

「泥水のようなものです」。インタビューの最後に、高松康雄さん(69)はぽつりと言った。「だんだん泥だけが沈んでいけば水は少しきれいになりますが、また何かあれば濁ってきますよね。そんな感じです」と。
印象深い言葉だった。同時に申し訳なさも感じた。当時を思い出し、言葉にしてもらうインタビューは、まさに泥水をかき混ぜるような行為に他ならない。胸の底に沈殿した悲しみを、容赦なく浮かび上がらせてしまう。
自衛官だった康雄さんは、2010年、54歳の時に退官。宮城県女川町の自宅で第二の職場への就職に向けての準備期間にあった。47歳の妻・祐子さんは町内の銀行の支店に勤めており、康雄さんは妻の出退勤の送り迎えをするのが日常だった。
そして2011年3月11日、女川町を最大15メートルの巨大津波が襲いかかった。康雄さんは義母の通院に付き添い、高台にある病院にいて被害はなかったが、海岸近くの祐子さんの職場は津波の直撃に遭った。
「向かいの高台にすぐ逃げていれば、祐子は助かったのに」と康雄さんは悔やむ。残務のためだったのか、祐子さんは支店長や他の行員11名とともに銀行の屋上に避難したが、津波に流され、今も行方不明である。
津波から1か月半ほどが経った4月末、銀行の跡地付近で祐子さんの携帯電話が見つかった。通電し、メールの履歴を見ると、康雄さんに宛てたメッセージがあった。「大丈夫?帰りたい」。送信記録にある15時21分は、岸壁を津波が乗り越えつつあった時刻にあたるという。
「このメッセージは届いていたんです」と康雄さん。地震の後、康雄さんは何度もメールや電話を試みたが、大災害の中で通信事情の悪さはいかんともしがたく、祐子さんから届いたメールはこの1通だけだった。「たぶん、私のことを心配したんだと思う」と康雄さんは語る。
そして、祐子さんの送信履歴の中には、康雄さんに届かなかったもうひとつのメッセージが残されていた。そこには「津波凄い」とあった。「大丈夫?帰りたい」という言葉から4分後だった。
送信したはずが届くことのなかったこのメッセージを見て、康雄さんは、当時、祐子さんが置かれていた状況を思いやった。
「4分後というと、津波がひたひたと岸壁に来ているところから、より高くなっていたとは思いますね。屋上近くまできていたのかなと」。
「銀行の屋上にもうひとつ、ボイラーなどの機械室みたいなところがあるんですが、そこに垂直な梯子がかかっているんですよ。そこを、どうも必死で登ったみたいで。あの怖がり屋の妻がね…」。
そのときの祐子さんの姿は、向かいの高台に避難して助かった同僚たちが目撃していたそうだ。
「津波凄い」のメッセージの後には、もしかしたら続きがあったのではないか…康雄さんにはそう考える。『「津波凄い」というのは、「津波凄いから気をつけて」じゃないかと思っているんです』。康雄さんはそう言って少しはにかんだ。
祐子さんは穏やかな性格で、銀行の窓口で無理なクレームを受けてもうまく言い返せず、家に帰ってから悔しがることもあったという。テレビドラマを見てふたりでお酒を飲む穏やかな日々があった。子どもたちも成長したのだから海外旅行にでも行こうと話し合ってもいた。そして、あの日もいつものとおり銀行に送り、手を振り、ニコッと笑って別れた。それが最後だった。
祐子さんの思い出を語るとき、康雄さんの頬は自然と緩む。妻のことが大好きだったであろうことは、その表情を見ればわかる。津波のさなかに届いたメッセージには「帰りたい」と記されていた。だから康雄さんは何としても見つけてあげたい。「帰りたい」という願いをかなえてあげたい。
陸の上をいくら探し回っても妻は見つからなかった。1年半ほど経ち、ならばと、捜索の場を海の中に変えることにした。「帰りたい」という妻の一言に突き動かされる康雄さんにとって、それは決して突飛なことではなかった。苦労して潜水士の資格を取り、以降、女川湾の海中に沈むがれきの中を探し続けている。これまでの潜水回数は750回ほどにのぼる。そうしてあの震災から15年の月日を数えた。
康雄さんは、「妻は、自分のためにそんな危ないことはやめてくれと言ってるんじゃないかと思います」と笑いながらも、「潜ることはもう本当に日常生活の一部です」と語る。もし祐子さんを見つけることができたとしても、潜水は続けるつもりだ。「まだまだ女川だけで250人ほどが行方不明なんですよ。そういう人たちの遺骨でもいいですし、何か身元が分かるようなもの、遺品とかを揚げられればいいなと思います」。
人間が生きていくためには、環境に順応するしなやかさが求められるだろ。確かに一般論としてはそうだが、高松康雄さんという人には、それを越えた何かがある。
妻が津波にさらわれるという、十分すぎるほどの悲劇を味わった。そして今は、妻を探しに海に潜ることをむしろ日常の一部とし、他の行方不明者の手がかりも見つけてあげたいという使命感すら抱く。
「終活でもしながら過ごそうかと思ったりもしますが…義理の母が寝たきりになっていて介護もあるので、今後のことはあまり長いスパンで考えられていません。目の前のことをやるのを精一杯というような感じです」。
69歳の康雄さんは休むことをしない。震災によって降りかかった苦難を受け入れ、それでも前を向き、一日一日を誠実に歩んでいる。
(2026年3月15日)

