ふたりのピアニスト
2024年05月04日

 フジコ・ヘミングさんという人について、僕が知っていたのはその名前と、「波乱の人生を生き抜いてきた人」というイメージだけだった。
 5月2日木曜日の午前、フジコ・ヘミングさんが92歳で生涯を閉じたという一報が入った。この日の当番デスクは、「番組でしっかり時間をとって伝えます」ときっぱりと言った。

 訃報を伝えるときはいつも身構える。その人の人生を切り取り、圧縮して伝えることは難しく、罪深い作業でもある。資料映像などを駆使しながらVTRを編集していくディレクターたちも、その前後のスタジオでコメントを求められる僕たちキャスター陣も、一層身が引き締まるテーマだ。
 連絡をもらってから大急ぎで資料を読み漁り、ネットで音源を探した。彼女を追ったドキュメンタリー映画が配信されていたので、さっそくダウンロードして視聴した。限られた時間とはいえ、不屈のピアニストの音楽と人生を知ろうとすることは、伝える者としての最低限のマナーだ。

 彼女の人生の物語は壮絶だった。ピアニストとしてドイツに留学中だった日本人の母と、スウェーデン人の父との間に生まれた。両親とともに帰国したが父は去り、母と弟とともに戦争の時代を生き抜いた。その間も母親に厳しくピアノをたたき込まれ、東京芸大卒業後に自身が生まれたドイツに留学。以降、ピアノを相棒として世界を渡り歩く。
 耳が聞こえなくなるという不運に見舞われ、その後、聴力は回復したが万全には程遠かった。それでも苦難の人生のすべてを鍵盤上で表現するかのような彼女の楽曲は、NHKのドキュメンタリー番組で紹介されたのをきっかけに多くの人の心を動かした。60代後半で出したファーストアルバム「奇蹟のカンパネラ」が200万枚以上を売り上げた。超遅咲きのスターだった。

 クラシックに縁遠い僕も、彼女の人生の記録と照らし合わせながらピアノの演奏を聞くと、その独特の音色が分かってくる。彼女が語るとおり、演奏するのは機械ではないのだから、その人の個性が出る。間違いもする。同じ譜面であっても、そこに奏者が独特の色を付けていく過程こそが音楽なのだろう。
 逝去の一報を聞いてから放送まではわずかな時間である。だが、フジコ・ヘミングさんの生涯とその音楽を知るうちに、伝える者としての「マナー」を越えて、彼女の魅力のとりこになっていく自分がいた。

 特に、フジコ・ヘミングさんの代名詞とも言われたのが、リストの「ラ・カンパネラ」だ。超絶の技巧を必要とするこの曲は、彼女にとっては「死に物狂いで弾かなければならないから、自分のすべてが出る曲」だと言う。すべてが出るからこそ、彼女はこの曲の演奏に「誇りを持っている」と語る。荒波を乗り越えてきた自分の人生に誇りを持っている、と同義だろう。

 その小さい手は、決してピアノ向きではなかったのかもしれない。クラシックに詳しい友人によると、作曲者であるリストはとても手のひらが大きい人だったそうだ。そのピアノの大家が、後世の奏者に対して突き付けたかのような難曲に、フジコ・ヘミングさんは食らいついた。「白魚のような指では弾けないのよ」とさらりと語り、小さいけれどもごつごつと分厚い自分の手こそ「ピアニストの手」だと力を込めた。
 老いてもなお、自分はもっとよい演奏ができるはずだと練習に練習を重ね、世界各地を回った。転倒してけがをし、再起を図っていたが、すい臓がんでこの世を去った。凄みのある、見事な92年の人生だった。

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 週末の散歩は、珍しくスマホにイヤフォンをつけて近くの野山を歩いた。聴くのはもちろん、フジコ・ヘミングさんの「ラ・カンパネラ」。
 新緑が、曲に合わせて脈動する。曲調の変化とともに歩調も変わる。上り坂に差し掛かり息が切れる。だが、激しい強弱のリズムに背中を押されて足が前に出る。
 魂のピアニストは死して音楽の魂を残したが、凡庸な放送人は何かを残すことなど望むべくもなく、せめて、毎日のニュースに一生懸命食らいつくことで、わずかな時代の匂いを共有するのみだ。初夏の日差しの中、大汗をかきながら、62歳の僕はぼんやりとそんなことを考えた。

 めぐり合わせとは不思議なもので、フジコ・ヘミングさんの訃報を伝えた翌日の金曜日は、いま最もチケットが取りにくいピアニストのひとりとも言われる反田恭平さんが、スタジオで生演奏を披露してくれた。2021年のショパン国際ピアノコンクールで2位入賞を果たした時以来のことである。
 反田さんは、起業家としての顔も持っている。演奏一本で生活を成り立たせることができるクラシック奏者はひと握り。そうした奏者たちを下支えするためにも、20代の若さで自らオーケストラを立ち上げ、指揮にもあたっている。奏者たちとともに、各地の小学校などを回り、子どもたちが「音に触れる」機会を提供することで、音楽の裾野を広げたいと願っている。番組ではその活動についても特集。VTRに直結して反田さんの生演奏となった。

 曲目は、シューマンが作曲し、リストがピアノ曲として編曲した「献呈」である。スタッフの渾身の照明技術によって、スタジオがいつもと違う顔を見せる。そこに流れる反田さんの繊細なメロディーは、ニュースというとても現実的な場所を、瞬時に異空間に変えてしまった。
 演奏後の反田さんは、わずかに安堵の表情を浮かべながら、きょうの選曲や今の活動について語った。「献呈」は、シューマンが最愛の妻に捧げた楽曲だ。最近結婚し、子どもを授かった反田さんは、人のいのちの重さと、それを包み込む愛の大切さを実感し、この曲を選んだと言う。そして幅広い活動を通じ、多くの子どもたちに音楽という豊かな出会いを演出したいと願っていた。
 みずみずしい感性そのままに、これからの音楽の未来を築いていこうというたくましい自負心と責任感。若い反田さんもまた見事なピアニストだ。

 ゴールデンウイーク真っ盛りとあって、テレビ各局は特番の連続である。地道に普段通りの時間枠で放送を続ける「報道ステーション」のスタジオだが、他界したフジコ・ヘミングさんといい、未来へと向かう反田恭平さんといい、まるで神様が音楽という彩りを差し込んでくれたようだ。不思議な1週間だ。

(2024年5月4日)

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