白鳥
2026年02月22日

 とても個人的な、少し恥ずかしい告白をしようと思う。僕は「ひと目ぼれ」をしたことがある。カップルの中には「ひと目ぼれなんです…」と、その馴れ初めを話してくれるケースがたまにあるが、こんな自分もよくよく思い出せば、そんな経験が一度だけあった。成就はしなかったけれども。
あれは1976年のインスブルック冬季五輪のこと。フィギュアスケートはすべての種目を終えて、エキシビションが大会のフィナーレを飾っていた。そこに現れたのが女子シングルで金メダルを獲得した、アメリカのドロシー・ハミル選手だった。
 サン=サーンス作曲の「白鳥」(組曲・動物の謝肉祭から)の調べに乗り、白いコスチュームで銀盤を舞う女王は、冬の瓢湖(新潟の人なら知っているはず)に舞う白鳥そのものだった。中学2年生だった僕は、その姿をテレビで見てすっかりのぼせ上ったのだった。これこそ「ひと目ぼれ」だ。

 よし、次の五輪は4年後だ。自分も野球部をやめ、今からフィギュアスケートの大特訓をすれば男子の日本代表に選ばれるかもしれない。その時、ハミル選手もアメリカ代表に再び選ばれていれば、ふたりはそこで運命の出会いを果たして…などと、田舎の丸刈り中学生は夢に描いたのだが、そんなことは現実となるはずもなく、いつしか記憶の彼方の出来事となった。しかし、クラシックには音痴ながら今でも「白鳥」は大好きで、そのメロディーを聴くとかすかに胸の疼きを覚える。

 僕がオリンピックを初めてしっかりと認識したのが、1968年のメキシコシティ大会だった。テレビで開会式を見ていると、日本選手団の行進に対してひときわ大きな拍手が沸き起こった。まだ7歳だった僕だが、その前が東京開催だったことは知っており、「メキシコの人たちは、前回大会の開催国に敬意を表しているんだな」というようなことを漠然と感じ取っていた。
 実はこれには後日談があって、40代半ばとなりワシントン勤務になった僕は、一緒に仕事をしたメキシコ出身のカメラマンに、その思い出を話したことがある。すると彼は、「メキシコ人は日本人のことが好きだからだよ。だって、アメリカにケンカを売ったのはメキシコと日本ぐらいのものだからね」と言った。メキシコはアメリカと米墨戦争を、日本は太平洋戦争を戦った歴史がある。その悲惨を思えば軽々しいことは言えないが、なるほど、そんなところにも縁があるのかと思った。
 
 人種差別という問題を初めて知ったのもこの大会だった。陸上男子200メートルの決勝で、それぞれ1位と3位に入った2人のアフリカ系アメリカ人の選手が、国歌が鳴り響く表彰台の上で黒い手袋をした拳を突き上げた。僕はまだその時、どういう意味か分からず、後付けで理解したのだが、ふたりの行為はアメリカにはびこる人種差別に対する抗議だった。IOC・国際オリンピック委員会は、選手の政治的パフォーマンスを認めない立場からふたりを永久追放した。人種差別の根深さや、スポーツと政治の微妙な関係性を、幼心にも感じ取った出来事だ。

 その後もオリンピックは世界の縮図であり続け、僕は五輪を通じて世界の複雑さの一端を知った。1972年のミュンヘン五輪ではパレスチナの武装グループがイスラエル選手団の宿舎を襲撃し、選手2人を殺害の上、9人を人質にとって籠城するという大事件が起きた。今も続くパレスチナとイスラエルの衝突は、五輪の舞台にも影を落とした。
 1980年のモスクワ五輪は、東西冷戦を象徴する、悲しい対立の五輪だった。前年のソ連によるアフガニスタン侵攻に怒ったアメリカのカーター政権は大会ボイコットの方針を決定、西側諸国に同調を呼びかけた。アメリカの同盟国である日本も、結局従わざるをえなかった。当時圧倒的な世界王者であり、金メダルの最有力候補だった柔道の山下泰裕選手(のちにJOC・日本オリンピック委員会会長)が流した無念の涙は忘れられない。

 一方、こんなこともあった。1998年の長野冬季五輪。スキージャンプ団体で日本がつかみ取った金メダルは、当時を知る人ならだれもが五輪の名シーンに挙げることだろう。
 あのとき僕は、首相官邸詰めの政治部記者だった。官邸の記者クラブというところは、広いスペースに報道各社のブースが並び、共に日本の最高権力を取材しながら、ライバルとして特ダネを競い合う、不思議な緊張が満ちた場である。その官邸記者クラブがあの時だけは同じシーンを見つめていた。
 
 日本の最終ジャンパー・船木和喜選手の2本目を前に、チームの中心であり、それまでに数々の挫折を味わってきた原田雅彦選手が、「ふなき~」と声にならない声を出す。そして船木選手が金メダル確定の着地を決めると、メンバーたちが一斉に船木選手のもとに駆け寄った。
 何とも言えない感動と歓喜が官邸記者クラブを包んだ。そのときは、誰も仕事に手がついていなかった。おそらく官邸の主である首相や官房長官もそうだったのではないか。あの時、記者クラブのどこかから「きょうはもう一切、仕事はなしにしよう!」と弾んだ声が上がったのを覚えている。

 オリンピックは僕の人生で、いろいろなことを教えてくれた。初めての「ひと目ぼれ」から戦争の無情まで。今でも、自分が生まれてから今までの五輪開催都市をときどき暗誦してみることがある。冬季は難しい地名が多くて挫折したのだが、夏季五輪はまだまだいける。
 東京、メキシコシティ、ミュンヘン、モントリオール、モスクワ、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロ、東京、パリ。
 
 そして、ミラノ・コルティナ冬季五輪が閉幕した。今回もさまざまなドラマがあった。
 「まったくもう、年明け早々から選挙で大騒ぎしたと思ったら、今度はオリンピック。日本人は本当にお祭り好きだ」などとつぶやいたら、なんと、それは当の僕のことに他ならなかった。3月にはWBC・ワールドベースボールクラシックが開幕する。きっと猛烈に興奮している自分がいる。

(2026年2月22日)

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