快挙の意味
2024年09月07日

 ときどき辛口の番組批評をする妻が、この日帰宅すると「とても見ごたえのあるニュースだった」と、いの一番にほめてくれた。「はて?」と問うと、それはパリパラリンピックの車いすラグビーで、日本が悲願の優勝を果たしたニュースだという。

 決勝はアメリカとの一進一退の攻防で始まった。ただ、試合開始は日本時間の午前2時半からであり、僕は生放送での観戦を断念し、その日はいったん眠ることにした。朝遅く起きて、ニュースで先に結果を知り、安心して?試合の録画を見たのだった。そして、この競技の面白さと、日本優勝のニュースを伝える意義深さを、つくづく感じたのである。

 本当に工夫の凝らされた競技だと感心する。
 出場する選手は、障害の程度によってそれぞれ持ち点がある。障害が重ければ持ち点は小さく、軽いほど持ち点は大きくなる。そして、出場選手の持ち点の総数を8点以内に抑える決まりになっている(女子選手が1人加わるごとに8点の上限が0.5点ずつ増える)。つまり、障害の軽い選手ばかりでは持ち点の限界をすぐにオーバーしてしまうわけで、選手起用の妙が勝敗の大きなポイントとなる。
 録画で見ながら、この競技はアメリカンフットボールのようでもあり、サッカーのセットプレーにも似ていると感じた。車いす同士が激しく衝突する迫力はもちろんだが、計算し尽くされた陣形やパス回し、相手のボールを奪い返す瞬時のテクニックなど、見どころは豊富だ。

 決勝戦を報じた報道ステーションのVTR編集は秀逸だった。トライの瞬間のみならず、トライを成立させるための「陰の主役」たちの動きを克明にとらえていた。チーム唯一の女性、障害が重く持ち点が0.5という倉橋香衣選手が、相手ディフェンスの動きを読み、巧みなチェアさばきで果敢に突進し、先んじて止める場面がクローズアップされていた。そうしてできた空間をついてトライが量産される。攻撃型の選手と、守備型の選手による絶妙な調和によって、2大会連続で銅メダルだった日本がとうとう頂点に立ったのだ。

 普段、あまりスポーツに興味のない妻だが、選手たちが持つストーリーに心を揺さぶられたのは間違いないようだ。
 チームのキャプテン・池透暢(ゆきのぶ)選手は、19歳の時の交通事故で、全身の75%に火傷を負い、左脚を切断した。実は同乗していた3人の友人がこの事故で死亡しており、池選手は、集中治療室を出た段階でそのことを知らされたという。
 以来、池選手は自らの障害のみならず、友人たちの死をも背負って生きてきた。その中で出会った車いすラグビーは、亡き友人たちへの自らの「生きる証」でもあった。金メダルを、天の友人たちに掲げた池選手の表情には、最高の生きる証を示すことができた万感の思いがこもっていた。

 アスリートにはそれぞれの物語がある。中でも、パラ・アスリートたちの物語は重層的だ。生まれつき障害がある選手、病気やケガで障害者となった選手。そして、戦争で障害が残った選手たちもいる。パラリンピックの舞台は、逆境を乗り越え、あるいは正面から向き合ってきた人間こそが放つ、独特の光があふれる。その光を最大限に引き出すために、それぞれの競技でのルールづくりや、種目の分類が重ねられて今日に至る。

 僕は、2016年のリオデジャネイロ大会を現地で取材したことがある。多くの競技場が集中する主会場のパークは、たくさんの観客があふれていた。先生に引率された小学生くらいの子どもたちの姿も目立った。
 その子たちに、通訳を介して「パラリンピックで好きな競技ってある?」と聞くと、みんな「ゴーボー、ゴーボー!」と叫んでいた。うまく聞き取れずにキョトンとしている僕に通訳の女性は、「ゴールボール、だそうですよ」と優しく教えてくれた。子どもたちは、ゴールボールを観戦した帰りらしく、興奮冷めやらぬ様子だった。子どもは、障害という垣根を取り払って、競技そのものの魅力を見つけるのが得意なようだ。

 そして車いすラグビーの快挙から3日後の朝、今度はそのゴールボールで、男子が金メダルを獲得した。ゴールボールは、視覚に障害がある人が取り組むことのできる競技で、バレーボールほどのサイズのコートで、敵味方3人ずつが争う。公平を期すために、アイマスクで完全に視覚を遮ってしまうので、完全な暗闇の中での勝負だ。中に鈴が入ったボールを攻撃側が相手ゴールに投げ込み、守備側はそれを、体を張って阻止する。

 その日のスタジオには実際のボールが持ち込まれた。番組では出演者一同、手に取って投げてみることにした。大きさはバスケットボールほど、重さはその2倍だ。実際に投げてバウンドさせてみるがうまくいかない。相方の徳永アナに「ちゃんと投げなさい!」とばかりに投げ返され、もう一度トライする羽目になってしまった。
 トップレベルの試合では、選手はこれを100球ほど、時速60から70キロほどのスピードで投ずるというから驚きだ。選手たちが、いかに超人的なトレーニングを積んできたかを実感した。

 失ったものや、備わっていないものに目を向けるのではなく、持てる能力を伸ばすことの意義を、パラリンピックは教えてくれる。実際に競技場に足を運ぶことで得られる気づきはなおのこと大きい。その魅力を知っているからか、パリ大会は連日、会場が大いに盛り上がっている。「3年前もこうなるはずだったのに」。無観客試合となった3年前の東京大会を思い出し、コロナウィルスに対する恨めしい思いもよみがえった。

20240909

 週末、自宅近くにある都立公園を散歩していると、白く太いキノコが「ニョキッ」と生えているのに出くわした。調べてみると「ハラタケ科」に属するキノコらしい。夏の濃い緑の中に、秋の到来をいち早く告げているようにも見えた。
 3年前もそうだった。秋の気配を感じたのは、東京パラリンピックが終わったころだった。僕は報道ステーションのキャスターに起用されることが決まり、準備のためテレビ朝日にしばしば顔を出していた。少々緊張していた時期だけに、よく覚えている。その行き帰りに、通り道にある国立競技場を眺めていたものだ。
 あのころと違うのは、気温がもっと高くなってしまっていることと、職場の仲間とほとんどマスクなしで会話できるようになったこと、そしてスポーツのアリーナに観客の声援があふれるようになったことである。

(2024年9月7日)

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