パーティーあれこれ
2024年03月04日

 自民党が最初に野党に転落した時期であり、街にハナミズキが咲いていたのを覚えているから、あれは1994年の春だったと思う。自民党の担当記者のひとりだった僕は、西日本のある県庁所在地の駅から、観光バスに乗り込んだ。
 観光バスと言っても、観光に行ったわけではない。その市で開かれた自民党県連の会合に河野洋平総裁(当時)が出席し、講演することになっていた。党のトップによる長時間の講演は、メディアにとっては重要な取材機会であり、土曜だろうが日曜だろうが同行する必要があった。こうして僕たちは実にしばしば、休日出勤に駆り出されたものだ。
 会合の場所は、駅から車で20分ほどかかるホテルだった。セキュリティ上、総裁はもちろん党幹部の一行がタクシーや路線バスなどに乗ることはない。どういう経緯か忘れたが、この日はわれわれ同行記者団も、総裁一行と一緒の貸し切りバスで移動する段取りとなっていた。

 観光目的ではなかったが、バスにはバスガイドの女性が乗車していた。発車して間もなく、彼女は運転席近くでマイクを持つと元気いっぱいに話し始めた。
 「皆さん、ようこそおいで下さいました!」
 バスの中に一瞬、花が咲いたようだったが、そこから先、車内は次第に妙な空気に包まれてしまった。
 「皆さん、きょうはパーティーだそうですね。よかったですね。どんなパーティーになるんでしょう?楽しみですね!」
 がんばり屋さんなのだろう。自分も一緒にワクワクしているといった様子で、笑顔で一生懸命話しかけるのだが、車内は当惑気味で、一向に盛り上がらない。彼女自身、どこか認識がずれていたと察したようで、次第に口数が少なくなっていった。
 合の手を入れるような、気の利いた「乗客」がいなかったのも不幸だった。気の毒に彼女は、バスが到着するころにはすっかりしょげていた(ように見えた)。
 しかし、よく考えれば彼女は決して間違ってはいなかったのだ。確かに、河野総裁以下、同行記者団のわれわれも、パーティーに向かう途中だったのだから。「政治資金パーティー」というパーティーに。

 この日は年に一度の、自民党県連による「政経懇話会」という名の政治資金パーティーだった。党本部から幹部がやってきて講演を行うのが、どの県でも良くあるパターンだ。会場には、パーティー券を購入したと思しき地元後援会や、支援企業の幹部などが詰めかけている。講演の後は乾杯、立食。地元議員の挨拶が続く中、あちこちで名刺交換や写真撮影などが行われてお開き、というのが定番だった。僕たち同行記者は、講演を聞き終えると、乾杯やらあいさつなどが行われている時間を利用して原稿を書き、送稿する作業に追われるのが常だった。

 つまり、政治資金パーティーは、自民党にとっても支援者にとっても、ほぼ完全な仕事の場なのであり、ワクワク感とは言い難い、不思議なパーティーなのだ。バスガイドの女性が、気の毒にもスベってしまったのは、パーティーという言葉をあまりにも素直に受け止めたからであり、当該パーティーの性格をきちんと伝えなかったバス会社の上司の怠慢でもあった。残念ながらこの日、観光バスに乗り込んだ「乗客」の中に、楽しみで胸がいっぱい、という人はいなかったのである。

 思えば、お祝い事などの嬉しいパーティーも、当然ながらお金と無縁ではない。僕も若いころ、人並みに結婚披露宴というパーティーを開いたが、金欠だったため、「祝儀で黒字となりますように」などと、せこいことを考えたものだ。
 一方、祝儀を出した側は、新郎新婦がそれをどう使うかにほとんど頓着しない。純粋なお祝いと応援の気持ちの表れだからだ。披露宴の費用に消えようが、新婚旅行の足しになろうが、そこのところは構わない。

 ところが、政治資金パーティーで集められるお金は、ある種の目的性を帯びる。単なるお付き合いという場合もあるだろうが、ほとんどの場合、お金を出す以上は何らかの見返りを期待するはずだ。露骨な便宜供与までは行かなくても、である。
 資金を出す側からすれば、そこのところを白日の下にさらされることは嬉しいことではない。それが仮に純粋な応援目的であったとしても、できれば内緒にしてほしい。資金提供を受ける側にとっても、それは同じである。

 政治資金規正法が、一定の範囲で寄付者の名前を非公開とする建付けになっているのはこうした理由だ。政治資金パーティーの場合は、20万円以下の寄付であれば、収支報告書に氏名を記載しなくてもいい。「ナイショ、ナイショ」の関係性がこうして続けられてきたのだ。
 パーティー券収入の「キックバック」とか「還流」とかが問題となっている今回の自民党の問題を受けて、寄付の公開基準の引き下げなどが検討されている。内緒の範囲をできるだけ小さくして、そのぶん透明性を高めようという目的だ。だが、果たしてそうした法改正の議論は本当に始まるのだろうか。
 徹夜国会だと息巻いたかと思うと、くたびれちゃって土曜日に仕切り直しをしたりと、このところの国会運営は見るに堪えない。意見の違いを堂々とぶつけ合い、最適解を見つけ出すという、与野党に共通したあるべき国会の役割がどこかに行ってしまっている。

 政治資金パーティーと言えば、もうひとつ何とも言えない思い出があった。やはり自民党を担当していたときのことだった。岡山の駆け出し記者時代、さんざんお世話になった当時の上司が、郷里の福岡でガンと闘病していた。どうしても見舞いに行きたくて、週末の休みを使って福岡に飛び、病室を訪ねた。
 「あれ、お前、なんでこんなところにいるんだ」
 「いやあ、自民党の政治資金パーティーがあって、同行取材に来たついでなんです」
 「そんな日程あったかなあ」
 そんな日程はなかった。病床にあるとはいえ、ニュースのデスクを長く務めた人である。少し考えたふうだったが、「まあ、いいか」とニヤリと笑った。政治部の自民党担当となったかつての部下のウソなど、簡単に見破ったようだった。
 その後、程なくして彼は他界した。

 パーティーとは本来、楽しいはずのものなのに、政治資金パーティーは楽しさとは別物である。特に僕にとっては、ほろ苦い思い出が付きまとう、複雑な催しでもある。

 (2024年3月4日)

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