日本人としてこの国に住んでいる限り、僕たちが自衛隊によって命を奪われることは考えられない。平和的にデモ行進をしているさなかに、いきなり銃撃されることなどあり得ない。
つまり、自国民に銃を向ける軍を国軍とは本来言わないし、言うべきではない。しかし、その惨劇が大々的に繰り広げられ、今も血が流れる国がある。ミャンマーだ。
ミャンマーで国軍によるクーデターが起きてから10か月。国軍は実権を掌握し、政権のリーダーだった国民民主連盟のアウン・サン・スー・チー国家顧問を拘束した。これに反発する市民には容赦なく銃を向けている。最新のデータではこの弾圧で1291人(11/25放送時)が命を落としたとされる。
そのミャンマーの内情を最もよく知る日本人が、笹川陽平氏82歳だ。この11月半ば、国軍のミン・アウン・フライン総司令官と会談して帰国した笹川氏へのインタビューが実現した。
笹川氏について少々説明したい。父の故・笹川良一氏は「右翼の大物」とも称された人物であり、戦後、船舶振興会の活動を通じて奉仕活動にも尽力した。僕たちの年齢の人なら、「戸締り用心 火の用心」と曜日ごとに変わるCMソングがテレビで流れていたことを覚えている人は多いだろう。その時、印半纏を着て画面に大写しになって「一日一善!」と呼びかけていた人こそ笹川良一氏であり、その社会貢献事業を継承・発展させた「日本財団」の会長が笹川陽平氏である。
笹川氏の活動の幅は広い。特筆すべき活動のひとつはアジア各国におけるハンセン病の制圧活動であり、ミャンマーとの関わりもそこがスタートだった。いくつもの少数民族が武装して戦いに明け暮れる複雑な国情に絡めとられるようにして、ミャンマーを行き来すること130回以上。この国の各界各層からの信頼を勝ち得たという。
2020年のミャンマー総選挙では選挙監視団の団長も務めた。選挙は公正を保って行われたという。国軍が後景に退き、民主国家ミャンマーの形がくっきりと見え始めたその時だった。圧倒的な信任を得たスー・チー氏とその党幹部を、ミン・アウン・フライン総司令官をトップとする国軍がクーデターで駆逐してしまったのだ。
双方に人脈を持つ笹川氏の悩みは深い。
実権を握った総司令官と実際に会ってみて、総司令官が今どのような胸中なのかをたずねてみた。
「非常に残念がっています」と笹川氏。
「しかし、多くの市民を弾圧しているのは他ならぬ総司令官ではないのですか?」
するとしばし間をおいて笹川氏は言った。クーデターの直後、総司令官には電話で何度も念を押したのだという。
「必ずデモが起きる。そのときは警察で対応するのにとどめ、絶対に銃を持ってはいけませんと伝えました。もし兵士が理由のいかんを問わず住民の命を奪ったり、ケガをさせたりしたら国際社会から大変な非難を受けますよ、というのは彼も了解していました。しかし、残念ながらああいうことになってしまった」。
総司令官は事を荒立ててはいけないと頭では理解していたが、軍を統制できなかったということか。いずれにせよ、国軍が自国民に銃弾を放つという悲劇は起きた。
クーデターの発生には「驚いた」という笹川氏だが、振り返ればその兆候はあったという。政権を運営していたスー・チー国家顧問と、軍の総司令官の間のコミュニケーションが絶えていたというのだ。
ミャンマーは、少数民族の利害や国軍への憎悪が複雑に入り組んだ国である。
もう9年も前になるが、僕はミャンマー最大の都市・ヤンゴンに取材に行ったことがある。そこで、日本から進出している企業の現地駐在員から聞いた話が忘れられない。
赴任したばかりのころ、国軍に呼び出されてある映像を見せられたことがあるそうだ。その映像とは、武装した少数民族が国軍兵士の首を切り取り、それを誇示するものだった。「あなたがやってきたこの国は、そういう国なのだ」と覚悟を求めるものではなかったか、とその駐在員は言ったものだ。
この複雑な国を治めることを、笹川氏は「複雑な高等数学を解くようなもの」と表現した。犠牲を出しながらなんとか国を維持してきたというプライドが国軍にはある。一方で、民主化を求める市民たちから圧倒的な支持を得たのがスー・チー氏だ。
「たられば、の話ではありますが、もし国を担う両者にしっかりした対話があったなら、高等数学の解は出ていたでしょうか」
この問いに対し、笹川氏は痛恨の思いを込めて言った。
「解は出たでしょうね」。
現実には、解が出ることはなかった。そして今も血は流れ続けている。民主主義国家である欧米や日本は、いまも市民を徹底的に監視し続ける国軍を激しく批判し、突き放している。道理ではある。
だが、批判して経済制裁を科すだけで物ごとが解決するほど問題はやさしくない。笹川氏が、市民の敵である国軍総司令官と会談したのはそのためだ。
「アメリカが世界中で経済制裁をしてうまくいった例がありますか?アメリカに従属するだけではダメなのです。それを知っているのは日本です。せめて日本政府は最低限の人道支援をすべきだ」と語気を強めた。
アジアにはアジアにしかわからない土地カンのようなものがある。日本は先の戦争以来、ミャンマーとは一言で到底尽くせない関係性がある。その日本が、アメリカに右ならえするだけで、できるはずの独自の外交努力をしていないと笹川氏は言うのだ。
インタビューは25日の木曜日に放送した。インタビューの後を受けて僕は「日本政府はこの提言に正面から向き合うべきだ」とコメントした。
実はもうひとつ、頭に浮かんでいたことがある。兵士たちの思いである。
自国民に銃を向ける軍を国軍とは言えないと、冒頭に書いた。そこに間違いはない。一方で、自国民に銃を向けて殺傷してしまった国軍兵士は自分をどう考えているのだろう。立派な仕事をしたと満足しているだろうか。
兵士は人間である。国軍という記号で片付けられるべきではない。悔み続けている兵士もいるはずだ。心を病んでいる兵士もいるのではないか。
そんな「哀しき兵士」の思いにも、想像の翼を伸ばすことは必要かもしれない。そんなことをスタジオでコメントしようかと思ったのだが、限られた時間ではあまりにも表現が難しく、あきらめた。
僕ごときの想像力では及ばない現実が繰り広げられている。しかし、伝えられているファクトをもとに想像力を働かせることは無駄ではない。
孤立を深めるミャンマー国軍。ASEANなどの国際会議にも背を向けている。彼らの心のドアを開けるために何が必要か。ステレオタイプに制裁を叫ぶ以外の手があるはずである。