五季の日本
2022年07月18日

 先日の番組の打ち合わせで、デスクのひとりが、「四季がある日本ではありますが、もうひとつ季節が加わったようで」と、まるで落語の口上のように発言をしていたので、今回のお題はそれを丸ごと借用することにした。
 本音を言えば、お笑いタレントの小峠英二さんふうに、「なんて夏だ!」と腹から叫びたい気持ちである。まるで夏が長期化して分解したみたいだ。冬、短い春ときて、猛暑をセットにした雨季があり、次に本格的な夏が来て、短い秋を経て冬に戻る。かくして四季の国・日本は五季の国となったかのようだ。

 特にこの梅雨から、夏がしんどい。
 確か、関東は6月に梅雨が明けたのではなかったか。その後の猛暑日の連続をわれわれはよく戦い、節電要請にも賢く応じ、電力不足の危機も乗り切ったのではなかったか。
 ところが、その努力の先に待っていたのは、往生際の悪い梅雨空であり、それもジメジメというよりは、大変なカンシャク持ちとしか言いようがない恐怖の雨雲だった。

 あのとき「梅雨明けしたとみられる」と発表した気象台の担当者を責めることはできない。彼らの大きな責任のひとつは、これから先に予想される気象災害に対して注意喚起することにある。「梅雨明けしたとみられる」という宣言によって、我々は「次なる敵は猛暑だ!」と心の準備ができるのであり、その意味であの、「梅雨明けしたとみられる」宣言は意味がある。
 しかし、それにしても、梅雨が明けたと信じたのは人が良すぎた。
 ここ数日の、ゲリラのような雨や雷や雹(ひょう)をどう見たらいいのか。浸水など、被災した方々がお気の毒である。うんざりするような敵の再来に僕もすっかり疲れてしまった。夏バテだ。いや雨季バテだ。

 そもそも、こんな天気に誰がした。
 「異常気象」が通年行事になったのは、地球温暖化が密接に関連しており、それは産業革命以降の、主に先進国の責任ということになっている。だからこそ、温暖化防止が世界的重要課題になり、各国ともようやく力を合わせてこの問題に取り組もうとしていたのではなかったか。
 そこに、ロシアによるウクライナ侵攻が起きた。西側各国の制裁に対する意趣返しか、ロシアは天然ガスのバルブを絞って嫌がらせをしている。困った欧州各国は、代替エネルギーの確保に必死であり、環境先進国であるドイツですら、石炭火力発電の再稼働に踏み切っている。温暖化ガスの排出削減には明らかに逆行するが、背に腹は代えられないというところだろう。

 資源高や物流の停止の影響は世界に及び、各国、各個人が生活防衛に必死である。そうなるともう、地球温暖化防止という中長射程の課題は当たり前のように先送りになる。プーチン大統領は、ウクライナ国民に対してだけでなく、未来の世界に対しても、あまりに罪深いことをしたのである。

 まったく、右を向いても左を見ても、空を仰いでも憂うつな日々だ。
 動く気がしなくて、愛するわが家の家庭菜園も、しばらく手抜き状態が続いている。気候の良い春から初夏にかけては、野菜の生育を見るのがなにより楽しみだった。せっせと脇芽を摘み、雑草もこまめに抜いていたが、いつの間にか、小さな菜園はいつの間にか暴力的なジャングルのようになった。キュウリもゴーヤもモロヘイヤも、シソもミニトマトもインゲンも、挑みかかってくるような気迫で成長している。目まぐるしく変わるお天気に刃向かうように、枝葉を伸ばしている。

01

 写真を撮ろうと畑に出ると、東京にはギラギラとした真夏の太陽が照り付けている。
 きょう(7月18日・7月の第3月曜日)は「海の日」でお休みなのだという。この「海の日」も、8月11日の「山の日」も比較的新しい祝日で、僕らが遊びたい盛りの若いころにはなかったので、どうもなじみが薄い。しかし、祝日の制定は慧眼だったかもしれない。間延びして激烈になってしまった今どきの夏への対応としては、休むか、むしろ楽しんでしまう方が得策のはずだからだ。

 お休みではあるが、きょうも報道ステーションはある。そろそろ支度をして出局しなければ。そうしているうちに、気象速報が鳴った。
 長崎県の壱岐・対馬に「線状降水帯」の発生が確認されたという。積乱雲が帯状に連なって大雨を降らす、非常に危険な現象である。
 この夏は間延びしているだの、もうバテただのと文句を言っていられない。報道の仕事の出番である。何とか今週も務めを果たそう。ジャングルと化した我が家の畑から、栄養豊富なモロヘイヤをたくさん収穫して、体調万全にして乗り切るのだ。

(2022年7月18日)

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