

強い者が力によって弱い者を踏みにじることがあってはならない。それは、人間が最低限守らなければならない道徳やルールとして、僕たちが学んできたことである。ところが、その最低限のことを守ることを忘れた指導者たちの登場によって、僕たちは当たり前のことを「当たり前だ」と主張しなければならなくなった。主張しなければ、その当たり前のことが忘れ去られてしまう、そんな世の中だからだ。
当たり前のルールを破ったのは、あろうことか大国の指導者たちだ。4年間、ウクライナへの本格侵攻を続けるロシアのプーチン大統領は、その先駆け的な存在だ。そしてあろうことか、民主主義社会を率いてきたはずのアメリカの指導者が、弱肉強食の世界に参戦してきた。言わずもがな、トランプ大統領である。
トランプ大統領が、敵国と見なすイランに対し、同盟国イスラエルと共に空爆を開始してから1週間以上が経った。地中海やアラビア海に原子力空母を配備、首都テヘランにある最高指導者ハメネイ師の居宅と見られる建物を破壊し、ハメネイ師やその側近を殺害した。1月に行ったベネズエラのマドゥロ大統領の拘束作戦を想起させる早業だった。
この作戦を熱心に働きかけたのは、イランを最大の敵とするイスラエルのネタニヤフ首相とされる。ハメネイ師による独裁体制は民衆の不満の前に弱体化を余儀なくされており、一気に体制の転覆を図るチャンスだと、トランプ氏側を説得したという。そして両国はその強力な諜報能力を生かし、電光石火の作戦をやってのけた。
「先制攻撃をしなかったら、核武装したイランによって我々はひどい打撃を受けただろう」というトランプ氏の主張には何の裏付けもなく、明らかに国際法違反だと識者は指摘する。しかし超大国の力の前に、国際社会からの非難の声は控え目であり、今もトランプ政権は大手を振って空爆にまい進する。こちらで叩くだけ叩くからあとはイランの民衆が蜂起せよと、いつものような身勝手な振る舞いを繰り返す。この悪夢はいつ終わるのだろう。
そんな憂うつな思いを抱え、中東に向かうことにした。しかし、当のイランに入る術はなく、アラブの湾岸諸国に行こうにも戦火によって多くの空港が使えない。そこで、中東の中では最も安全と言えるトルコのイスタンブールを取材することにした。そしていま、僕は週末を使った駆け足の取材を終え、成田への帰路にある。
イスタンブールでどのような取材ができるのかは、正直、手探りだった。だが、アジアとヨーロッパの結節点にあるこの大都会では、取材対象に事欠くことはなかった。3月7日の土曜日の朝、市の中心部にあるイラン人コミュニティに向かうと、寒さの中、そこには大きな荷物を持った人たちが三々五々、集まっていた。トルコ国内の各所に住むイラン人たちである。この場所からは国境を越えてテヘランなどに向かうバスが出る。祖国の一大事に、家族の元に帰ろうという人たちが、バスを待っていたのだ。空爆を受けて以来、このテヘラン便は乗客が殺到し、料金は飛行機並みに上昇しているという。
さっそく彼らに話を聞くことにする。しかし、現地のコーディネーターからは釘を刺されていた。トルコに住むイラン人は、独裁政権による迫害を逃れてきた人がほとんどだ。イラン当局ににらまれることは避けたい人たちだ。撮影を伴う取材はとても神経を使うので気を付けなければならないと。
それでも、乗客のひとり、トルコで食肉加工の仕事をしているという20代の男性は、カメラを向けてくれても結構だと言いながら、こちらの質問に慎重に言葉を選びながら答えてくれた。「私はどの政治勢力にも肩入れはしていません。ただ、家族と連絡が取れず心配です。民間人の犠牲者も出て、イランはいま大変な時。自分たちのことは自分たちで守らなければなりませんから」。
ダウンジャケットのフードを深くかぶった40代の女性は、トルコの大学院で博士号を取得中だが、学業を中断して祖国に帰るのだと言う。カメラに顔が映ることを極度に警戒しながらも、取材にはむしろ答えたいそうだ。「アメリカとイスラエルによる今回の攻撃は正しいことではないが、結果的に見れば喜ばしいことです」。そう、彼女は祖国の変革を望んでいた。
彼らの出発を見送ると、今度はテヘランから逃れてきた人たちを乗せたバスが到着した。攻撃を受けて殺気だった今のイラン当局を知る人たちである。非常に神経質になっており、取材も遠慮せざるを得なかった。
バスの運転手によると、イスタンブールからテヘランまで、走っている時間だけでも35時間かかるという。しかも、イラン当局は極度の混乱の中にあり、国境の検問を通る手続きにまる1日以上かかる。やっとのことで出入国する人々の疲れの色はあまりにも濃い。
この光景を見ながら、僕はロシアによるウクライナ全面侵攻の当初、隣国のポーランドで見た避難民の姿を思い出した。この時もまた、祖国の危機を守るために、逆にポーランド側からウクライナに戻る人たちの姿も多かった。
だが決定的に違うのは、祖国への思いだ。ウクライナの人たちが一様に口にしていたのが、今の国の姿を守りたいという思いだったのに対し、イスタンブールで会ったイランの人々は、出る人も入る人も、ほぼ全員が祖国の「変革」を強く望んでいるという点である。
同じ日の午後、イスタンブールのカフェでインタビューに応じてくれた39歳のイラン人女性は、ハメネイ政権の抑圧の中で1月の反政府デモに参加し、流れ弾に当たって大けがをした。独裁政権下の壮絶な体験を語ってくれた。
「私が被弾したのは幸いにも脚でしたが、近くにいた12~3歳の子どもが被弾し、死ぬのを目の当たりにしました。イランでは、特に女性は人として扱われません。暴行や殺害など何でもありです。言論の自由ももちろんありません。私はトランプもネタニヤフも嫌いですが、今や彼らに頼るしかありません。体制の転覆こそがベストの選択なのです」。
その訴えは切実であり、彼女は時に涙を浮かべ、こちらももらい泣きをこらえるのに必死だった。
だが、僕は自分というひとりの人間が捉えることのできる現実の限界を突きつけられるのを感じた。冒頭に書いた通り、軍事力に勝るアメリカという強者が、イランという国家を踏みにじる行為は国際法違反であり、看過できない。一方で、僕が出会ったこのイラン人女性のケースなどは、絶対強者はイランの現体制であり、弱者として迫害され続けた人々にとっては、傍若無人のトランプやネタニヤフが救世主となる。
ここで強者と弱者のねじれが存在する。強者と弱者は、あるいは正義と不正義は、置かれた立場によって違ってくる。つまるところ正義とは何だろうか。僕には今のところ答えの持ち合わせがない。いや、取材という行為を進めれば進めるほど、そこが分からなくなる。
それでも僕たちは取材をしなければならない。今起きていることの評価は歴史の審判によって下されるだろう。その時のためにも、可能な限りのファクト(事実)を集め、伝え続けるしかない。
自分というちっぽけな人間ができることは、悲惨な思いを味わった人の悲しみに寄り添うことである。そして、ジャーナリストである自分の仕事は、その証言を集め、伝え続けるというシンプルな作業である。今はそこにまい進するしかない。
(2026年3月9日)


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