賞レースで躍進するナイチンゲールダンスが目指すのは“王道の漫才”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#25(後編)
2023年、『ツギクル芸人グランプリ』優勝や、『M-1グランプリ』準決勝進出など、躍進を遂げたナイチンゲールダンス。
漫才では、中野なかるてぃんのボケとギャグの乱舞にヤスがツッコむが、実際には、ヤスが中野を振り回しているようだ。自信家で忖度のないヤスの言葉は、鋭く真実をえぐるからこそ反発も生む。そんな相方の横にいられるのは、中野だけだろう。
エリート漫才師、ブレイク前夜の証言をお届けする。
【インタビュー前編】
大学時代から名を馳せ、養成所を首席で卒業した、ナイチンゲールダンスの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#25(前編)
血気盛んなNSC時代
左から:ヤス、中野なかるてぃん
──大学お笑いから吉本の養成所であるNSCに入ったのはなぜですか?
ヤス なんでだったっけな。たしかに僕たちよりちょっと上の世代の大学お笑いでは、「吉本行くのはちょっと違う」みたいな雰囲気があったんですよ、なんでかは知らないですけど。
中野 本当になんとなくだよね。僕らも芸人になろうって決めてから一応いろんな事務所を考えはしたんですよ。
ヤス そうそう、人力舎どうかなとか、マセキ(芸能社)のオーディション受けようとか。でも、僕らは節操なかったんで「一番でっかいとこ行ったほうがいいじゃん」って行きましたね。普通にNSCとか行ってみてぇじゃんって。怖いもの見たさじゃないですけど。
中野 ヤスさんが「NSCで青春したい」って言ってたんですよ。
ヤス あぁ、そうだわ。
中野 NSCに入った年、僕は大学4年だったんですけど、ヤスさんは卒業したんですよ。4年間大学お笑いをやりきったヤスさんが「俺、新しいところで青春したい。ダンスとかいっぱい練習したいし、同期と一緒にいろんな授業受けたい」って言ってて。なのにNSCに入ったらほとんど授業に来ない。
ヤス なんかね〜(苦笑)。
中野 「行きましょうよ」って誘っても、「行くわけねーだろ! 俺がイヤがること強制してくんなよ!」って。
ヤス 言った記憶あるわぁ。
──ヤスさんの心境にどんな変化があったんですか。
ヤス いや、もう覚えてないっすね。
中野 本当にここでは言えないような言葉を使って、罵倒されたんですよ。
ヤス なんて言ってたの?
中野 「NSCに無理やり行かせるってことは、◯◯するのと同じだからな」って。
ヤス いやいや、載せれるか!(笑)
中野 「もうコイツはダメだ……」って思って、僕はひとりで行ってましたね。
ヤス なかるてぃんは、4月から11月くらいまで「ナイチンゲールダンス・中野」としてずっとピンでやってて。選抜クラスにも入ってたんですよ。
──それなのにナイチンゲールダンスは首席卒業した。
ヤス そうっすね。
──じゃあヤスさんがNSC不登校の間も、水面下でネタ合わせはしてた?
ヤス してたっけ?
中野 ヤスさんは授業を選んでたまに来てたんですよ。ネタ見せの授業もたまに行ってたんで、そのためのネタ合わせはしてましたね。
ヤス あぁ。ふたつだけ行ってたね。ひとつは講師の人がめちゃくちゃちゃんとした人だなぁって思って行ってたんですけど、もうひとつは「マジでコイツとケンカしてぇな」って行ってた。
──ケンカってなんですか。
ヤス その人のお笑いの授業に「それどういう意味ですか?」って突っかかってましたね。意味わかんなかったんで。ケンカ売るためにネタやってました。今思えばなんであんなに血気盛んだったのかわかんないですけど。
プロ初舞台は漫才の聖地
──ちなみになんでNSCを首席で卒業できたんだと思いますか?
ヤス 芸人を味方につけたからですね。卒業ライブの成績で順位が決まるんですけど、客席がお客さん半分、芸人半分なんですよ。だから声のでかい芸人を笑わせたほうがウケ量が大きくなる。
──成績ってウケたかどうかで決まるんですね。
ヤス まんまそうです。講師の判断とかはない。だから卒業ライブでやるネタは同期にも隠しておくべきなんですよ。
──じゃあヤスさんがNSCに通わなかったことも功を奏したんですね。
ヤス そうでしょうね。負けたヤツは本当悔しいでしょうね、なんで来ないヤツに負けるんだって(笑)。逆になかるてぃんは出席率100%なんですよ。そんなヤツもいないですよ、みんなよくて60〜70%だから。
──ヤスさんってダークヒーロー的ですよね。同期からひんしゅく買いませんでしたか?
ヤス もちろんありましたよ、今でもありますし。でも全員、力でねじ伏せるだけです。文句あるなら俺よりウケろよ、それだけです。神保町の劇場だったら「『Jimbochoグランプリ』で俺たちより結果出してんの?」ってことですから。
──ヤスさんと一緒で、中野さんは大変じゃないですか。
中野 慣れましたよ。
──プロとしての初舞台っていつですか?
ヤス それはNSC首席特典で出たNGKの『よしもとゴールデンアワー』っていうイベントですね。ダウンタウンさんがMCのライブで、それがプロとして最初の舞台です。漫才の持ち時間は1分半だったし、お客さんはみんなダウンタウンさんを観に来てる舞台でしたけど、いい経験でしたね。だって、ダウンタウンさんが袖で観てるんだから。
──いきなりそれはヤバいですね。
ヤス ダウンタウンのおふたりが袖で並んで、全組観てるんですよ。緊張しながら自分らの出番まで袖で待機してたら、横でバキバキバキッ!って音がして、驚いて振り向いたら、浜田(雅功)さんがアメ5個一気に噛み砕いてました。
中野 僕らには人間の骨を噛み砕く音にしか聞こえなかったです。
ヤス 怖すぎるって(笑)。その舞台はさすがに死ぬほどスベりましたね。でも、そのライブが全員ダウンタウンさんと同じギャラだったんですよ。だからいきなりすごい額のお金もらえて、全然プラスで帰れました。こんだけもらえるなら全然スベっていいやって。
中野 ほかの出演者のおいでやす小田さんとかネルソンズさんとかも、ダウンタウンさんに観てもらうから、みんな目がバキバキなんですよ。
ヤス プロの楽屋ってこんなにピリついてるんだって思いましたもん。コーナーのジェスチャーゲームかもダウンタウンさんと一緒にやるんですよ。
──そこでは爪あとは残せましたか?
ヤス 前に出られるわけないですよ。武器なんて何も持ってないですから。
中野 ダウンタウンさんが一番活躍してました。
ヤス 手数も一番多かった。一番ボケて、一番ツッコんでた。NGKでずっと裏方やってる人に「NGKで一番ウケた人だれですか?」って聞いたら、やっぱりダウンタウンさんだって言ってましたからね。あの人たちはずっとウケ続けてるんですよね。
すべてを強引に正解してやる
──プロになったばかりのころのナイチンゲールダンスは、ヤンキー漫才をやって迷走してたと聞いたことがあります。
ヤス それは1年目かな。とりあえずキャラとかあったほうがいいのかなと。あと、ダブルボケをやってみたかったんでヤンキーとガリ勉でやってみました。でも別に迷走っていうよりは、いろいろ試してる時期じゃないですか?
中野 普通にM-1も3回戦とか行きましたしね。
ヤス ウケてはいたし、NON STYLEの石田(明)さんにも「めっちゃおもろいな」って言ってもらえてたし。でも、すぐ飽きちゃうんですよ。たぶん、2年目くらいまでは月1で漫才スタイルを変えてたと思います。
中野 いろいろ試して探そうって感じでしたね。
ヤス そうそう。いろんな格好してましたからね。俺が指なしグローブをつけたり、なかるてぃんの衣装が全身水玉模様になったり。
中野 そうそう。ポップにしようって思って、全身水玉模様のスーツみたいなの作ったんですけど、水玉模様が細かすぎて……。
ヤス 俺たちをずっと応援してくれてたファンの方が、水玉スーツを見た瞬間にゲロったんですよ。集合体恐怖症だったらしくて。それ以来、二度と来てくれなくなりましたね(苦笑)。
──余裕がないといろいろ試してみようって思えない気がするんですが、早く売れたいっていう焦りはなかったんですか?
ヤス そういう焦りもあったのかもしれないですけど、それよりは今しか失敗できないじゃんって思ってました。
中野 あと、東京ホテイソンの存在も大きかったです。大学時代、一緒にライブに出てたときは普通の漫才してたんですよ。でも僕らが1年目のときに、東京ホテイソンが3年目とかで自分たちのスタイルを見つけたんで「スタイルを模索したほうがいいのかもしれない」って思いましたね。
ヤス そうだね。だから、あるあるネタも歌ネタもやったし。しかもそういうのって今、営業でめちゃめちゃ使えてるんですよ。営業で歌ネタは最強ですよ。声出してればスベってるってバレないんで。だから全然迷走でもムダでもなかったですね。
──ナイチンゲールダンスは主催ライブもものすごい数打ってましたよね。
中野 事前に質問案をいただいたじゃないですか。あそこに「ヤス主催ライブが多いのはなぜですか?」って書かれてたのがおもしろくて(笑)。
ヤス それは、俺がこんな感じなんで劇場からよく思われてなくて、ライブ出演が減ったからです。出番もらえないなら、自分でライブ打てばいいんじゃんってことでやり出して。一番多いときは年間97本やりましたね。2位は4本でしたけど。
──尋常じゃないですね。
ヤス あと、めんどくさかったのが吉本のしきたり。後輩が先輩をライブに誘うときは、一回直接あいさつしに行かなくちゃいけないっていうのがあるんですよ。「こっちが仕事振ってるのに、なんで俺が出向かなきゃいけないの?」って思って。俺は今でも後輩からライブ誘われたら「ありがとうね」って言いますから。
──ライブをたくさん打ちたいってなると、毎回あいさつに行くのは時間がかかりすぎますね。
ヤス でしょ? だから、けっこう他事務所の芸人さんを呼んでました。M-1出る前のモグライダーさんとかランジャタイさん、ウエストランドさん、錦鯉さんも出てくださって。あの人たちは「出てくれませんか?」って連絡したら、すぐ「いいよ」って返事くれるんで話が早いんですよ。
──他事務所の芸人さんともつながりがあったんですね。
ヤス そういう意味では、けっこうほかの吉本芸人とは違う道を通ってるんですけど、意外と正解っていうか。まぁ無理やり正解にしたところはあるんですけど。まぁ、いろんな考え方があるんで、各々自由にやったらいいんでしょうけど。俺はこういう考え方ですね。他事務所はそういうしきたりがないんで、呼びやすかったです。
ナイチンゲールダンスは王道でメガヒットする
──ナイチンゲールダンスはM-1に出てない時期がありましたね。
ヤス 単純にみんな出てるから、別のことしたほうが売れるんじゃないかって出なかったです。
──その時期って賞レース向けの漫才は作らないってことですよね。
ヤス そうですね。だからみんながめちゃくちゃボケ詰め込んだネタで調整しまくってるときに、歌ネタやって劇場でめっちゃウケてましたね。お客さんも緊張してるから笑いたいんですよ。
──中野さんも賞レースは別に出ないでよかった?
中野 いや、僕はけっこう出たかったっすね。でも、出たいって言ったら、本当にここでは言えないような言葉で……。
ヤス うはははは(笑)。
中野 意味わかんない。「二度と出ねえから、お前、次その話したら◯すぞ!」って出番前の袖で言われてましたから(苦笑)。
ヤス まぁ結局、出ないと売れないんで出ることにしたって感じで。
──そして今年のM-1はセミファイナルまで進出して、いよいよ頂点も見えてきたのかなと思いますが、今後のナイチンゲールダンスはどんな活躍をしていきたいですか。
ヤス 吉本の売れっ子芸人コースを行きたいですね。今でいうと、千鳥さんとかかまいたちさんの感じで。
中野 もう少し近くでいうと、見取り図さんとかニューヨークさん。
ヤス うつろな目で全国の劇場を回り続けたいですね。
──彼らの一日に密着した映像を観たことありますが、尋常じゃない忙しさですよね。あれに憧れるんですか……?
ヤス もちろん。
中野 実際あの忙しさになったら「しんどい!」って絶対言いますけど、でもやりたいです。
ヤス 一回やっとかないとね。僕はやすしきよし師匠とか漫才ブームのときの芸人さんをずっと見てて、あの時代の吉本芸人の感じに憧れてるんですよ。だから劇場飛び回ってるっていうのはやりたいですねぇ。
──やっぱり劇場が大事。
ヤス 劇場でウケてないとナメられちゃいますからね。それに劇場でウケるのが売れるための一番の近道なんでね。吉本の社員さんってみんな忙しいから、「この芸人さんはウケてないけど見込みあるぞ」なんてヒマないんです。「めっちゃウケてんじゃん、どんどん使うぞ」でしかないんで。だからそりゃ劇場でウケてないと厳しいっていう。すごいシンプルなんですよ。
──社員の視点に立てるのがヤスさんのすごみですね。お笑いサークル時代のスパイ活動で培った力というか。
ヤス いや、普通に見てたらわかりますよ。社員さんに芸人のネタを吟味してる時間なんてないよ(笑)。
──ナイチンゲールダンスの漫才はオーソドックスだけどずっと笑ってられるし、劇場はもちろんテレビも沸かせる漫才だなと思います。
ヤス いろいろやってみたんですけど、あんま向いてなくて。結局、まっすぐシンプルに「なかるてぃんをハンバーグ屋にぶち込んで、俺がツッコむ」みたいなコント漫才が一番ウケる。僕らはメガヒットしたいんですよ。『ハリー・ポッター』みたいに売れたい。あれも、魔法少年が親の仇と対決するっていうシンプルな話なのに、中身がむちゃくちゃおもしろいわけじゃないですか。だから、僕らは『ハリー・ポッター』みたいな王道でメガヒットしてやります。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽
ナイチンゲールダンス
ヤス(1993年5月27日、長崎県出身)と中野なかるてぃん(1994年8月28日、山梨県出身)のコンビ。大学時代、『大学生M-1グランプリ2015』で優勝。2016年にNSC東京に22期生として入学し、首席で卒業。2023年には『ツギクル芸人グランプリ』優勝、M-1では初めて準決勝に進出した。YouTubeチャンネル『ナイチンゲールダンスチャンネル』でネタや企画動画もアップしている。