9日)