暗転
2024年03月25日

 日曜日の昼下がり、天気予報ではもう雨が降ってもおかしくないのだが、雨粒はかろうじて雲の中にとどまっているようだ。散歩に出るなら今しかないとも思うが、どうにも気乗りがしない。
 それは天気のせいだけではない。とにかく気分が重いのだ。

 メジャーリーグ・ドジャースの大谷翔平選手の専属通訳を務めてきた水原一平氏が、球団から解雇された。違法賭博に関わっていたとアメリカのスポーツ専門チャンネルESPNが報じた。
 ふたりの関係は、選手と通訳という間柄を越え、時にキャッチボール相手であり、データ分析のバディだった。次々と偉業を成し遂げる大谷選手のそばには、いつも相棒としての水原氏の姿があった。
 しかし、事態は暗転した。ESPNの取材によると、水原氏は違法な賭博の胴元に多額の借金を抱え、大谷選手の口座から返済したという。

 取材に対する水原氏の答えは、ある時から豹変した。
 最初の説明は、水原氏の借金を大谷選手が肩代わりしたというものだった。だが、大谷選手の弁護士が「大谷選手が窃盗被害にあった」と主張すると、水原氏はそこに平仄(ひょうそく)合わせるように、自分はウソをついていたとして説明を翻した。

 このコラムを書いているのは24日日曜日の午後だ。コラムがHPに掲載される頃には事態が動いているかもしれない。だが、僕は今の気分のまま書く。この重さの正体について、いくつか思うところがあるからだ。
 これまでの僕の取材歴の中で、大谷選手の傍らで、朴訥とした風情で、誠実に仕事をする水原氏の姿を実際に何度か見て来た。テレビに映るそのままの人柄だった。僕はそうした「いい人・一平さん」のニュースを伝えてきた当事者である。

 真実はまだ闇の中だ。水原氏が違法な賭博に手を染めてきたこともまだ立証されているわけではない。仮に、水原氏が違法賭博に手を染めていたことが真実だとしても、人間が間違いを犯すことはある。本人が言ったとされる「ギャンブル依存症」だったとしたら、治療を受けて立ち直ることも可能だろう。いずれにしても、この一件をもってして水原氏の人格を否定するのは間違いだ。
 とはいえ水原氏が、開幕したばかりのドジャースに、新天地で飛躍を期す大谷選手に、そして多くの野球ファンに、少なからぬダメージを与えてしまったのは事実だ。
 「いい人・一平さん」の姿を再生産して伝えてきた僕は、そのことにどう向き合っていけばいいのか、戸惑っている。

 そもそも、人間はそんなに単純なものではない。長所も短所も、美徳も悪徳も、正直もウソも併せ持つ、超複雑な生き物だ。そうした人間を扱っている以上、完璧にその人を理解して伝えることなど無理だ。
 だいたい、マスコミにはそこまで期待していないという人も多いだろう。だが、「いい人・一平さん」を伝えてきた僕は、しょせんは複雑な人間というものに、特定のレッテルを貼ることしかしてこなかったのではないかと思えてくる。無意識とはいえ、人間を単なる記号として扱う行為を繰り返してきたのではないかと、重たい気分になってしまうのだ。

 人間の持つ多面性とか、マスコミの使命と限界とか、話が複雑な領域に入り込んでしまった。僕自身、迷路の中にいる。

 テレビは大相撲の千秋楽の模様を写している。前頭17枚目、いわゆる幕尻の尊富士が、新入幕での幕の内最高優勝という、実に110年ぶりの快挙を成し遂げた。
 「記録も大事ですが、皆さんの記憶にひとつでも残りたくて必死に頑張りました」と優勝インタビューに答えた。すがすがしく、感動的だった。

 それにしても、大谷選手のこれからが気になる。これまでの報道などでも、大谷選手の関与については曖昧なままだ。違法賭博の資金と知って借金の肩代わりを引き受けていたとしたら、それは社会的にも、メジャーリーグの規範の上からも責任を問われかねない。一方で、英語のやり取りの詳細は水原氏に委ねられ、大谷選手自身は複雑な事実関係を知らずに、善意で友人の借金の一時的な返済に手を貸していたのかもしれない。
 大谷選手は沈黙している。大谷選手本人やドジャース球団には、自ら真相を明らかにしてほしいと思う。

 僕は、大谷選手のアスリートとしての無双の姿を、あるいは完全無比とも言える好青年ぶりを、まさにそう認識して伝えてきた。報道ステーションでは、週末、取材チームをアメリカに派遣し、現地支局スタッフとともに事実関係の発掘に努めている。
 今後明らかになっていくとみられるあらゆる事象に誠実に向き合い、取材し、記録していかなければならない。

 この日はそこで書くのを止めた。翌日、ゆっくりと目覚め、朝昼兼用の食事を済ませ、改めてパソコンに向かった。いま、25日月曜日のお昼である。
 ニュースは、大谷選手が日本時間の26日に、報道陣の取材に応じる意向を示したと伝えている。それは望ましいことだと思う。段階的にでもいい。あなたを応援してきた多くの人たちが、本当のことを知りたがっている。
 ドジャースは一流のアスリート集団である。いろいろな問題はあっても、そこは切り替えて試合に集中し、結果を出してくれることを願う。特に大谷選手には期待したい。
 いま言えるのはそれだけである。

(2024年3月25日)

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