2月21日(日)、テレビ朝日と朝日新聞社共催で「メディアフォーラム2021 東日本大震災から10年『メディアは何を伝えてきたのか』」を開催しました。
東日本大震災から10年。テレビ、新聞などのメディアはこの10年、何を伝え、何を伝えられなかったのか。伝える側と伝えられる側の「ギャップ」、社会の「分断」が指摘される中においてメディアの役割とは?新型コロナによって生まれた新たな問題などメディアの果たす役割・使命について、じっくりと考えた2時間となりました。
コーディネーターには池上彰さんを迎え、パネリストには丹羽美之さん(東京大学大学院情報学環准教授)、安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト)、箭内道彦さん(クリエーティブディレクター)をお招きしました。さらに気仙沼から千葉顕一さん(東日本放送気仙沼支局カメラマン)、釜石から東野真和さん(朝日新聞編集委員・釜石支局長)と中継を繋ぎ、「自身と震災の関わりについて」ふれながら、震災報道の「課題」と「これから」を話し合いました。
なお今回のメディアフォーラムは、ビデオ会議サービス「Zoom」によるオンラインで開催。
約300人の方にご参加頂きました。
◆ 伝える側と伝えられる側の「ギャップ」 |
今回のメディアフォーラムでは、これまでのフォーラムで討論された震災報道・メディアの在り方への様々な問題点やご指摘・提言の一部をまとめたパネルを使いながら説明。
司会の下平アナウンサーがキーワードの部分をめくりながら、池上さん・パネリストと話を深めていきました。
まずは、自らが被災者でありながら伝える側でもあった気仙沼の千葉カメラマン。
気仙沼の大津波を撮影し、「津波を撮ったカメラマン」としてニューヨーク・フェスティバルで表彰されましたが、近所の人々が逃げ惑う姿は映すことができなかったと言います。
そこには、遠慮があったのか配慮かは分からない…。避難所の体育館の中の様子もカメラを回せなかったそうです。
伝えなくてはならないのに、伝えることはできなかったという大きな葛藤を語りました。
震災後、被災地の日常を発信し続けている安田さんは、震災直後の「希望」の伝え方の難しさを伝え、伝える側と伝えられる側の「ギャップ」に「課題がある」と提言。
何をどう伝えたらいいのか、色々と悩んでいた中で唯一シャッターを押すことができたのが、後に「希望の松」と名付けられた一本の松でした。希望の象徴のように思ったこの写真を、陸前高田在住の義父を元気づけようと見せると「何万本もの松と一緒に暮らしてきた私にとっては、“えっ、一本しか残ってないの”という津波の威力を象徴するものでしかない。見ると辛くなる」と言われ、すべての人がそうでないとしても伝える側は気をつけていかなければならないと話しました。
◆ 社会の「分断」、メディアは何ができるか |
箭内さんが指摘したのは、社会の「分断」。被災地と東京の分断、そして被災地内での分断を挙げました。さらに「震災から10年」と言っても人それぞれで「もう大丈夫」という人もいれば、「今が一番つらい」という人もいる。被災地には「光と影」があるが、一方的な視点で「光」の部分だけ、「影」に部分だけを取り上げた報道が多い。その「光と影」の両面を取り上げ、今、福島はこうなっているという現状を正しく伝えるべきだと、メディアの姿勢について提言しました。
箭内さんからの提言を受けて、メディア・ジャーナリズムを研究されている丹羽さんも、この社会の「分断」を解決するために、メディアが担う役割が大きいと言及しました。
◆ 復興の取り上げ方で感じたこと |
大槌町から復興を見続ける東野さんは、東日本大震災の復興とは被災地を元の過疎地に戻すことではなく、21世紀半ばの未来都市のモデルとなるような街にすること。この復興の理念を理解した上で報道することが大切だと「復興報道のあり方」について提言しました。
◆ コロナ禍の問題点とメディア |
フォーラムの終盤は昨年から日本全土が襲われている新たな災い「新型コロナウイルス」の話に。
コロナ禍での買い占め騒動はメディアが煽っている所がある事。そして、震災の時に差別された福島の人が、他県ナンバーの車に石を投げるなど、日本人が成長していない事などの問題点が討論されました。
◆ 最後に…これからどうすべきか |
●池上彰●
あれから10年経ち、東日本大震災の現場の様子を覚えていない、分からない若い人達も出てきています。取材する側も、10年前に取材した人が現場を離れ、現在取材に行くのは当時を知らない若いカメラマンが行く、と言うこともあります。私達が当時を総括し、取材経験を社内で検証、継承していくことが大切です。さらにメディアの枠も超えて継承していく、それが私達10年目の大きな責任だと思います。
●箭内道彦●
福島では3月になるとテレビをつけるのが怖いと言う人が多い。全国放送でやらなければならないこと、地方局でやらなければならないこと、それぞれ役割分担があります。今は全国、地方と報道がバラバラです。これからの報道は、その役割分担をそのまま担うかもしれませんが、ひとつの報道に歩み寄ることができた時、その時初めて復興が大きく一歩前に進むと思います。
●安田菜津紀●
「東北を忘れない」「東日本大震災を忘れない」という言葉が多く聞かれます。忘れる忘れない以前に、私達はどこまで知って、どこまで知らせる事ができたんだろうか。もう被災地・被災者とよばないでという方もいれば、3.11にテレビさえ付けられない方もいます。同じ歩幅で考えず、大きな枠組みで構造的な問題を伝えつつも、どれだけ小さな主語で伝え続けられるのかということが私たちに問われていると思います。
●丹羽美之●
10年で終わったわけではなく、通過点。阪神淡路大震災でも25年経って、ようやく当時のことを話し始めた人もいます。10年で決して終わったわけではないことを肝に銘じたい。これまでメディアはかなりたくさんのことを報じているのに、それが一回きりの放送になって後に繋げられていないと思います。過去の番組を共有して色々な所で使える仕組みを作って頂きたい。そうすればこの10年の歩みが無駄にならないと思います。
また、オンラインで参加されている皆さんから質問コーナーも設け、パネリストがそれぞれ丁寧に答えていきました。
初めてのオンライン開催でのメディアフォーラムでしたが、皆さん積極的にご参加下さりありがとうございました!
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この模様は、3月14日(日)・21日(日)の
『はい!テレビ朝日です』で2週にわたって放送予定!
朝日新聞では、3月16日(火)朝刊で特集記事として掲載予定です!
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