誰も言わない政治資金の話
2024年06月04日

 この議論、事の本質から微妙にズレ続けてきたのではないかと思ってしまう。国会終盤を賑わせてきた政治資金の議論だ。そもそも、政治資金とはなぜ必要で、その使途はなぜ透明でなければならないのか。今さら聞けない?いや、それこそが大事な問題なのだ。

 自民党安倍派の政治資金パーティーで裏金づくりが恒常化していたことが明るみに出てから、ほぼ半年が過ぎた。そして政治資金をめぐる新しいルール作りは迷走し、これを書いている6月4日現在、自民党・公明党・日本維新の会で、合意点を探る努力がなお続いている。与野党の協議はすったもんだの大騒ぎだ。
 ところが、国会の喧噪をよそに、国民が政治を見る目は一向に冷めたままであり、各種世論調査を見る限り、政治資金の改革案に対する評価も関心も低い。なぜか。理由を考えて行くと、いつしか問題のすり替えが行われていたことに思い当たる。

 そもそも事の発端は法律違反だ。違反した者は法の下で裁かれなければならない。なのに、軽微な形式犯という扱いだからか、対象者が多すぎたか、検察は裏金作りに関わった議員本人の多くに対し、刑事責任を問うことをしなかった。
 そうした中で、自民党はみずから法規制の強化を打ち出した。法律を厳しくするから、それで勘弁してくださいというわけである。だがちょっと待ってほしい。もともとは法律をきちんと守れば良かっただけの話だ。なのに、違法行為の責任を中途半端に放り投げたまま、「法律がなっていないからだ」と法律に泥をかぶせた。これはすり替えではないか。

 一方、問題がすり替えられる間、「臭いものにフタ」をすることは怠りがなかった。安倍派のパーティー券収入をめぐる裏金作りの経緯については、派閥の事務総長経験者が出席して政倫審をいくら開いても、肝心なところは知らぬ存ぜぬで終始した。
 それを伝えてきたマスコミの一員として徒労感に苛まれる。最近は、与野党の修正協議を盛んに報じているが、結果として問題のすり替えに着実に加担させられてきたのではと、こちらも気分が落ち込んできた。

 とりあえず気を取り直そう。法律の問題点を検証し、抜け穴を少なくするのはやはり大切なのだ。そこで、現時点での政治資金規正法改正の合意点を見ていく。
 焦点のひとつが政治資金集めのパーティーである。これまで20万円以下のパーティー券の購入者については非公開でよかったのだが、これを、自民党は公明党の主張を受け入れて5万円に引き下げることになった。するとどうなるか。
 「これからも20万円分を購入する。名前を公表されても構わない」という企業は少ないというのが大方の見方だ。購入は限度額の5万円分がせいぜいとなり、議員側の収入は減る。結果的に、政治家自身が実質上の「身を切る改革」に踏み切った形となる。

 ただ、これがすなわち政治資金の透明化を意味するかというと、実はイコールではない。金額は小口化するにしても、依然として「ナイショの関係」は残る。
 しかも、政党から議員個人に支払われる政策活動費の透明化も進まない。自民党は日本維新の会との間で、10年後の領収書公開などで合意したが、自民党は「50万円超のものに限る」とし、維新はこれに反発した。これもまた自民が折れそうな様子だが(4日現在)、やはり自民党は(自民党に限らず他の政党の多くも)、本音では非公開の政治資金を残しておきたいようだ。

 どうして非公開のカネを残したいのか。
 実はこれには、まっとうな理由もある。それについて同業他社の友人がこう解説してくれた。「仮にヒトラーみたいな独裁者が登場し、あらゆる政党や政治家の資金の流れを掌握したらどうなる?対立する政党や政治家のみならず、そこと関わりのある一般人の情報まで独裁者の手にわたって弾圧される。そうした事態を避ける必要があるからだ」。
 確かにそうである。時の政権に左右されず、政治活動の自由は保障されなければならない。そのためには明かされてはならない関係性もあるだろう。

 だが、こちらの観点も忘れてはならない。政党交付金という制度の存在である。多くの政党が、政党交付金という国民の税金によって養われているという実態がある。実はこのことは、一連の政治資金改革の中でほとんど語られていない。
 政党交付金は、政党助成法に基づき、人口ひとり当たり250円という計算式で算出され、2022年の支給総額は約315億円となっている。受け取りを拒否している共産党を除き、要件を満たした各党に、規模に応じて支給される。
 時事通信社の調べによると、この年の政党別の収入のうち、政党交付金が占める割合は、自民党が64.3%、立憲民主党74.1%、日本維新の会72.3%となっている。

 つまり、日本の主要政党のほとんどが、国民の税金を頼みの綱にしているのである。
 政党交付金を支給するとした政党助成法は1995年に施行された。いわゆる平成の政治改革の一環であり、衆議院への小選挙区比例代表並立制の導入、政治資金改革(今回の改正の対象である)とのセットだった。
 当時の議論を、僕の取材経験から大まかに振り返ると、有権者へのサービス合戦をやめ、カネのかからない政党本位の政治を実現しよう、その代わり、政党の活動のためのお金は税金で助けてあげよう、という考え方だったはずだ。
 ところが、である。データを見るともう助成どころではない。税金は、政党の一番の金づるになっているのだ。

 整理しよう。まっとうな意味での政治活動の自由のためには、完全に明かされるべきではない関係性も存在する。だが、ここまで税金頼みである以上、可能な限り政治資金の透明性を高める必要はある。問題はそのベストバランスはどこにあるかということなのだ。

 本当はそういう本質的な議論を国会で展開してほしかった。カネが全くかからない政治など存在しないことは国民だって分かっている。選挙区民の声を聞くためには地元に事務所を置くことだって必要だし、人も雇わなければならないだろう。霞を食って生きていけるわけではないのだから、そのあたりを率直に吐露して議論してほしかった。
 その上で、必要なカネはどこからどのようにカネを集めるべきなのか、使途はどこまで透明性を担保すべきなのかを順序だてて議論すべきだったのだ。その議論の過程には、ここまで税金漬けになってしまった政党の姿への反省も、当然含まれるべきだった。

 今さらそんなことを言っても遅すぎたか。今国会の会期末は6月23日であり、もう3週間を切った。喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人間だし、いずれやってくる衆議院選挙を意識して与野党はより対立姿勢を強め、攻防が建設的な政治改革論議は遠のいていく可能性が強い。そう考えるといかにも惜しい。国会は本来の政治改革のための大事な機会を、みすみす逃しつつあるような気がしてならないのだ。

(2024年6月4日)

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