期待されない日本
2022年08月06日

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 ニューヨークの国連本部を訪ねてきた。5年に1回開かれる、NPT・核拡散防止条約の再検討会議の取材だ。前回開催は2015年。今回はコロナ禍で2年延期されての開催だった。
 大事な会議だが、取っつきにくい印象があった。でも実際にこの目で見なければならないと思った。今回は特に大事なタイミングだからだ。

 会議に先立つ7月29日午前、ニューヨークの空港から国連本部に直行し、取材パスを受け取って建物に入ると、ちょうどウクライナ問題についての安全保障理事会が開かれていた。意外なほど淡々と議事が進行している。残念ながらそこに出席している常任理事国のロシアは、自国の罪深い行いについて非を認めようとしない。そうして5か月余りが過ぎた。

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 安保理を終えた各国の代表を記者団が待ち受ける「ぶら下がり」スペースがある。そこでウクライナのキスリツァ国連大使を待つことにした。その場にいたのは、国連取材のベテランらしい米テレビ局の女性記者と僕のふたりだけだった。
 雑談をして待つうちに、キスリツァ大使がやってきた。呼びかけると足を止めた。「NPT会議にどのような戦略で臨みますか?」と聞くと、彼は「具体的には担当の代表団の仕事ではありますが」と前置きをしながらも、「今回はとても大事な会議。ウクライナで起きていることは、フェアリー・テイル(作り話)なんかじゃない。本当の恐怖なのです」と言った。その声は、ウクライナ危機に世界が「慣れっこ」になっていくことを懸念しているようにも響いた。

 ウクライナでの戦争でロシアのプーチン大統領が核兵器の使用をちらつかせ、「あの男ならやりかねない」という恐怖が世界を席巻している。それは「核兵器をなくしていこう」という理想とは全く逆の行動の引き金となり、「核には核で」という衝動につながっているかに見える。軍事的中立の立場を重視してきたスウェーデンなどが、NATO(北大西洋条約機構)への加盟を急いだのも、この巨大な西側の軍事同盟の核の傘に入ることを良しとしたからである。つまり、アメリカの核の傘で守られている日本と同じく、「核は役に立つ」という立場を選んだのだ。

 日本は原子爆弾によって多くの人命が失われた唯一の被爆国だ。その日本は自ら核兵器を持つことを選択しない代わりに、米ソの冷戦下にあって、アメリカの核の傘に守られる道を選んだ。核の恐ろしさを身にしみて知る国が、核を頼りにする現実が戦後ずっと続いている。それでも日本はNPTという枠組みの中で、核保有国に対して核軍縮を働きかけることで何とか存在感を示そうとしてきた。

 7年ぶりのNPT再検討会議に合わせて、ニューヨークには各国の代表団に加え、民間の団体も数多く訪れていた。僕はほとんど手当たり次第のようにしてインタビューをしたのだが、少々ショックを受けたものもあった。
 核兵器の廃絶を目指す国際NGOの事務局長からは、はっきりと、「日本には期待していない」と言われた。それには訳がある。
 前回2015年のNPT再検討会議は、核保有国と非核国との対立などで最低限の合意文書すらまとまらなかった。その後、非核保有国の熱心な働きかけが実り、将来的な核兵器の全廃に向けた「核兵器禁止条約」が国連総会で採択され、2021年に発効した。
 しかし、米ロを中心とする核保有国をはじめ、日本のように核抑止力に頼る国も締結国には加わっていない。国際NGOの事務局長が「日本には期待してない」と言うのはそのことを指す。

 安全保障の理想と現実の乖離がそこにある。国連の場でインタビューした各国の外交官は、おおむね日本の立場を理解していた。スウェーデンと同様、NATO加盟を決めたフィンランドの高官などがそうだったし、核兵器禁止条約の締結と発効に尽力した中立国オーストリアの高官ですら、日本が置かれた立場には一定の理解を示してくれた。
 しかし、それは職業外交官ならではの言葉でもあり、民間人はそうはいかない。
 核兵器禁止条約の成立にも大きく貢献し、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の事務局長は、「被爆国の日本にはつい期待してしまうんですよね」とほとんどため息をついていた。裏を返せば、期待してもどうせ裏切られるのが日本だというわけだ。

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 僕もこれまで、理屈で物ごとを分かったつもりになってきた。だが、今回の取材を契機に、日本はやはり、堂々と核兵器廃絶の理想を語るべきではないかと思うようになった。   
 核兵器に守られていながら矛盾している?確かにそうだ。しかし矛盾していてもいいではないか。日本はやはり核兵器禁止条約の締約国になるべきであり、岸田総理は来年開く広島サミットで、堂々と核兵器廃絶を宣言すべきではないのか。
 理想と現実は違う。だが、違うからと言って理想を語ることをためらうべきではない。世界のどの国を見ても、理想と現実が一致しているところなどひとつもないのだ。今回のNPT再検討会議が、前回に続いて合意文書なしで決裂すれば、この枠組みの存在意義すら土台から揺らいでしまう。まず高い理想から発して、核軍縮に向けた最低限の中身でも合意を確認しなければならないと思う。日本はそこに貢献する務めがある。

 いつもより厳粛な気持ちになってこの文章を書いている。きょうは8月6日。77年前、広島に原爆が落とされた日だ。平和記念式典で、地元の小学校6年生の男女が「平和への誓い」を述べた。「自分が優位に立ち自分の考えを押し通すこと。それは強さとは言えません。本当の強さとは違いを認め相手を受け入れること。思いやりの心を持ち相手を理解しようとすることです」。
 力づくで「自分の考えを押し通す」ことに血道をあげる指導者たちは、この言葉をどう聞くだろう。しょせん人間とは愚かであり、そうした歴史を繰り返すものだと物知り顔をする人たちは、この言葉をどう聞くだろう。
 「本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです」と小学生たちは訴えた。
 理想にも現実にも大真面目に向き合い、諦めない本当の強さを持たなければならない。大人になった今だからこそ、あえて心に言い聞かせたい。

(2022年8月6日)

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