秋色が濃くなった都内を散歩しながら、くよくよと考えごとをしていた。
9日、作家の瀬戸内寂聴さんが亡くなった。11日昼に一報が入り、その夜の報道ステーションではトップニュースとして扱った。
壮絶な恋愛に生きた稀代の作家である。51歳で出家してからは、振れ幅の大きな人生経験に裏打ちされた深く人情味あふれる法話で、悩める人々の心を救った。親交の深かった黒柳徹子さんは「みんなの味方が、亡くなった」と追悼のコメントを寄せた。
トップニュースのスタジオ冒頭で、キャスターとしての僕は何を述べるべきか。
ニュース用語で「リード」、報ステのスタッフの間ではVTRの「前振り」とも言われる部分だ。僕はおそらく報ステのチーム最年長でもある。「きっと、あなた自身の寂聴像というものがあるでしょう。視聴者の心に刺さる前振りを頼みますよ」という、若いスタッフからの無言のプレッシャーがかかる(と勝手に感じる)。
そこで僕が発したコメントはこうである。
「こんばんは。報道ステーションです。男女の情愛を赤裸々につづった小説を世に出す一方、僧侶として、悩みを抱えた数多くの人々に向き合い続けた瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。99歳でした」。
翌日、散歩をしながらくよくよと考えごとをしたのは、寂聴さんの死が悲しかったからだけではない。そのニュースの冒頭を飾る自分のコメントが、いかにも「可もなく不可もない」ものだったと後悔したからだ。しかもちょっと噛んでしまった。
何度振り返ってみて、オリジナリティのないコメントだと思う。新聞社の腕利きの文化部記者が書く、重厚で流れるようなリードには及ばない。
ではどうすればよかったのだろう。
実は5年以上前、ある人を介し、寂聴さんと一度だけ食事をご一緒したことがあった。プライベートな席ではあったが、テレビで拝見する姿そのままだった。コロコロとよく笑い、軽妙でやや早口なおしゃべりにどんどん引き込まれる。当時の日本政治への辛辣な批評も刺激的だった。
90歳を超えた寂聴さん。なんとチャーミングな人だろうと感銘を受けた。
散歩しながら、前の晩のことをあれこれ考える。スタジオ冒頭のコメントはこういうふうにもできたのではないか。
つまり、最初に「実際にお会いした寂聴さんは、とてもチャーミングな方でした」と一言触れる。続いて「男女の情愛を赤裸々に云々」という言葉を続ければよかったのではないか。実際に彼女に会ったことのあるキャスターだから言えるコメントとして、一味違うものになっていたかもしれない。
いや待てよ、それはニュースを私物化したかのような印象を与えないか。寂聴さん死去という厳粛なニュースに対して失礼になるのでは・・・。
実は、この日の昼過ぎに寂聴さんが亡くなったという一報が入ってから、番組でどう伝えるかで頭がいっぱいになっていた。「前振り」のコメントのみならず、VTRを受けて短くコメントする「後受け」をどうするかについてもだ。
僕の寂聴さんに関する知識は、一度食事をしたという幸運を除けばごく平凡だ。何本かの小説を読み、テレビのドキュメンタリーを見た。そんな僕が大事なニュースの枠を作るコメントを吐くわけだから。
慌てて寂聴さんの小説を取り寄せ、代表作「夏の終り」の文庫本を読み始めた。表題作を含む短編集。この分量なら、打合せを挟みながらも放送本番までに読めると踏んだ。実際、物語に引き込まれて一気に読み終えた。寂聴さんに対して平均的な知識しか持たない僕が、キャスターとして訃報を伝えるための最低限のマナーではあった。
放送本番の「後受け」では、読み終えたばかりの「夏の終り」の感想を伝え、この項目を締めくくった。
訃報を伝えるのは難しい。
ひとりの人間の生涯をまとめ、評価を交えて伝えようとすること自体、そもそも罪深い。スタジオで短くコメントする僕はまだしも、関連するVTR資料を探し、編集してニュース本編として伝えるスタッフたちの責任の重さたるや、想像に余る。
報道ステーションでは、番組本番の最後に、相方の小木・渡辺両アナウンサーとの数十秒間のフリートークの時間がある。この日は自然な流れで寂聴さんの話になった。
食事を共にしたこと。実にチャーミングな女性であったこと。チャーミングという言葉を2回も使って、結局、僕は私的な経験を紹介した。
翌日、くよくよと考えごとをしながら散歩をしていた僕は、「まあ、それでよしとするか」と納得するようになっていた。
寂聴さん死去というトップニュースを伝えるにあたり、視聴者に対して奇をてらわない「前振り」で入り、じっくりとVTRを見てもらい、死去の報に接して著作を読み直したというファクトで「後受け」をする。ややあって、番組の最後で個人的な体験を控えめに語る。
キャスターの仕事として、万全ではないにせよ、その日の流れとしてはまあまあだと思うことにした。
神宮外苑はイチョウが色づき始め、行き交う人がしきりにカメラを向けていた。自分もそのひとりである。秋の日差しはどこまでも穏やかだ。
瀬戸内寂聴さま。安らかにお眠りください。
(2021年11月13日)