3月5日(土)新宿明治安田生命ホールにて、テレビ朝日×朝日新聞 第5回メディアフォーラム『震災報道を考える』を開催しました。
発災から5年。テレビや新聞の震災報道はどう変わって来たのか。また今後の震災報道はどうあるべきなのか、会場の皆様とじっくりと考えた3時間でした。
コーディネーターは池上彰さん。
司会はテレビ朝日の下平さやかアナウンサー。
パネリストとして、映画監督の石田朝也さん、
大槌新聞の菊池由貴子さん、朝日新聞の長典俊ゼネラルエディター兼編成局長、朝日新聞の大月規義編集委員、テレビ朝日の久慈省平報道局災害報道担当部長 が登壇しました。
*『はい!テレビ朝日です』HPバックナンバーで過去の動画配信を見ることができます。
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◆◇◆ 討論①「震災5年・メディアはいま」 ◆◇◆
■「復興してますか!?5年間を取材して」 朝日新聞 大月規義編集委員
3.11時、経済産業省・原発事故を担当、その1か月後から福島に3年間行き、誰もいなくなった町・避難した人たちを中心に取材してきた大月編集委員。2年前からは東京で政府の復興政策について取材を続けてきました。被災地と東京を中心とした国・自治体とのズレについて話しました。
―被災地の変化―
被災地にあった会社・工場・商店など5000社を調査したグラフがあります。黄色い棒グラフは、被災した企業が立ち直りもう一度仕事を始めた数です。震災3か月後には約50%、翌2012年2月には約70%と回復。その後も増えるのかと思いきや、2016年2月までほぼ横ばいという数字になっています。
再び仕事を始められる人、始められない人の差がひらいてきました。また津波で流された自宅を自分の資力で再建できる人できない人の差も。道路や橋などの復旧工事は進み、データ上は復興したかのように見えますが、自立できる人できない人の差もひらいています。
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―被災者と、国や市町村による復興計画とのズレ―
被災した市町村(役場)からすると、離れてしまった住民を戻し
(人口を増やし)町を存続させたいという思いがあります。
また国からすると、被災地の復興を「日本中の過疎地復興」の
モデルにできないかという理想論も出てきました。しかし被災
した人たちは、色々な状況を抱えています。年齢・家族構成・
経済力・価値観などから、故郷に戻りたくても戻れず、思うよ
うにいかない人が多くいます。国や自治体が復興計画を立てて
も、その計画通りにはいかないというジレンマがあります。
「取材をしていく中で、「復興とは何か?」という事を考えま
した。ピーク時は47万人といわれた避難者。47万通りの復興の姿・パターンというものがあります。かたや、国・自治体が立て
ている復興計画の思惑と被災者の思いのズレを、取材をすればす
るほど大きく感じました。“復興”とは一言で説明するのは難しいです。それをいかに分かりやすく、被災地以外の人にも伝えられ
るかというのが、これからの報道ではないかと思います。」
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■「“想定外”は続いている」 テレビ朝日 久慈省平災害報道担当部長
テレビ朝日系列の災害報道を担当している久慈担当部長。東日本大震災報道の反省点やこの5年間の取り組み、そして、もし今また東日本大震災が起きたら、テレビはどんなことができるのかについて話しました。
―減災報道はテレビ局の義務―
テレビ局は、被害を減らす減災報道を法律で義務付けられています。放送法第108条に「災害が発生し、または発生するおそれがある場合には、その発生を予防し、またはその被害を軽減するために役立つ放送をしなければならない。」とあります。
―東日本大震災の反省点―
まず、津波避難を呼びかけることの不十分さです。 その最大の反省
点はマスメディア側の津波の恐ろしさへの認識力不足です。その為、
“地震の瞬間”の映像や、東京・台場での火事、東京駅での大混乱など
を放送してしまいました。本来は何より、被災地沿岸部の人たちへ
避難を連呼しなくてはなりませんでした。
また気象庁の情報を流し続けましたが、後に分かったことですが、
気象庁の津波の波高予報は間違っていたのです。
そして被災地は停電でテレビを視聴できませんでした。誰に何を伝え
ようとしていたのかという反省があります。
これらの反省点をふまえ、テレビ朝日系列局では災害訓練を実施し
ています。例えば、テレビ画面右上のサイドテロップでは「ただちに逃げてください」という言葉を使い避難を呼びかける
ことにしました。またNHKや民放各局バラバラの色を使っていた津波地図スーパーを、大津波警報は紫にするなど各局統一して見やすくしました。
「この5年、災害報道への対策はきちんととれていたのか。実際はとれていないことが多々ありました。2014年の広島土砂災害や御嶽山噴火、2015年の鬼怒川堤防決壊をもたらした関東・東北豪雨など、それぞれの災害への対策は十分でなく、反省点があります。東日本大震災以降、“想定外”の災害は起きていて、次の想定外に向けて対策を日々とっている状況です。」
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◆◇◆ 討論②「映画『無知の知』から考える震災報道」 ◆◇◆
映画監督の石田朝也さん。福島第一原発の事故について、関係者や原子力の専門家、地元住民に取材したドキュメンタリー映画『無知の知』を2014年に公開しました。
はじめに映画のダイジェストを放映。その後、池上彰さんからの質問に答えました。
■石田監督はこの映画を撮った理由を、「私は専門知識もなく
一般的な感覚の人間です。この映画は“何となく”作り始めたんです。」と話しました。
「皆さんと同じようにテレビを見て、悲劇の数々に心を痛めて
いました。でも何もできずにいました。そして震災から2年後、
何かできないかと考えていた中、福島に行きました。福島では
放射線量がまだ高く、ガレキもそのままである状況が衝撃的でした。そして、調べれば調べるほど“分からない”。」
専門家に聞いても分からず、これが映画のタイトルになったそう
です。
「何も知らない、と正直に言ってインタビューすると、相手も
本音を言ってくれた。何か新しい切り口で作れるんじゃないか、
発信できるんではないかと思い、政治家の声も聞き取って
いったら1本の映画になりました。」
■また石田監督は、ストーリーを決めて取材するマスメディアの
取材姿勢に対する福島の人々の反感の大きさを伝えました。この 報道姿勢について、長典俊朝日新聞ゼネラルエディター兼編成局長が語りました。
「取材される側が語ったことと、伝えられたことが食い違っている。あるいは自分の意見と違ったことが伝えられている、という
意見を朝日新聞にいただくことがあります。記者は仮説を持って
取材に行くことが多いですが、現実を見てその仮説を変えていく
ことが個々の記者に求められています。」
◇◆ 討論③「被災地からの情報発信『大槌新聞』と震災報道」 ◇◆
岩手県大槌町で生まれ育った菊池由貴子さんは、被災地に必要な情報が複雑かつ伝わりにくいと感じ、2012年から週刊の「大槌新聞」を発行しています。未経験ながら一人で取材・執筆・編集を行っている「大槌新聞」発行の背景や国と地方の関係、自治のあり方について話しました。
―週刊「大槌新聞」とは―
東日本大震災後、しばらくはラジオと新聞が情報源でした。しかし、県域ラジオでは町の情報が極めて少なく、地元の新聞社も被災したため、全国紙や県紙を通して大槌町の情報を得るしかありませんでした。その状況から「町の情報は町民が発信すべき」、「“市町村単位”の新聞が必要」だと強く感じ大槌新聞を発行しようと思いました。
2012年6月の創刊時から現在まで毎週発行しています。途中からは、町内に全戸無料配布を続けています。無料配布を維持している理由は「情報格差」を生じさせないためです。また大槌新聞の特徴は、復興情報をメインに取り上げていることです。町の広報紙だと分かりづらく、県の新聞だと情報が浅く少ないからです。その他、住民主体の活動も掲載しています。これまでは国の助成金を使って発行していましたが、今年4月からは独立して一人新聞社として発行を続けていく予定です。
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―「東日本大震災復興基本法」にある理念の共有の大切さ―
東日本大震災の復興基本法には、「単なる災害復旧にとどまらない
活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策」「新たな地域社会
の構築」「二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指す」とあ
ります。
菊池さんは「被災地の問題は日本全体の問題です。復興にかかる時間
とお金(枝葉の部分)を論じる前に、まずは復興理念(幹の部分)を
みんなで再確認し、共有することが必要です。「復興は、被災地だけ
でなく、この国全体が良くなるためのものだ」という明確な理念があ
れば、時間やお金がかかっても、みんなの理解が得られるのではない
かと思います。逆に、理念がない復興は、時間とお金の無駄でしかあ
りません。」と力強く語りました
また、今回も会場のみなさんから「コメントシート」を回収し、たくさんのご意見をいただきました。
■自分の視点、メディアの視点、大槌に実際にいる人の視点、それぞれのズレを非常に感じ、社会でそして日本で震災について共有することの難しさを感じました。討論内でもあったように、震災はまだ終わっていないと思うので、知ることから始めようと思いました。
■5人のパネリストのそれぞれの意見を聞き、一口に報道といっても多様性があることに気が付きました。
■毎回参加させていただいていますが、今回は菊池さんのお話に、現地の現状、現地の人々の考え方がたいへん分かりやすく、大手メディアからは聞くことのできない話に感動しました。
■「震災から5年」と報道されるが、被災地の人々にとってこれは何の節目でもなく、まだ震災は終わっていないと感じました。風化することなく、しっかり記録を残すことで、将来起こりうる震災の教訓にすべきだと思いました。
■大変有意義な3時間でした。過去を嘆き被災地を悼むことではなく、未来に向けて過去を検証する前向きな姿勢を持つことの大切さを感じました。
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5回連続で「メディアフォーラム」のコーディネーターを務めた池上
彰さんは、「災害とは人の裏をかくという言葉があります。常にいろんなことを想定して、こんな時はこうしようと思っていると、思いもよらぬことが発生する。いわば人間の対策の裏をかかれるということです。では今度はそれを教訓にして対策しよう、としていると別の裏をかかれるということが起きます。なので、災害報道では現地に対する想像力をどれだけ持てるか、ということが大切だと思います。この地域で警報が出されたら、次にいったい何が起きるんだという想像力を持つことが求められています。」と震災報道の在り方について話しました。
そして最後に「“復旧”は進んでいるが、“復興”とはいったい何なのだろうといつも考えていました。菊池さんの『復興とは21世紀の日本のあるべき姿を先導的に示すもの』という話を聞いて、そのあるべき姿を被災地、東北地方の人たちだけでなく、日本全国の人たちがそれを見て学ぶことで、全国の地方創生につながるのだと感じました。」と締めくくりました。
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この模様は、3月20日(日)・27日(日)の
『はい!テレビ朝日です』で放送予定!
朝日新聞では、3月14日(月)朝刊別刷りに掲載予定です!
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