こうして向かっているノートパソコンの横には、何通かの年賀状が置いてあり、さて返事を出したものかどうかと悩ましい。毎年、1月9日のあたりはそういう感じである。
あらかじめ申し上げます。僕は年賀状を積極的に出す人間ではありません。
そんな僕でも、もう30年近く前、自宅に初めてデスクトップのパソコンとプリンターを買いそろえた際には張り切っていた。前年に届いた年賀状の住所を、全部パソコンのソフトに打ち込んで保存し、年末に、一気に何百枚もの年賀状の印刷に臨んだこともあった。
しかし、いろいろなことがストレスであった。そもそも、最初に印刷された住所をソフトに書き移すこと自体が大変な作業だった。郵便番号が記されていないものや、達筆すぎて読めないものもある。悪戦苦闘してパソコンで住所録を作り、文面も整え、干支のイラストなんぞもレイアウトし、さて印刷。すると、表裏や上下が逆になって出てきて、ギャーと叫ぶなんてことも数回では済まない。印刷ミスによって、ほぼ屍と化した賀状が恨めしそうに積み重なっている。そうこうするうちにインクも消耗し、買い足しに走る羽目となる。
年が明けても大変だ。住所変更があったらその都度更新しなければならないし、自分が出していない人から賀状が届くと、その人の住所をまたソフトに入力してまた印刷作業が始まる。こちらからの一方通行だった人から遅れて賀状が届くことも多い。
その合間にも、同級生と飲み会があったりもする。飲み会がなくても、めでたい正月だからお客さんが来て昼間から飲むこともあるし、押しかけていって飲むこともあれば、ひとりで飲むこともある(飲んでばかりだ)。
そうしてまたパソコンとにらめっこし、賀状との格闘が再開される。忙しいことこの上ない。お正月をゆっくりと休む、などという心境には到底なれないではないか。
3が日も過ぎ、仕事も再開というころになると、もう投げやりになっていて、遅れて新規に届く賀状の数枚には、もはやすべての気力を失ってお手上げになる。気が抜けてぬるくなったビールで乾杯するのもイマイチだなあ、という心境である。
そもそも几帳面でも筆まめでもない僕は、毎年のそうしたルーティーンに耐えかね、自分から賀状を出すのをやめるようになった。40代の半ば、4年間のアメリカ駐在を経験したことが拍車をかけた。向こうにいても、丁寧に国際郵便でクリスマスカードや年賀状をくれる人はいたが、日本のもともとの住所にくれた人の賀状に対しては、どうしてもルーズになった。それがきっかけだった。
日本に帰ってきて数年が経ち、僕は先方から届いた賀状のみに返事を出す、という作戦に出た。パソコンはとっくに買い替えてあり、住所録も消えてなくなっていたので、すべて手書きにした。これもまた結構しんどい。
そうして次には、すべてに返事を出す作戦を変更し、縁がとりわけ深いとか、敬意を表すべき年上の人たちに絞って返事を出すことにした。賀状をいただいた人たちに対して失敬なことこの上ないが、そうやって僕は年賀状から遠のいていった。
年賀状の呪縛から逃げ出すことばかり考えてきた僕だが、もちろん、申し訳ないという気持ちはある。自分からは賀状を出すことをしない薄情な僕に対してさえ、変わらず賀状をくれる人はいる。本当にありがたい。
家族写真には思わず微笑んでしまうし、「あれ、去年は子どもさんの名前もあったが、なるほどもう社会人になって独立したのかな」などと思わせる、夫婦だけの連名の賀状もある。年賀状のやり取りは、人とのつながりを確認し、近況を知る良い機会であることは間違いない。
年賀状は良いものだと知りつつも、自分は長続きのしない人間であることも良く知っている。どうしたらいいのか。ことしも1月の中旬を迎えようというときに、なお数通の賀状が郵便ポストに届く。ああ。そんなユウウツに包まれるのが、ちょうどこの時期なのだ。
今回は2023年最初のコラムなので、岸田首相が年初に掲げた「インフレ率を上回る賃上げの実現」とか、「異次元の少子化対策」とかについて、僕なりのスルドイ分析によって、その実現の可否を論じてみようと思った。下院議長を選ぶことすらままならなかったアメリカ政治のカオスをきっかけに、ウクライナをはじめとする複雑な今年の国際情勢について読み解いてみようか、とも思った。
しかし、1月9日の僕は、年賀状との向き合い方についてグダグダと書き連ねる方が似合っている感じがします。難しい考察はまた別の機会に。
なんだか出来の悪い書初めみたいになってしまい、申し訳ありません。
私生活ではまるっきり気が利かなくて思いやりに欠け、妻に厳しく叱られてばかりの僕ですが、毎日の放送は決してグダグダになることなく、懸命に精進してまいります。
年賀状をお出しした人も、お出しできなかった人も。
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(2023年1月9日)