

このところの天気はもはや暴力的だ。「地球温暖化」なるものが、いよいよ正体を現してきたように感じる。「おんだんか」という緩やかな響きに油断しているうちに、40度超えすら珍しくない気温を体感するに至って、遅ればせながら、これはわれわれの生存に関わる危険であることを実感した。
そして、猛暑の裏返しとも言える大雨の被害もすさまじい。この1、2週間は毎日のように大雨のニュースがトップに陣取った。番組冒頭のコメントを作る僕は、その日の雨の特徴をどう表現するかで日々苦労した。
雨、雨、9月の雨。
僕らの世代では、太田裕美さんの「九月の雨」が良く知られている。「報道ステーション」の本番が迫る中、ニュースの冒頭コメントを考えながら、いつの間にか脳は「九月の雨」の歌詞を反芻していた。
「九月の雨は冷たくて」というリフレインが印象的な楽曲だ。そうか、昭和の頃は9月の雨が冷たく感じられたのか。いまや9月は夏というカテゴリーに収まったかのようで、その雨はまるで熱帯のスコールだ。冷たくはないが、人々を苦しめる猛烈な雨。
それにしてもトップニュースは連日、雨だ。「はじまりはいつも雨」と歌ったのはASKAだっけ。すてきな歌詞だ。だからと言って、番組冒頭から歌詞を口ずさむわけにはいかない。毎回、日々の雨の特徴をコメントに差し挟み込もうと努力する。被害に遭った人たちの心にも寄り添おうと心がける。
この日も冒頭のコメントに悩みながら、もう、率直な思いを言葉にするしかないと思った。だいたいこのごろの雨は、いやお天気全般として、極端に振れ過ぎる。猛暑かと思えば、ときに落雷や突風を伴うひどい雨の連続。つまり「降れば土砂降り」なのだ。
でも、「降れば土砂降り」というフレーズは、日常生活ではあまり使わないような気もする。念のためネットの辞書で調べると、悪いことが起き始めると一気にその悪いことが重なっていく、という趣旨が説明されている。そんなことをしながら思い出した。この言葉は、高校の授業で「英語のことわざ」のひとつとして教わった。もう一度ネットで調べると、なるほど、こんな英語が出てきた。
It never rains but it pours.
直訳すると、激しく雨が降る(pours)ことなしに(but)雨は降らない(never rains)。二重否定は強い肯定であり、「降れば土砂降り」という日本語訳となる。このフレーズを、受験勉強中の僕は何度も暗証したものだ。残念ながら、僕が経験した大学入試でこの文章が出題されることはなかったが。そんな余計なことを考えながら、この日のニュースはこんな語りから始めた。
「こんばんは。報道ステーションです。猛暑にうんざり、でも降れば土砂降り。このごろのお天気はとにかく『ちょうど良い』ということがありません」。
もうひとつ余談だが、「土砂降りだ!」と思わず叫んでしまうようなとき、英語ではこんなふうに言うのだと、やはり受験生のときに教わった記憶がある。
It’s raining cats and dogs!
几帳面な日本人的感覚から言うと、これは文法的に理解しがたいし、イヌやネコがどうして登場するのかと突っ込みたくなる。しかし、土砂降りのときはこう表現するのだと教わり、大学に受かりたい一心の僕は生まじめに暗証した。そしてこれまた、決して試験に出題されることはなかった。
余談が過ぎた。
東京はこの週末も雨雲が行ったり来たりの落ち着かない空模様だが、くたびれた身体に鞭を入れるようにして立ち上がり、キャップをかぶり、近くの川沿いの遊歩道を歩く。まだまだ空気は重たく、過剰な夏の余韻に満ちている。人間はやはり、肌に触れる感覚こそが一番のニュースなのかもしれない。9月に似つかわしくない重たい空気や、イヌやネコもびっくりするような大雨から、人はこの地球が好ましくない方向に着実に進んでいることを実感するのだ。
それでも、歩いていると季節がゆっくりと移ろっていくのを感じる。時折吹く風は少なくとも8月よりは涼やかで、木々にしがみつく蝉の声を聞くと、アブラゼミは去ってツクツクボウシや蜩(ひぐらし)へと主役が代わっている。
長いこと報道の仕事をしてきた経験則から、9月は社会がもう一度動き始める季節である。政治の世界では、自民党総裁選挙がまもなく告示される。各陣営は準備に余念がなく、「全身全霊で取り組みます」とか、決意の言葉がいくつも並ぶのだろう。また忙しくなる。
ただ、勇ましい言葉よりも、優しい言葉があふれる秋であってほしい。それくらいこの夏は厳しすぎた。
太田裕美さんの「九月の雨」は、こんな歌詞で終盤を迎える。
「九月の雨は優しくて (中略) 涙も洗い流すのね」
さすがに、下旬に入る頃には猛暑日もほぼ消え、夏日も少なくなると天気予報が伝えている。疲れた人々に、優しい雨が少しでも癒しをもたらしてくれますように。そして、厳しい夏を乗り切ったすべての人たちへのご褒美として、豊穣の秋の到来となりますように。
(2025年9月13日)

