ジャーナリスト カフェ
2024年07月07日

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 「ジャーナリスト カフェ」というと、なんだか気難しい喫茶店みたいな名前だが、実際にはコーヒーどころか水のサービスもない、シンプルなイベントである。「店主」である僕がそもそも気の利かないタイプなので、無骨なしゃべくり専門である。
 いや、むしろこちらから何かをサービスするというより、会場と双方向でコミュニケーションを図り、ジャーナリズムの仕事、メディアの役割について互いに気づきが生まれてほしい。その延長線上に、会場からジャーナリズムの仕事を目指す若者が1人でも生まれてくれれば嬉しい。そんな気持ちでこの取り組みを始めている。

 2月に故郷の新潟で、地元紙の新潟日報社との共催で開いたのが1回目。そして、2回目の今回は大阪である。地元の雄・大阪公立大学と、日本経済新聞社大阪本社が共催してくれた。会場となった大阪公立大杉本キャンパスの講堂には、学生・社会人合わせて250人以上が集まり、おかげさまで大変な賑わいとなった。

 日経大阪本社の丸谷浩史代表とは、東京・政治部時代、ワシントン支局時代と、同業他社の記者として切磋琢磨した関係だ。机上の空論でなく、積み上げたファクト(事実)のみによって現象を読み解いていく彼の姿勢、何よりそのファクトを掘り起こす飽くなき取材力に、僕は敬意を抱いてきた。共に一匹狼タイプで妙にウマが合った彼は、「ジャーナリスト カフェ」を一緒にやらないかという提案をふたつ返事で引き受けてくれた。そして、トーク・パートナーとして共にイベントを引っ張っていくことを約束した。

 聴衆の皆さんの熱心なまなざしに反応するようにして、僕はイベント冒頭から早口でまくし立てた。異常気象、人間を凌駕しかねないAI。社会はこれまでの境界線に収まらないところで変容を遂げている。だからこそ、社会の良質な情報インフラとしてのわれわれメディアの役割は増している。
 大阪出身の丸谷君は地元の水が心地良さそうだ。彼は専門の政治経済の分野に加え、アップル社のiPhoneを初代機から並んで買ったほどのデジタル・フリークである。デジタル技術がどう社会を変えるのか。そこにジャーナリズムが果たす役割は何か、さらには大阪・関西万博の意義に至るまで。こちらも冒頭からヒートアップである。

 少し休憩をとり、この後の時間はすべて会場との対話にあてる。発言を募ると一斉に手が上がった。すでに大手新聞社に就職が内定しているという学生の質問はこうだった。
 「事件事故の遺族取材をすることに不安があります。その意義や、これからの取材のあり方について意見を聞きたい」。
 いきなり芯を食った質問である。悲惨な事件事故や災害の現場。その取材のあり方をめぐって、しばしばメディアは批判にさらされる。悲しみに暮れる遺族の前に、取材者は粛然と立ち止まって当然だ。それでも話を聞き、この現実を世の中に伝えることも責務だと取材者は悩む。相手に礼節を尽くすことは当然だし、無理強いしてはならない。答えはない。そのはざまで悩み続けることを忘れないことだ。
 そして僕はもうひとつ付け加えた。悲惨な思いをした遺族の中には、自分の辛さを、自分が味わった思いを「聞いてほしい」という人たちが少なくないことも、忘れるべきではないと。直後の取材は拒否されても、あるいは声すらかけづらくても、一定時間を経て、「聞いてほしい」という遺族の願いに寄り添えるのもまた、メディアの仕事なのだ。

 いわゆるメディア・リテラシーについても議論は展開した。まずはメディア側の基本姿勢である。丸谷君は、それは原稿表現の細部に表れると強調する。
 例えば、ある重要な会談の記事を書くとする。記者はその場を描写する用語として、「両者がにらみ合った」などと表現したくなる。でも、それは本当だろうか。にらみ合う、というのは主観が混じった表現であり、ましてや記者はその場に立ち会ってもいなかったりする。そうした場合は単に「会った」と表現すればいいのであり、「にらみ合った」などと表現することなく緊迫の度合いを読者に伝えたいならば、ひたすらそこで語られたファクトを取材して、記事にすることに尽きるのだと。

 午後0時半に始まったイベントは、休憩をはさんで議論が3時間に及んだ。デジタル全盛の中でのマスメディアの役割とはどうあるべきか。僕たちはそんなテーマに席巻されるかもしれないと考えていた。
 だが、会場からの声は、取材する側とされる側の人間関係に関するものが多かったように思う。よく、われわれ取材者は「相手のふところに入る」という言葉を使うが、それはどういうケースで可能になるのか、方法はあるのかといった質問が多かった。
 学生までの間は、基本的に人間関係は自然発生的にできる。幼なじみ、クラスメイト、同じ部活動の仲間などなど。しかし、仕事ではそれとは違った人間の信頼関係を築くことができる。取材される側にとって取材者は、ときに都合の悪いことを暴く厄介な存在かもしれない。しかし、それでも双方は互いの仕事への姿勢をリスペクトし、信頼し合うことができる。結果的にそういうところから大きなスクープは生まれる。

 この「ジャーナリスト カフェ」の議論は、決まった答えや結論を出す場ではない。今回は僕にとって、取材という仕事の原点にある「人間と向き合う」ことの大切さを確認する機会となった。会場に集まってくれた人たちはどんなことを感じてくれただろうか。このイベントはまた場所を変え、できるだけ多くの人たちと本音で語り合いたいと思っている。

 というふうに、このコラムを着地しようとしていたら、テレビでは東京都知事選挙の開票速報が進んでいる。本命の現職・小池百合子氏の優位は動かないが、YouTubeをはじめとするSNS戦略でブームを巻き起こしてきた石丸伸二氏が、知名度に勝る蓮舫氏を大きく引き離して2位につけている。
 SNSという新しい、かつ膨大な情報の海で、政治が大きく動こうとしている。どのメディアであれ、取材相手との人間関係を大事にし、丹念に情報を引き出す努力の大切さは変わらない。しかし、インターネット上であふれる匿名の声のうねりがどこに向かうのか、僕らはこれまで以上に敏感でなければならない。
 泡沫と言われたドナルド・トランプ氏が、あっという間に大統領の座に上り詰めてからまもなく8年。既存政党への不信がつのる日本の政治も、デジタルの波に乗って、これまでみたことのない景色に突入するのだろうか。
 ジャーナリズムは現場で成り立つ。スタジオを飛び出し、あるいはスタジオに一線の当事者を招き、現場感あふれる報道ステーションを作っていきたい。そのキャスターとして、しっかりと時代に目を凝らしていかなければならない。

(2024年7月7日 七夕の夜)

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