ほぼ毎週1回、書き続けてきたこのコラムを、この2週間ほど休んでしまった。正直に言うと、サボってしまった。
言ってもしょうがないような言い訳をすると、サボった理由は「いいなあ、休める人は…」というような、一種の「ひがみ根性」である。4月29日から数えて、最大9連休となることしのゴールデンウィークは、各地で人があふれかえった。一方こちらは月曜日から金曜日まで、規則正しくスタジオでニュースを伝える仕事である。祝日であっても、平日と同じリズムで打ち合わせをし、スタッフと意見を戦わせ、コメントを整え、緊張の生放送に臨む。
平日だろうが、それがカレンダー上ではなぜか赤く記されていようが、やりがいがある仕事であることは変わらない。ならば、ひがむこともないでしょ、と言われそうだが、僕には大いに幼児性が潜んでいるのだろう。「オレだって休みたい」というアピールがしたくて、このコラムを書くのを休んでしまったというわけだ。それも2週にわたって。
サボリのツケは自分に返ってくる。
このコラムはだいたい日曜日に自宅で書いている。用事のある日曜は少し慌ただしくなるが、そうでない日はゆっくり起きて、ゆっくり散歩をして、昼下がり、ネコと遊びながらこの原稿を書くのが自分のリズムである。
夕食をとり、テレビを見て、本を読んで寝る。ああ、平和であることがありがたい。あすからもがんばろうという気持ちになり、リフレッシュして月曜日からの仕事に臨めるというわけだ。
ところが、このルーティーンが崩れるとろくなことがない。時間を持て余して家の中でトドのように寝転がっていると、当然のことながら妻には大いに不評である。
それはともかく、やはりある程度の頻度で、ある程度の分量の文章を紡ぎ出す作業は、自分にとっては大事であることに改めて気づかされる。曲がりなりにも、自分は不特定多数の人の前で「言葉」を使うのが生業(なりわい)なのだから。
小学生の頃、計算や漢字のドリルをさんざんやらされた経験は、誰にもあるだろう。基本的な足し算引き算、漢字の書き取り。それを繰り返すことは、呼吸をするように日々の生活を送り、文章のやり取りをすることにつながる。
それと同じで、このコラムは自分の仕事にとってはドリルのようなものだ。扱う材料が、たとえ難しい国際政治の問題であっても、良心が痛むような人道問題であっても、うちのネコの機嫌が良いだの悪いだという些細な問題であっても、自分が感じたこと、考えたことを文章化して、この拙文に目を通していただける読者の皆さんに供する。それを定期的に続けていくことが大事なのだと、まあ、そんなことを感じた次第である。
そもそも、そんな理屈をこねている先から、世の中はずんずんと動き出した。
ゴールデンウィークが明ける前の5日、石川県能登地方では、震度6強の地震が起きた。余震が続く中、その晩の報道ステーションの放送中には緊急地震速報が発出され、実際に震度5強が同じ能登の珠洲市で観測された。地下の流体の移動によって引き起こされたと見られる、あまりなじみのない群発地震。改めて警戒モードに入ると、今度は1週間もたたないうちに千葉県南部で震度5強の地震が起きた。
僕たちはこの地震列島と生きていかなければならない。いつ、巨大地震や津波が襲いかかってきてもおかしくないのが現実なのだ。
事件もまた凶悪の度合いを増してきた。8日には夕刻の東京・銀座の公衆の面前で、高級時計店が奇妙な面をかぶった強盗グループに襲われた。逮捕された4人はいずれも10代の若者だった。
人目も憚らず、とはこのことだ。強盗が重罪であることも、自らが逮捕される運命にあることさえも、ろくに認識していないのではないかと専門家は見る。ネットにはびこる「闇バイト」に応募し、指示役が別にいることをうかがわせる今日的な犯行だが、それにしても、なぜここまであからさまな凶行に及ぶのか。日本の犯罪の姿は、タガが外れてしまったようにも見える。
ウクライナ情勢からも目が離せない。ロシアの暴君は、自国の兵士をまるで使い捨ての駒のように扱い、おびただしい犠牲者を出しながら、異形の「正義」を振りかざす。耐えに耐えるウクライナは、欧米から供与された武器を手に、大規模な反転攻勢に入ると見られる。この1年3か月、世界の目をくぎ付けにした戦況は、ここで大きな転換点を迎える可能性がある。その時、世界のパワーバランスもまた変化をきたすのか。日本はいかに行動すべきなのか。
伝えることは山ほどある。番組中に急きょ情報が入り、アドリブによってスタジオを展開せざるを得ない場面が出て来ることも想定される。そのとき、自分はどのような言葉を発するのか。適切な判断と方向性をもってインタビューに臨むことができるのか。
そう考えていくと、こうして種々浮かぶ思いを文章化することには意義があると感じる。頭の中が少しずつ整理され、明日へと臨む気力が湧いてくる。
やはり続けることが大事なのだ。計算や漢字を繰り返し練習したあの時を思い出し、これからもニュースのドリルとして、このコラムを続けていこうと思う。
(2023年5月14日)