ラーメン屋さんに入って、「麺、バリカタで!」とか注文しない。牛丼店でも「ツユだくでお願いします!」などと言わず、出されたままの味で楽しむ。ビールも日本酒も、焼酎でもワインでもウィスキーでも、味にうるさいことは言わず(というか分からず)、ただ、飲む。
僕はどちらかというと、物ごとにこだわりのないタイプだと思う。逆に言うと、どんな時でも淡々として、冷静でいられる方かもしれない。客観性を求められるジャーナリストに向いた性格なのだ。おそらく。
そんな淡泊な自分だが、野球には多少の思い入れがある。子どものころから大学まで野球一筋で、机に向かう時間や友だちと語らう時間よりも、圧倒的に長い時間を野球とともに過ごした。もはや、野球は身体の一部と化している。
でも、ジャーナリストたるもの、客観的であらねばならない。野球に関しても例外であってはならない。冷静に行こうではないか。冷静に。
当然のことながら、今週のこのコラムでは、日本の優勝で幕を閉じたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を書こうと思った。
ところが、どうしたのだ、僕としたことが!何をどう書いていいか、正直、迷ってしまっている。今回のWBC、「ツボ」が多すぎるのだ。
いいさ。いくつかの「ツボ」を、いつものように頭の中でさらりと整理して、冷静に文章に綴っていけばいい…。
あれっ?本当に書けない。まずいぞ、これは。
そもそも、さっきの段落で、「当然のことながらWBCを書こうと思った」などと書き出していること自体、すでに、「この1週間で最大のニュースはWBCに決まっている」という、主観的な決めつけが入っている。つまり、客観性が欠如しているのではないか。
冷静さを取り戻そう。最大のニュースかどうかは別として、中継放送の視聴率などを見ても、最も世間の耳目を集めたニュースがWBCであることは間違いない。そう、冷静に落ち着いて描写すればいいのだ。
それでは落ち着いて描写します。
大谷翔平が、盟友のマイク・トラウトを、フルカウントから空振り三振で打ち取ったあの瞬間!グラブと帽子を放り投げた大谷を中心に、あっという間に駆け寄った選手たちの歓喜の輪、ワオ!
それにしても、最後の打者がトラウトだなんて、あまりに劇的すぎるじゃないか。野球の神様もしゃれたことをしてくれるぜ。ワオ!
いや、ちょっと待て。オレ、興奮して「ワオ!」なんて2回も書いている。普通書くか?「ワオ!」なんて。
自分はただ舞い上がっているだけじゃないか。今回の大会、誰だって舞い上がっていたけれど、僕はジャーナリストだ。一緒になってすっかりのぼせ上がり、皆さんの目に触れる文章に「ワオ!」とか書いている自分は、ジャーナリストを職業とする者として恥ずかしくないか?
いかん。冷静さを取り戻すのだ。そして、「なるほど!」と皆さんをうならせるような視点を提示しなければ。
自分の強みは何だ。そう、自分は冷静なジャーナリストであると同時に、野球については少々うるさい人間だ。せめて、野球に詳しい僕だからこそ言えるような、ちょっと玄人(くろうと)好みのポイントをお伝えし、一味違ったところを見せようじゃないか。
さてと。あの優勝の場面、フルカウントからバッテリーが選んだボールが、なぜスライダーだったのだろうか。おそらく、2ボール2ストライクから「決め」に行った大谷の5球目のストレートが、164キロを記録しながらも低めに外れたことで、バッテリーはストライクを計算できるスライダーを選んだ。そしてトラウトも、そのことは想定していたはずだ。
ところが、バットは空を切った。大谷の心技体が集約されたかのような、切れ味のよいスライダーだった。しかも流れは日本にあった。いくらメジャーを代表する強打者トラウトとはいえ、優勝が視野に入った日本の勢いを止めることは、もはや不可能だった。
どうだ。玄人っぽくて、いい感じになってきたぞ。えへへ。
その前の場面だって、実は大変なのだ。無死1塁、セカンドゴロの場面。あれをダブルプレーに切って取ることだって、実はそう簡単ではない。
二塁手の山田哲人が余裕の風情でさばき、二塁ベースカバーに入った遊撃手・源田壮亮にトスした場面。簡単そうに見えるが、あの緊張した局面で、かつ、土も芝も慣れない球場で、当たり前のことができること自体がすごいのだ。
それに、トスを受けて一塁へ送球した源田の、流れるようなスローイングを見たか!彼はなんと、右手の小指を骨折していたのだ。骨折していた小指を、ぐるぐるとテーピングで固定して試合に臨んでいたのだ。
それなのに、骨折なんて微塵も感じさせない正確無比のプレーぶり。手で投げようとするのではなく、一連の動作の中にこそスローイングがある。基本中の基本、見本中の見本と言っていいプレー。さすが、世界一のショートストップだ!ブラボー!
えっ?ブラボーは、サッカーの長友佑都の専売特許みたいなものだって?確かに。「ブラボー!」なんて文字にしている時点で、ちょっとセンス悪いかも。
それに、どんな状況でも当たり前にプレーをこなすのがプロなのであり、いちいち説明したがるおっさんはウザい感じ。そうだよなあ…しゅん。
じゃあ、これはどうだ。
準決勝のメキシコ戦。不振にあえぐ主砲・村上宗隆の9回裏、無死1、2塁での打席。1塁ランナーの代走として起用された周東佑京が、村上のセンター越えの打球で逆転サヨナラのホームを踏んだとき、「さすが俊足の周東。2塁ランナーの大谷を追い抜きそうだったぜ!」などと喜んでいた方、いらっしゃいませんか?
あのね、僕のように「知っている人間」から言わせれば、あれはセオリーなんですよ。2塁ランナー大谷は、打球がセンターの頭上を越えるのを「確認」してからでもホームに間に合うので、念のため、塁間のハーフウェイで様子を見るのです。
一方の1塁ランナー周東は、まごまごしていたらホームで刺されてしまう可能性があるので、「センターを越えそうだと判断」した時点で全力疾走を始めます。それで、大谷との距離が結果的に接近していたというわけですね。
おわかりいただけましたかな、皆の衆。
えっ?なんだか感じ悪い?純粋に、「さすが周東、速かった」でいいじゃないかって?
そりゃそうですよね…。玄人風を吹かせて、ボク、何を力説しているのでしょうね。
はい、もうやめます。
客観的で冷静であろうとしても、やっぱりお手上げです。選手も、栗山英樹監督をはじめとするスタッフも、相手チームも、そして、「にわか」も「コア」も含めた老若男女のあらゆるファンたちが、心を揺さぶられました。侍ジャパンに、神様が微笑んでくれたとしか思えません。いや、侍ジャパンが、神様の微笑みを勝ち取ったと言えるかもしれません。
春のセンバツが佳境を迎えていますし、もうすぐ日米のプロ野球が開幕します。僕は心を切り替えて、そちらに臨もうと思います。
あす以降、野球恋しさのあまり、どこかの球場をふらりと訪れるかもしれません。野球っていいもんだ、などとひとり感涙にむせんでいるかもしれません。そんな僕を見かけても、どうか見ないふりをしてやってください。
だって、僕も今回ばかりは、ジャーナリストとかいう面倒くさい鎧(よろい)を脱いだ、ただの「サムライ・ロス」の一人にすぎないのですから。
(2023年3月27日)