政治家は強くあらねばならない
2024年07月14日

 アメリカのトランプ前大統領が演説中に銃撃され、ケガをした。直後にトランプ氏自身がSNSに投稿したところによると、銃弾が耳を貫通したとのことだ。本人の命に別状はないが、聴衆のひとりが死亡、ふたりが重傷を負ったという許しがたい事件だった。
 容疑者は射殺された。動機の捜査はこれからだが、アメリカではかつてケネディ大統領がパレード中に銃撃されて死亡した悲劇があったし、日本でも2年前に安倍元首相が街頭演説中に手製の銃で撃たれ、命を落とした。
 民主主義においては、政治家は大衆の中に入っていくことを重んじる。大衆の声をじかに聞き、熱を感じることが政治家にエネルギーと着想を与える。こうした事件は、民主主義を損なう暴挙である。

 そして、僕は一連の出来事をニュース映像で見ながら、また別のことで感じ入るところがあった。それは政治家の本能のようなものである。
 鮮血が頬を伝う中、トランプ氏は聴衆に向けて力強くガッツポーズをとった。シークレット・サービスに抱えられて壇上を降りる際に何度も何度も。車に乗り込む際も。その精神力には舌を巻く。頭蓋骨のすぐ横を銃弾がかすめたのだ。恐怖がなかったはずはない。
 しかし、おびえた表情を見せるのでなく、ケガを負っても健在であることを明確に示すことが、はるかに大事だと瞬時に判断したのだろう。政治家は強くあらねばならないという観念が、ケガの痛みや恐怖を押しのけた瞬間のように見えた。
 そして、ガッツポーズを掲げるトランプ氏の映像は瞬く間にSNS上で共有され、支持者の結束をさらに固める方向へと作用している。

 実は今回のコラム、トランプ氏襲撃事件が起きる前までは、バイデン大統領について書こうと思っていた。ひょっとして、バイデン氏には大変な深慮遠謀があるのではないか、という僕の勝手な推測についてである。
 何度も報じられているが、バイデン氏に対する撤退論が止まらない。討論会での言葉に詰まり、精彩を欠いたのに続いて、あろうことかウクライナのゼレンスキー大統領をプーチン大統領と言い間違え、さらに相棒とも言えるハリス副大統領を「トランプ副大統領」と言い間違えた。こうなると撤退論は加速する一方である。

 しかし、バイデン氏は頑なに撤退を拒否し続けている。文句のある者は自分で手を挙げてみろ、勝負してやるぞ、という勢いである。81歳という高齢への懸念を、「強い政治家」であることを誇示することによって払拭しようとしている。
 もし僕がバイデン氏なら、すぐにしっぽを巻いて逃げ出すだろう。これだけの逆風の中を前進するだけの強さはどこから来るのだろう。

 そう思いながらバイデン氏の言動を思い起こすと、ひょっとすると?という気持ちになってきたのだ。バイデン氏はすでに撤退する決意を固めていて、いずれ意中の後継者を指名する腹づもりなのではないか。今は機が熟するタイミングを見極めつつ我慢しているのではないかと、むくむくと想像が膨らんでいったのだ。民主党にとっての窮地を逆手に取った大逆転戦略ではなかったか。

 そのように想像した根拠のひとつが、バイデン・ショックが、期せずしてメディアをジャックした効果の大きさである。アメリカ世論の関心は、一気に民主党に向けられた。そこに出て来るのは、撤退を求める人たちの苦心の働きかけだ。誰も高齢そのものを責めることはできない。だから、バイデン氏の功績をたたえた上で、「もう十分仕事をしたのだから、身を引いた方が良い」という論法となる。中には、初代ジョージ・ワシントン大統領に匹敵するほどの名大統領だと持ち上げる声もあった。

 それでもバイデン氏は踏みとどまる。有名俳優までが心苦しそうに撤退を主張し、メディアはいよいよ一色になる。一方の共和党陣営はニュースに登場することは少なく、名前を副大統領と取り違えられたトランプ氏がSNSで、「いいぞ、ジョー(Great Job, Joe!)」と茶化したことが紹介される程度である。
 実際、討論会で精彩を欠いた直後はトランプ氏に差を広げられたバイデン氏だが、世論調査によっては再びトランプ氏に肩を並べつつあるというデータもあった。同じ調査では、もしバイデン氏が降りてハリス副大統領が候補者になったら、トランプ氏を支持率でやや上回るという数字も出ている。
 バイデン氏は老獪な政治家だ。「悪名は無名に勝る」と考えることのできる強さもある。その深慮遠謀が実をいよいよ結ぼうとしていたのではないか…。

 実はそんなことをコラムでつらつら書こうと思っていたのだが、いやしくも他国のリーダー選びについて、勝手な妄想をあれやこれやと展開することは失礼千万かもしれないと逡巡していた。しかも、トランプ氏を凶弾が襲い、支援者の中に犠牲者まで出てしまった直後だというのに、レースの予想などして見せるのは不謹慎でもある。

 とはいえ、さすがに超大国アメリカの大統領選挙となると無関心ではいられない。そうして結局、僕はこのテーマでコラムを書いている。
 トランプ氏のガッツポーズは、選挙の行方をどう左右するだろう。一方、これまでメディアジャックをしてきたバイデン陣営だが、今回の事件、そして週明けの共和党大会ではさすがにメディアの目は共和党に集中しそうだ。違った景色の中で、バイデン氏はどのような対応を見せるのだろう。撤退論に影響は出るのか出ないのか。
 いずれにしても、厳しい世界である。政治に小休止はない。許すことのできない流血の惨事だが、それすら選挙戦を形づくるピースの一片となる。そんな容赦のない戦いがアメリカ大統領選挙という世界なのである。

 ガッツポーズと言えば…何十年かぶりに自分の学生時代の出来事を思い出した。神宮球場での東京六大学野球のリーグ戦のひとコマ。僕は右中間を破る長打を放つと、2塁を回って勢いよく3塁ベースに滑り込んだのだが、その瞬間、左肩に激痛が走った。何の偶然か、完全に脱臼していた。痛くてぴたりとも動けない。3塁ベース付近に担架が運び込まれ、そのまま救急車で病院直行となった。そのとき、目の前の3塁側応援席にいたチアリーダーから、「大越さん、がんばって!」と声がかかった。
 痛みで動けないはずだったのに、その声にはなぜか反応した。担架で運ばれながら、僕は動く方の右手でガッツポーズを作って見せた。後で応援席にいた友人に聞くと、その時の応援席は、なぜか爆笑の渦だったという。行動が突飛すぎたか。
 トランプ氏は流血しながらガッツポーズを作り、支持者に安心と感動を与えたかもしれないが、僕はせいぜい笑いを取ったくらいだった。
 政治家と凡人の違いはここにある。

 (2024年7月14日)

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