

ことしの桜はずいぶんと雨にたたられている。週末も空はぐずついていた。でも小雨の中を小一時間散歩し、あちこちを眺めると、泣き出しそうな空を慰めるような桜の優しさもまた趣がある。家に戻り、猫の額ほどの家庭菜園に肥料を入れて夏野菜づくりの準備を終えてさっぱりすると、週末のためにひとつ楽しみをとっておいたのを思い出した。そうだ、あのDVDを見よう。なかなかいい週末だ。
今どきDVDという響きにも古めかしさを感じるが、これはDVDでしか再生できない記録である。それは僕の高校時代の野球部のチームメイトが送ってくれた、2年生夏の新潟県大会準決勝の録画だった。もう48年前の試合である。
当時、夏は準決勝まで進むとテレビ中継があった。この試合で僕たち新潟高校は、惜しくも新発田農業高校に敗れてしまったのだが、その中継を録画したビデオテープを、主将を務めていたひとつ上の先輩がDVDに焼き直してくれたのである。
こわごわ再生してみる。今の選手たちと比較するとどう見えるかと不安なのだ。先日まで行われていたセンバツを見ても、150キロを投げる投手がいると思えば、スタンドまで楽々と打球を飛ばす打者も珍しくない。ところが当時の僕らはひ弱で、本塁打を想像することは難しかった。今と比べたら見劣りするのだろうなあ。
ところが、である。心配は無用だった。僕らのチームはずいぶんとしっかりしていた。細かいミスはあるが、走攻守の基本はできている。もちろん当時のメンバーは、この前のセンバツで優勝した大阪桐蔭よりもずっと小粒だし、実際、実況のアナウンサーですらある選手を紹介する際、「173センチという大柄であります」などと表現している。とはいえひとりひとりの技量が、圧倒的に劣っているようには見えない。
当時、僕は捕手で3番を打っていた。ひとつ上の先輩に県内屈指と言われた好投手がいて、僕は万一の場合の救援投手を務める正捕手という立場にあった。先輩投手は今見てもほれぼれするきれいなフォームで、直球とカーブだけで相手打者を抑え込んでいた。
一方、自分のこととなると欠点ばかりが目立つ。捕手である僕はキャッチングも下手だし、配球にも工夫がない。結局、試合は0対0の投手戦の末、終盤でタイムリーを打たれ、悔しい敗退となった。それでも、当時の新潟県大会の準決勝はそれなりの試合であり、「今のレベルと比べれば」などと謙遜する必要がないことに、僕は軽い驚きを覚えた。
概して、人間とは時間の経過をことさら、大げさにとらえがちなのかもしれない。48年前の高校球児たちも、懸命に野球に打ち込み、勝って泣き負けて泣いたという点では今と同じである。スタンドで声援を送るクラスメートたちも、やはり今と変わらぬ高校生だ。タオルを首に巻き、あぐらを組んで観戦する野球好きなおじさんの姿も、当時と今は変わらないじゃないか。
あのころインターネットはなく、SNS情報が網の目のように広がることなど想像すらできなかった。だが、テレビと新聞で必要な情報は手に入ったし、うわさ話が広がるのはあの頃でさえ十分すぎるほど早かった。先日、アメリカのアルテミス計画で月への有人宇宙船の打ち上げ成功が報じられたばかりだが、ざっくり言えば、月への有人飛行は僕が小学生の時にアポロ11号ですでに実現済みだ。そう考えれば、科学技術の進歩の速度が強調されがちな現代とはいえ、意外とその変化は緩やかなのかもしれない。
しかし、と僕は立ち止まる。それには前提がある。平和であるということだ。
DVDが映し出す1978年を起点に、逆に48年遡ってみると1930年となる。日本の大陸進出が露骨になっていた頃であり、翌年には満州事変が勃発、その後日本は日中戦争、太平洋戦争へと突き進む。
終戦から16年が経ってから生まれた僕は戦争を直接知る世代ではないが、あの戦争によって壊滅的に打撃を受けた日本が、その後の平和の中で急速に復興・発展していく様子を肌で知っていた。48年前の1930年は古色蒼然とした白黒フィルムの世界であり、高校生だった僕は全く別世界となった「今」を生きていると感じていた。
ところが、64歳となった僕が48年前のことを思い起こすとき、この48年の変化をそれほど大きく感じていない。それは単に僕が老成したからだろうか。いや、それだけとは思えない。
例えばあの戦争の時、何年にもわたって徴兵されたのち復員した人に対し、あるいはその人を待ち続けた家族に対し、「あっという間でしたね」などと声をかけることは想像できない。しかし今なら、「10年ひと昔」という慣用句はぴったり来る。それどころか、僕に至っては48年でもあっという間なのだ。つまりその間が平和に過ぎたからこそ言える言葉なのだと思う。
世界のあちこちで戦火があがり、勇ましい言葉や相手国を侮辱する汚い言葉があふれる今、平和は当たり前のことではないのだと自分に言い聞かせなければならない。
48年ひと昔。その間、わが新潟高校は依然、甲子園の出場を果たしていない。いやそれ以前も出場経験はなく、もし甲子園に初出場となれば、「歴史的快挙!」などとメディアの話題をさらうだろう。
その日を心待ちにしている。母校をアルプス席で応援したい。そのためにも社会は平和でなければならない。それを守り続けることは、平和の恩恵を受けて育ったわれわれの世代の大切な責務だと思っている。
(2026年4月5日)


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