旅いろいろ
2023年02月04日

 2月4日。立春の羽田空港国際線ロビーは、保安検査待ちの人の長蛇の列ができていた。まだ多くの人がマスクをつけてはいるが、コロナ禍の前に戻ったような、いやそれ以上の賑わいだ。
 ようやく手荷物検査場に入ると、ヨーロッパの人と思しき若い女性が、係員に何やら訴えていた。日本語を使っている。見ると、手荷物のリュックサックの中から、剣道の竹刀(しない)が突き出ている。マジックで日本の漢字が書かれていた。使い慣れたもののように見えた。女性は手荷物として機内に持って入りたいと希望し、係員に待ったをかけられたらしい。
 
 長く日本に滞在し、思い出の竹刀を母国に持ち帰ろうとしているのだろうか。その真剣な表情から、剣道を深く愛しているのだろうと想像できた。ただ、検査は厳しい。刃物やライターなどの危険物はもちろん、ペットボトルの水を持っていても、保安検査場は見逃してくれない。
 それでも検査の係員は、果たしてどうしたものかと上司と相談していた。しかし、決して刃物ではない竹刀であっても、結果は「破棄」となった。女性はあきらめた様子で素直に判断に従った。僕は彼女に続いて検査場を通過したのだが、彼女は、レーンを出てきた竹刀のない手荷物を整理しながら、シクシク泣いていた。涙はなかなか止まらない。
 何か声をかけようかとも思ったが、言葉が出なかった。
 
 国を行き来する手続きは、このようにハードルがある。このハードルを利用する犯罪者は少なくない。犯罪に手を染めた人間がいったん海外に高飛びしてしまうと、国境が高い壁となって、その足跡を追うのは簡単ではないのだ。
 だが、フィリピン・マニラの入管施設に収容されている4人については、フィリピン政府は異例の対応をとっている。巨額の特殊詐欺の指示役と目されるだけでなく、強盗など、広域で発生した凶悪事件に関わっていた可能性がある、あの4人だ。

 フィリピン政府も立場というものがあるのだろう。
 一連の報道では、4人が多額の金銭を収容所の担当官に贈り、冷房完備の特別な部屋に滞在し、スマホも自由に使える身分だったという。収容所にいながら、引き続き犯罪の「指示役」を務め、荒稼ぎをしていたとなると、それを許していたフィリピン政府にも批判のまなざしは向く。連日マニラで、法相が自ら4人の身柄について報道対応に当たっているのは、国を挙げての速やかな対応を印象付けることで、批判をかわしたいという思いがあるのかもしれない。
 かくして、4人の身柄は2月上旬には日本に移送される見通しだ(4日現在)。機中、彼らの脳裏にどのようなことがよぎるのだろう。万策尽きて素直にお縄になろうと考えるのか、罪の言い逃れに思いを巡らすのか、それとも潔白を主張するのか。
 彼らが重大な罪を犯したのなら、犯罪生活に終止符を打つ旅となることを願う。そして、被害者の無念が少しでも晴らされますように。

 この日、僕も羽田を出発する旅人のひとりである。
 ドイツのミュンヘンに向かう飛行機に乗り込むと、日本旅行を終えたフランス人男性と隣り合わせた。気さくに話しかけてきた彼は、ミュンヘン経由でフランスのマルセイユに帰ると言う。谷川岳などで、いわゆるバックカントリー・スキーを楽しんできたそうだ。
 「初めて日本でスキーをした。素晴らしい体験だった。日本は雪質も景色も、そしてオンセンも最高だったよ」と、温泉だけ日本語で、あとは英語で興奮気味に話した。
 こちらは仕事柄、整備されたスキー場とは違い、自然のままの雪山を滑るバックカントリーで外国人スキーヤーが雪崩に遭い、命を落としたことが気になったので、「事故のニュースは知っている?」と聞いてみた。すると、「日本人のガイドに付いてもらって、十分に注意したから大丈夫」という答えが返ってきた。今度はガールフレンドを連れて日本に来たいそうだ。ただし、彼女はスキーをしないので、「次は東京の観光限定かな」と笑った。
 日本ファンになってくれてよかった。無事で何よりだった。そしてつい先刻、竹刀を持ち込めずに泣いていた女性のことを思った。気を取り直してくれているかな。

 ロシア領空を通ることができないため、北極回りで14時間もかけてミュンヘンに到着し、いま、ポーランドのクラクフへの乗り継ぎ便を待つ間に、この原稿を書いている。その僕の旅程はというと、クラクフを経由して、陸路、ウクライナのキーウに向かう予定だ。
 
 決して楽な旅ではない。戦争をしている国に行くのだから。戦争をしている国に暮らす人々の話を聞くのだから。終わらぬ戦争の傷をこの目で見て、日本の視聴者の皆さんに伝えるための旅だ。人々を苦しめる寒さも、この身体で体感しなければならない。
 心身ともに削り取られることになると思う。しかし、傷つくことを知った人たちだからこそ持っている強さを、感じる旅になるかもしれない。
 東日本大震災の取材がそうだった。矛盾するように聞こえるかもしれないが、被災した人たちからにじみ出る、人間の強さや優しさに、逆に自分自身がどれほど励まされたことか。

写真

 出発前、家で荷造りをしていたら、猫のコタローがトランクのそばを離れない。まるで、「ボクも連れて行って」とせがんでいるようだ。
 ごめんね。そういうわけにはいかないんだ。ちゃんと待っていてね。無事に帰ってくるから。

(2023年2月4日)

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