連日、こうも暑いと、口から出るのは愚痴や小言ばかりである。
ことしのゴーヤはどうも変だ。何本かの苗を植えたのが確か5月のこと。それから高温多雨の梅雨を経て、ゴーヤは暴力的なほどに成長し、日よけになるどころか強烈な日光をほぼ遮断するくらいの茂り方である。黄色い花があちこちで咲いている。
それ自体は喜ばしいことだ。しかし、今年は異変が起きているのかもしれないと気がついた。雄花(おばな)しかないのだ。雌花(めばな)をいくら探しても見つからないのである。
どういうことだ。ゴーヤの濃い緑色のゴツゴツした実は、キュウリなどと同じく雌花に受粉することで初めてできる。雌花が少ないことは経験で知っているのだが、雌花がこんなに見あたらないのも初めてだ。実がならないゴーヤはただの草むらじゃないか。あの独特の苦みを、チャンプルーにしたり、水にさらして鰹節と醤油をかけてビールの供とする、そんな僕の楽しみはなぜ奪われなければならいのか。
そんな憤まんをぶつけたわけではないのだが、19日金曜日に伝えたニュースでは、思わず、アドリブで毒づいてしまった。
それは、首相官邸で開かれた観光立国推進閣僚会議。ここで岸田首相は、全国に35ある国立公園を観光資源としてもっと活用しようじゃないか、と旗を振った。僕が「なんだこりゃ」と思ったのが、首相発言のありようである。岸田首相は会議の冒頭、手元の紙に目を落としながら、こう発言した。
「国立公園制度100年を迎える2031年までに、地域の理解と環境保全を前提に、世界水準のナショナルパーク化を実現すべく、民間活用による魅力向上事業を実施してください」。
これはいったい何が言いたいのだろう。「世界水準のナショナルパーク化」ってどんな水準なんだ。世界水準だからと、わざわざナショナルパークなどという英語を使う発想もチープすぎる。それに、「魅力向上事業を実施してください」とあっさりと言われてもぽかんとするばかりである。肝心の「魅力向上」の意図するところをすっ飛ばしてしまっている。言語明瞭・意味不明燎の典型みたいなもので、いかにもお役所の作文である。
VTRの後、僕はスタジオでこんなふうにコメントした。「お役人というのは、こんな言葉で人々の心に届くとでも思っているんでしょうかねえ」。もちろん、そんな言葉をひょうひょうと読み上げる岸田首相にも首をかしげながら、である。
頭がヒートアップする前に、そもそも国立公園とは何か、振り返ってみたい。北海道の知床、本州の富士箱根伊豆、沖縄の西表石垣などなど、全国で35の国立公園が指定されている。「自然保護と持続可能な利用の両立」を掲げ、ホテル建設などを行う場合には申請や届け出が必要となる。国による厳格な規制が行われてきた、まさに自然の宝庫だ。
ちなみに僕が子どものころ、記念切手の収集にはまったことがある。すばらしい景観を小さな切手サイズに見事に切り取った「国立公園シリーズ」や、それに準ずる「国定公園シリーズ」などは垂涎の的であり、なけなしの小遣いを貯めて購入しては、友だちに自慢していたものだ。そんな僕ならずとも、国立公園は日本人の心の拠りどころとも言える存在だ。
そうした国立公園に、高級リゾートホテルなどを誘致し、インバウンド客を呼び寄せようというのが今回の方針の柱である。そしてこの問題は、おそらく賛否両論が渦巻くことになる。
もちろん、国立公園にも一定程度、人の手を加えることは必要だ。人々に親しまれる存在であるために、安全を確保しながら滞在できる一定の滞在施設も必要だ。一方で、それは自然保護との両立が前提なのであり、持続可能でなければならないというわけだ。
番組では、尾瀬国立公園とそこに関わる人たちの努力を伝えた。パンフレットひとつ作るにも尾瀬の木道の廃材を使う地元のホテル、国立公園の入り口から先はマイカーの乗り入れを禁止する徹底ぶり、そもそも、後に全国に広がった「ゴミ持ち帰り運動」発祥の地がこの尾瀬であることなど。
観光立国を掲げ、日本の良さを世界中に認識してもらい、われわれ日本人もそれを再認識するという政策理念に異を唱えるつもりはない。しかも、円が安くなり、インバウンド客を呼び寄せやすくなった今は、とても現実的な政策理念でもある。
一方で懸命の努力で保たれてきた「自然保護と持続可能な利用」のバランスが崩れることはないのか。日本の国土が持つ貴重な価値を高めるどころか、外貨欲しさに切り売りすることにつながりはしないか。その懸念を払拭するだけの説明がなされてしかるべきだ。
そのデリケートな領域に対して、「民間活用による魅力向上事業を実施してください」という、のっぺらぼうのお役所言葉を平然と使うこの国の為政者に、僕は強い違和感を抱いたのである。
日が落ちて来て少し暑さも和らいだので、もう一度ゴーヤの棚を見に行った。これも雄花、あれも雄花。やはり雌花はないのかとあきらめかけていたら、葉っぱの陰にようやく赤ちゃんゴーヤを見つけた。しぼんだ雌花の胴体が少しだけ太ってきて、小指の頭くらいになっている。
異変だと大騒ぎしても、やっぱりゴーヤは実をつける。なんだかほっとした。実はほかにも気になることがあったのだ。今年はなかなかセミの鳴き声が聞こえてこないなと感じていた。暑すぎて羽化をあきらめでもしたのかと心配していたが、学校の夏休み入りを待っていたかのように、遅ればせながらといった風情でミーンミーンと合唱を始めた。もうげんなりの暑さではあるが、自然はかろうじて摂理を保っている。
僕も落ち着いてニッポンの夏を乗り切ろう。お上がやることをけしからんと愚痴るだけでなく、建設的な批判と冷静な見識をもって伝えていこう。
夏が終われば自民党総裁選だ。あれやこれやあった岸田政権の命運やいかに。この国の進路がかかる政治の季節は、酷暑のすぐその先である。
(2024年7月21日)