あの時と似ている、と感じた。
イスラエルの政府高官にインタビューした際の彼の発言は、「標準モード」にあるわれわれの想定など軽く越えていた。今年の冬、ウクライナのキーウで、国立博物館の学芸員に話を聞いた時と同じ感覚を覚えた。
20日の未明、イスラエル首相府の上級顧問を務めるマーク・レゲブ氏とインタビューがつながった。パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織・ハマスがイスラエルを奇襲し、約200人とされる人質を連れ帰ってから約2週間のタイミングだった。
レゲブ氏は、1400人と言われる国民が殺された国の最高幹部の一人である。ハマス打倒への強い意思を示すであろうことは、当然こちらも予想していた。しかし、一般市民を巻き込んででもハマスをせん滅するのだ、と明言した点で、僕の安易な想定をすでに超えていた。
レゲブ氏の発言をまとめるとこうなる。
・テロ組織であるハマスの軍事組織の解体と政治基盤の破壊を目指す。
・それはガザをハマスから解放することであり、ガザ市民にも恩恵をもたらす。
・市民の犠牲は最小限に抑えるが、歴史上、市民に犠牲が出なかった戦争などない(=一般市民の犠牲はやむを得ない)。
・人質をめぐるハマスとの取引には応じない。
・停戦には応じない。一時停戦など絆創膏のようなもの。
イスラエルにはイスラエルとしての大義があるということだろう。僕たちも想像してみなければならない。もし、外部からの攻撃によって、自国民の命があっという間に奪われたとしたら。それが日本だったら、同じような思考回路になるだろうか、ならないだろうか。つまり、そうした事態にうまく想像が追い付かないのが日本の現状ではある。
いろいろ角度を変えながら質問をしてみた。ガザ地区の究極の人道危機を見て、イスラエルを支持する国々からも地上侵攻を留まるべきだという声が上がっているではないか。これまでの歴史を振り返れば、武力行使の応酬は禍根を残すのみではないか。
しかし、レゲブ氏の答えは一貫し、微動だにしない。ハマスせん滅あるのみ、である。この戦闘を遠く外国から見つつ、流血の事態を一刻も早く止めてほしいと願う僕は、彼らが置かれている、ケタ違いの怒りと緊張のモードに圧倒された。
僕が「似ている」と感じたこの冬のキーウでの経験はこうだった。
国立博物館を取材したときのこと。博物館では、ロシアによる軍事侵攻以降、ウクライナ領内で命を落としたロシア兵の遺品が展示されていた。悲惨だった。ボロボロになった軍靴があった。母親に宛てたと見られる若い兵士の手紙もあった。そしてその手紙は届くことはなかったのだ。
僕は学芸員の女性に、思わず話しかけた。「敵味方を問わず、命の重さは同じですね」と。「その通りです。だから、ロシアは戦争をやめるべきです」というような答えを、内心期待していたのかもしれない。
ところが、学芸員は厳しい表情を浮かべると、「私たちは、侵略者の持ち物を展示しているのです」と短く言い切った。「命の重さは同じ」という僕の言葉が間違っているとは思わない。しかし、あの場での言葉としては適切でなかったのかもしれない。ロシアに今まさに侵攻されている、戦争の当事者たる国の学芸員にかける言葉としては。
同じ20日、徳永キャスターもイスラエルの重要人物にインタビューを行っていた。「サピエンス全史」などの著作で世界的に知られる、歴史家のユヴァル・ノア・ハラリ氏である。ハラリ氏は、時空を俯瞰的に見ることが求められる歴史家としての自分と、祖国を執拗なまでに攻撃するハマスを憎むイスラエル人としての自分の間で、苦しんでいるように見えた。事実、今回の攻撃では、叔父と叔母がテロリストに命を奪われる寸前だったという。
「現時点で私は客観的になることができません。この『苦しみの海』に飲まれている人々は、他人の苦しみと共感することができなくなってしまうのです」
しかし、一方で彼は歴史家としての視点から、このようにも述べている。
「被害者でしかないか、加害者でしかないと思い込んでしまう人がほとんどです。しかし歴史においてこのようなことはほぼありません。どちらかが『絶対的正義』で、もう片方が『絶対悪』だと思い込まないようにすべきです」
イスラエルには、自国民を殺された国として選択すべき「正義」があるだろう。しかし、パレスチナの民には、イスラエルにこれまで虐げられてきたという積年の恨みがある。その恨みの発露として取られた行為に対し、それを「正義」と考える人たちは、世界に散るパレスチナ人をはじめ少なくないし、そうした人たちは、ガザ地区の人道危機に無頓着に見えるイスラエルを「絶対悪」と見なす。こうして憎悪の連鎖は続いていく。
ハラリ氏は、「『苦痛の海』に浸かりきりの私たちでは、心に平和のための『余地』がありません。だから皆さんが使ってください」と言った。
遠い中東での出来事ではある。しかし、この戦闘が長引けばそれは世界の分断を深め、どの国にとっても他人事でなくなる事態に発展する可能性が高い。
だからこそ、「余地」を残した日本のような国にも役割がある。犠牲者やその家族、コミュニティーに刻まれた深い傷にできるだけ寄り添いながら、事態の悪化を最小限に抑えるにはどうすべきか。「皆さんが使ってください」とハラリ氏が述べた、平和のための心の余地を使って、懸命に考え、発信していかなければならない。
(2023年10月23日)