よく考えてみれば、今の状態は国家的危機なのではないのだろうか。
7月28日木曜、新型コロナウイルスの新規感染者が全国で23万人を超えた。東京都だけでも4万人超えで、いずれも過去最多である。かつてのデルタ株のように重症化率が高くないことは理解している。しかし、これだけの感染者が出れば、おのずと重症者も増えるわけで、ほとんどの国民が心の中に恐怖や不安を抱えるのは自然なことだ。
こんなこと、僕は60年生きてきたが、初めてだ。
国家的危機であることを「よく考えて」みないと気づかないのは、僕の感覚がどこか「コロナ疲れ」をしてしまい、鈍っているせいかもしれない。だが、どうもそれだけではない気がする。
ウイルスの侵入を防ぐのは無理な話であり、中国のような、いわゆるゼロコロナ政策をとるのは現実的ではない。白い防護服を着た警察官に、ちょっと外出したからと言って有無を言わさずに詰問されるのはごめんだ。
だからこその「with コロナ」であり、社会経済活動も回しながら、感染対策にも力を入れる。その必要性は、多くの国民が受け入れているところだと思う。
問題は、それが掛け声だけに終わっていることだ。つまりは「国の無策」としか言いようがない。諸外国の例を見れば、オミクロン株の亜種(今回の感染の主流となっているBA.5など)の到来は予想できたことだ。だからこそ、「with コロナ」は掛け声だけで済ませてはならなかった。
きわめて温厚な性格で知られる?僕が、「国の無策」という強い言葉を使うのは、昨夜の放送で紹介した厚労省の対応に、あまりにも首をかしげてしまったからだ。かしげすぎて、翌朝、寝違えたかと思ったくらいだ。
厚労省は、各都道府県に対し25日に、コロナの抗原検査キットを配る約束をした。そのために1億8千万回分の検査キットを確保していると胸を張っていた。しかし28日現在、どこにもキットは届けられていない。(その後、厚労省が27日に2県のみ送付していたと発表)。番組スタッフがその理由を厚労省に取材してみると、担当者は、配送業者と都道府県の間の調整ができずにいるなどと説明した上で、「批判されても仕方ない。申し訳ない」と答えたという。素直と言えば素直だが、裏を返せばお手上げ状態であることを認めている。
検査キットは、感染疑いがある人がまずは自分で検査をしてみて、陽性かどうかを調べるひとつの手段である。そこで陰性となれば安心するし、発熱外来への過剰な受診の抑制につながるという狙いだ。厚労省は、都道府県の通知の中で、キットの利用者への配り方は、各都道府県に委ねるとしている。一方で、ひとつの例として、病院の発熱外来にキットを用意し、そこで個人に配布する方法を示していた。
ちょっと待ってほしい。ただでさえ対応がひっ迫している発熱外来に、検査キットを求める人が殺到したらどうなるか。目的と真逆となってしまうことが想像できなかったのだろうか。
長い間仕事をしてきた人ならわかる。ロジがなっていない組織は根本的にダメだと。ロジとはロジスティクス(logistics)、軍事用語で兵站とか後方支援を意味する。そこから派生して、物事をスムーズに運ぶための段取りをしっかりと組むことを言う。立派なビジネス用語になっている。
日本という国は細かな目配りが得意な国で、ときに細かすぎて煩わしいことはあっても、ロジには長けている国だと、僕は勝手に信じ込んでいた。ところが、それは勘違いであることを知った。
こうなったら軽症者には受診を我慢してもらうしかない。それは、番組が取材した現場の医師たちの切実な声でもある。治療が必要な中等症や重症、または持病があって重症化しやすい人を診られなくなる怖れが大きくなってきたからだ。
「軽症者は受診を我慢してください」と言うのは、医師として忸怩たるものがあるという。それはそうだろう。だから、受診抑制のためのある程度の基準を国が作ってほしいと、現場の医師たちは訴えている。しかし、国がそれに応える様子はない。
国は、このまま息を止めて、耳栓でもして嵐をやり過ごせば、いずれ波は収まるはずだという目算か。しかし、それではいけないというのが第6波の反省ではなかったのか。再び同じことを繰り返すことになるのではないのか。岸田首相や関係閣僚は、参議院選挙の応援で走り回るのも結構だが、すぐそばに来ていた感染再爆発にどれほど準備をしてきたというのか。
もはや知らんぷりも自治体任せにもできない。with コロナ で行くことを決めた以上、社会活動を維持する前提となる「安心」のための政策を、矢継ぎ早に打ち出すべきだ。
岸田首相の「聞く力」は、聞いて飲み込んでしまう力ではないはずだ。現場の声に耳を傾け、即応してほしい。
リーダーシップという月並みな言葉を使うのは好きではないが、今はまさにその発揮のしどころなのだ。考えてみれば国家的危機なのだから。
(2022年7月29日)