130キロへの道
2024年06月24日

 「とうとう、後戻りのできない航海に出てしまいましたね」。
 放送後、番組プロデューサーのU君が嬉しそうに、というか、いたずらっぽく口角を上げながら話しかけてきた。そう、もう後戻りできない。大越健介62歳、退路を断っての挑戦だ。このきわめて私的な、だが、考えようによっては人生100年時代に、貴重なヒントを与えてくれそうな気がしないでもない企画、「大越健介 球速130キロへの道」は、とうとうオン・エアされてしまった。

 もともと、U君との会話の中から生まれた企画であった。ある日、僕は自慢げに彼に切り出した。
 「なんだか、このところ肩の調子がいいんだよ。これまではボールを投げると肩に引っかかるような痛みがあって、ずいぶん長いこと、ちゃんと肩を使えていなかったんだ」
 「ほうほう」
 「それがさ、報ステのキャスターを始めたころからきちんとジムに通っているせいか、肩がスムーズに回るようになった。シャドーピッチングをしても不安を感じない。こりゃ行けるんじゃないか、ってオレは感じたんだよね」
 「行けるって、なにを?」
 「ロッテのエースだった村田兆治さんは、現役引退後もしばしばすごいスピードボールを投げていた。そして、離島の野球少年を支援したりしながら、60歳を越えても、なんと130キロくらいのボールを投げていたそうだ」
 「つまり、何が言いたいんすか?」
 「だからさ、オレもひょっとしたら出せるんじゃないかって。130キロ、いやせめて120キロ…」

 するとU君は、不敵な笑みを浮かべてその場から立ち去ったと思うと、何日かして紙一枚持って僕のところにやって来た。
 「番組スタッフは面白そうだって言ってますよ。やっちゃいますか!」
 彼が手にした紙は、タイトルに「60超えても野球やろうぜ!大越健介130キロへの道」と書かれた企画書だった。大谷翔平選手が日本中の小学校にグラブを贈って、「野球やろうぜ!」と呼びかけたことがあったが、ほとんどそのパクリである。

 無謀な企画ではあった。プロ野球の投手なら当たり前のように150キロくらい投げる時代とはいえ、130キロという球速は相当なものだ。バッティング・センターに行くと、球速100キロでも結構な速さを感じるものである。
 そして、そもそも僕に、あの村田兆治さんを引き合いに出す資格などあるのだろうか。大学まで投手を務め、東京六大学野球ではリーグ戦通算8勝27敗という輝かしい(!)成績を残したとはいえ、サイドスローからのくせ球で、相手をだまくらかすことを信条としていたのが僕である。僕の学生時代、スピードガンはアマチュアの間ではまだ普及しておらず、球速を測ったことがないのだが、最盛期でも130キロ出ていたかどうか疑わしい。それが62歳にもなって130キロというのは、現実性を無視していないか。

 言い出しっぺである僕の心に、不安ばかりが膨らんでいく中、実際に投げて計測するロケの日程が迫ってきた。誰かにキャッチボール相手になってもらい、肩慣らしでもしようかと思ったがやめた。どうせまな板の上のコイだ。開き直るしかない。
 当日、プロデューサーのU君は、僕と全く同じトレーニング・ウエア姿でロケに同行した。「いざという時、影武者になりますから」とニコニコしながら言う。どうやらU君は時間を見つけては、ひそかに投球練習にいそしんできたらしい。でも、そもそも影武者が登場するような事態になれば、このロケは成立しないではないか。学生時代はアメフトの選手だったU君は、まじめなのか遊びなのか境界線不明のところがある。

 ロケ会場の都内の室内練習場に待ち構えていたのは、あの松坂大輔さんだった。よりによってこんな大スターを呼ぶなんて。ご多忙の松坂さんをわざわざ引っ張ってきたのは、同じくU君というスポーツ担当のデスクだ。ふたりのU君によって、前代未聞のロケが始まることとなった。僕は「よろしくご指導お願いします」と腹を括って一礼し、まずはストレッチングから松坂さんの教えを乞うことにした…。

 ここから先は、放送を見ていただいた方はすでにお分かりだと思うので、簡単に書く。結果は106キロだった。どうでしょう。
 若いころから身体は柔らかい方だったが、それが今もある程度維持されていたことがプラスに働いた。また、スピードを出すために最初オーバースローを試し、いまひとつだったところを、松坂さんが、「大越さんの身体の使い方は、サイドスロー仕様です。だから腕をもっと下げて、本来のサイド気味にしてみては」と的確にアドバイスしてくれたことが大きかった。最初は87キロしか出なかったのが、約30球投げて、最後は106キロまで球速は伸びたのである。

 最後は松坂さんからも拍手をもらっての大団円。いやあ、よかったよかった。プロデューサーのU君が影武者として登場することもなかった。でも、もうひとりの、スポーツデスクのU君の表情が一瞬曇ったのを、僕は見逃さなかった。彼の表情はこう語っていた。「この企画、続編を作ることになる。最初は勢いでロケしたが、次回は難しいぞ」。
 確かにそうだ。130キロを目指す以上、106キロはまあまあの数字ではあるが、目標までは程遠い。伸び盛りの若者ならともかく、62歳のおじさんに伸びしろがどこまであるかはわからない。

 だが、僕は楽観的な男だ。録画で見ると、まだ腕の角度が不自然だ。松坂さんの助言どおり本来のサイドスローにできたら、もうプラス5キロ行ける。松坂さんからはもうひとつ助言があった。下半身の重心が一塁側に逃げてはだめで、捕手に向かって真っすぐ体重移動すべきだというものだった。これができればもうプラス5キロ。
 そうだ。ボールの指の掛かりが悪かった。つかんで投げるというイメージだった。これを改め、指先までしっかり意識してリリースできればもう5キロ伸びる。あとは、もう最先端の科学的アプローチしかない。球の回転などを最新鋭機器でチェックしてフォームを改善する。これで何とか130キロに到達できないだろうか。

 心は早くも次回のロケである。やはり身体を鍛えるという根本的なところを避けては通れないようだ。ようし、何でもやってやろうと僕はやる気満々だった。実はあのロケの後も、肩もひじも痛むことはなく、筋肉痛もしばらくなかった。
 ところが、である。ロケから1週間ほどたって、全身に猛烈な倦怠感と痛みが来た。年を取ると、筋肉痛を感じるのに時間がかかると言うが、まさか1週間を要するとは。この日、僕は家に帰って倒れ込んだ。
 すると、普段はめったに動かず、1日23時間は寝ていると思われる物静かなネコ・小夏が珍しく寄ってきて、鼻をペロリと舐めた。「おとうさん、がんばってね」と言われたようで嬉しかった。

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これからも山あり谷ありだと思う。高いハードルがすんなり越えられるとは思わない。個人的な記録をテレビという公器で紹介することに遠慮がなくもない。しかし、同じ年を取るなら、健康でいきいきとして過ごしたい。自分の挑戦を見て、「自分も身体を動かそう」と思ってくれる人が一人でもいれば、それは意義がある。
 高めのハードル、結構じゃないか。オレは後戻りしない。いつになるかわからない次のロケに向けて、僕はほぼ毎日、スクワットに励んでいる。

 (2024年6月24日)

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