バンド、役者、ラジオ、“伯山の妹”──マルチな才能を発揮する、アンジェリーナ1/3の魅力
アンジェリーナ1/3(あんじぇりーな・さんぶんのいち)
Gacharic Spinのマイクパフォーマー。高校生の文化祭でスカウトされ、2019年、Gacharic Spinに加入。バンド活動のほか、『アンジェネレーションラジオ』(ラジオ日本)でパーソナリティを1年間務める。2022年に『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)で神田伯山の代役に大抜擢され、“伯山の妹”と話題になる。2024年2月、Gacharic SpinはEP『Ace』をリリースし、7月6日にはTOKYO DOME CITY HALLにて全国ツアーの追加公演が決定している。
結成15周年を迎えた超攻撃的&ド派手なガールズバンド・Gacharic Spinでマイクパフォーマーを担当。バンド経験のない「普通の女子高生」から一転、バンドのフロントマンとなり表現者として圧倒的存在感を放つ。ラジオパーソナリティとしても活躍中の彼女には、講談や寄席など伝統芸能が好きだという一面も。「自分に正直に生きること」を座右の銘に掲げ、日々新しい表現を求め続けるアンジェリーナ1/3。彼女が多くの人から“愛される理由”を徹底解剖する。
「職業=表現者」に導いてくれた父の存在
──2022年にGacharic Spin(略称:ガチャピン)が豊洲PITで『☆G!G!G!PREMIUM!!』を開催されたとき、そのライブレポートを僕が担当しまして。ライブでメンバーとお客さんが一緒にジャンプをする場面があり、4分くらい経ってお客さんがバテ始めたときに、アンジーさん(※アンジェリーナ1/3の愛称)が「つま先を地面につけたまま、かかとを上げ下げするのはジャンプじゃない。ちゃんと跳べ!」とおっしゃいまして。
アンジェリーナ1/3 ははは! 私なら言いかねない。
──この言葉、どこかで聞いたことがあるぞ……あ、昔の不良がカツアゲするときに言っていた!と思ったんですよ。そのことも記事に書かせてもらいました。
アンジェリーナ1/3 いやいやいや! 今日は私の人となりをお話しする企画ですよね? 出だしから嫌な人間になってるから!(笑)
──ちゃんと客席は沸いてましたよ。その日のライブを観て、アンジーさんは小さいころから天真爛漫で、人の心をつかむのがうまかったんだろうなと思いました。
アンジェリーナ1/3 そうですね。幼少期はとにかく人懐っこくて、子供用のリードをつけていないと、すぐに親の元を離れていくタイプだったんですよ。知らない家族の集合写真に写り込むし、初めて会う人に対して壁を作らない。子供ながらに人のことが好きだったのか、グイグイいく性格ではありましたね。だけど小学校の高学年くらいから、人と関わるのが怖くなってしまって。そこからは引っ込み思案じゃないですけど、内にこもるタイプになりました。今も人と関わるときには、距離感だったり発言だったり、その人とのいい関係を保つために、いろいろ考えながらコミュニケーションを図る癖がつきましたね。
──実は、慎重に様子をうかがいながら接していると。
アンジェリーナ1/3 考えていないようにしゃべるのが得意なんですよ。ただ、自分の中ではラインがあって「これ以上は行かないようにしよう」と心がけながらコミュニケーションをしていて。って……こんな見た目でまじめなことを言っちゃうのも、ちょっとアレなんですけど(笑)。
──小学生のころに、子役として芸能活動をしていたのも大きいんですかね。
アンジェリーナ1/3 そうかもしれないです。子供のころに、洋画の『サウンド・オブ・ミュージック』を観て「歌って、踊って、お芝居をするのって、生活に彩りを与えてくれるな」と思ったんです。それで小学2年生のとき、父に「私、お芝居をやってみたい」と言ったんです。
──それでお父さんは?
アンジェリーナ1/3 かつては、父も同じ夢を持っていたんですよ。俳優座劇場などでお芝居をやっていたらしいんですけど、そのことを私には言わずにいてくれていて。なぜなら「自分の夢を子供に押しつけたくない」という理由で、隠していたらしいんです。だけど私が自発的に「お芝居をやりたい」と言い出したから、お父さんも「それならサポートをしたい」と言ってくれて。私にはお兄ちゃんがふたりいるんですけど、長男も芸能系の夢を持っている人だったので、お兄ちゃんが芸能事務所のオーディションを受けに行くのを聞きつけて、レッスンの様子も見たいから、私もついていったんです。そしたらお兄ちゃんのオーディションなのに、私が社長さんにスカウトをされて。それで小学3年生から子役の活動を始めました。
──ドラマにも出られていたとか。
アンジェリーナ1/3 この性格なので、最初はバラエティのお仕事が多くて。『おはスタ645』(テレビ東京)もそうですし、レギュラーでいうとEテレの『Eダンスアカデミー』(2013年〜2022年放送)にも出させていただいたり、CMのお仕事もいただけたり。ようやくお芝居の仕事をもえらえたのが、小学校高学年になったころですね。時代劇をはじめ、いろんな作品でお芝居をさせていただけるようになりました。
──じゃあ、そのまま芸能の世界へ行こうと。
アンジェリーナ1/3 家庭環境とかいろんな問題が重ならなければ、ノンストップでお芝居を続けていたと思うんですけど。
──家庭環境ですか?
アンジェリーナ1/3 私が小学生になったタイミングで、お父さんが癌を発症したんです。父は料理人だったんですけど、右腕に骨肉腫ができて術後は包丁を握ることはおろか、ペンを持つこともできなくなってしまって。私が小学6年生になり「これで何もなければ、治ってるはず」という最後の検診で、癌が肺に転移しているのが見つかって……。その時点でステージ4になっていて、余命も長くないと診断されました。闘病生活を送りながら、一緒に台本の読み合わせをやってくれていたんですけど、私が中学1年生の6月に病気で亡くなってしまって。
お父さんは、私がお芝居をやることを誰よりも応援してくれていたからこそ「お父さんがいないのに、自分が芸能活動を続ける意味ってなんだろう……」とわからなくなっちゃったんです。一番評価してもらいたい人がいないし、その中で続けていく強さも自分にはなくて。そこで表現者になる夢をあきらめて、安定した職業に就こうって決めました。だけど事務所を辞めたあと、父の遺品整理をしていたら、大量のCDとか音楽に関わる物がいっぱい出てきて。表現者を辞めるのはきついかも、って思ったんです。
──それはどうして?
アンジェリーナ1/3 UNICORNさん、サザンオールスターズさん、プリンセス プリンセスさんとか、父が残した遺品のCDを見たときに「お父さんは機嫌がいいときにこれを歌ってたな」とか「ちょっとイライラしてるときはこれでストレス発散してたな」って、いろいろ思い出したら、音楽って時間と人をつないでくれると改めて感じて。その人の肉体がなくなっても、音楽を聴くだけで一緒に過ごしていた情景がよみがえる。お芝居はお父さんがいないから怖くてやれないけど、音楽だったらがんばれるんじゃないかと思って、音楽の道に進もうと決めました。中学1年生から高校2年生になるまで不登校だったんですけど、その間にアコースティックギターを始めたのが原点ですね。
──不登校になったのは、お父さんのことで?
アンジェリーナ1/3 それもあるし……小学校の高学年のときに、いじめられていた時期があったんです。それで人と関わることが苦手になりました。そのあと、中学に進学してバスケ部に入ったんですね。バスケが好きだったのもあるのと、3歳からずっと一緒にいる親友がいて「今日は元気だし、その子に会いたいから学校に行くか」みたいな感じでした。
出会うべく人とめぐり会えている奇跡
──そして高校生になり、学校の文化祭で大きな転機が訪れますね。
アンジェリーナ1/3 高校は音楽だけじゃなく、お芝居をできたりダンスをできたり、あとは企画を立てる授業があったりする特殊な学校に進学しまして。で、高2のときに初めて文化祭に参加したんです。本当はバンドで歌いたかったんですけど、音楽専門の学校ではなかったので、みんなのやりたいことがバラバラ。そんななかで中途半端にバンドは組みたくない、とトガっている自分がいて。私が好きなバンドって“音楽しかやれなかった人たち”じゃないけど、音楽に命をかけてる人たちで、すごく憧れを抱いていたので「とりあえずドラムやろうかな」みたいな中途半端なメンバーは受けつけねえぞ、みたいな(笑)。
──それで同じ熱量を持った人は見つからなくて。
アンジェリーナ1/3 そうです。考えた結果、自分はボーカリストになりたいから、ひとりでも歌おうと思って。がんばってバイトをして貯めた初任給で、アコースティックギターを買って、文化祭に出て弾き語りをしました。そのステージをKOGA(F チョッパー KOGA)さんが観ていたんですよ。当時、Gacharic Spinにはダンスをするパフォーマーがいたんですけど、そのメンバーが卒業することになったので、新しくバンドを作り変えようとしていて。どこかに若いボーカルがいないか、KOGAさんが自らの足で探し回っていたんです。アイドルさんのイベントに行ったり、ちょっとでも気になる弾き語りのライブがあれば、片っ端からチケット買って観に行ったりして。それで「表現全般を学べる学校の文化祭だったら、いい子がいるんじゃないか」ということで私の学校にも来てくれて、声をかけていただきました。
──その前からGacharic Spinの存在は知っていたそうですね。
アンジェリーナ1/3 お声がけいただいたその年の春に、Gacharic Spinのライブを観に行ってまして。「こんなにカッコいいガールズバンドがいるんだ」って度肝を抜かれたんですよ。私、ガールズバンドではなくて、男の子に混ざって女の子がセンターボーカルというParamore(パラモア/アメリカのポップロックバンド)みたいなバンドを組みたかったんです。
というのも「女の子だけのバンドって、恋の歌しか歌わないんじゃないの?」とか「キレイな衣装を着て、小ギレイに演奏してるんじゃないの?」みたいな偏見がありまして。そんななか、音楽にジャンルなんて関係ないし、性別なんて関係ないんだって気づかせてくれたのが、Gacharic Spinだったんです。自分がガールズバンドを組むなら、ガチャピンみたいなバンドを組みたいと思っていて。
──そしたら、そのバンドからスカウトをされて。
アンジェリーナ1/3 すごくリスペクトしている、大好きなバンドなので夢のようでしたね。
──加入当初のことって覚えてます?
アンジェリーナ1/3 覚えてます。私は音楽未経験の女子高生で、なんでもない素人だったんです。だから毎日のように、メンバーが入れ替わり立ち替わりで「今日はMCを見る日」とか「今日はパフォーマンスだけをする日」「ダンスをする日」「歌う日」みたいに、ずっと指導してくれたんですよね。細いことでいえば、お立ち台に飛び乗る練習を3時間やるとか、降りるにしてもどういう降り方をするのかも全部教わったし、鏡の前で拳を上げるだけのリハーサルもあって。とにかくセンターに立つ人として、説得力をつけるためのレッスンを毎日やってくれて。Gacharic Spinは“全力エンターテイメントガールズバンド”なので、所作ひとつにしても完璧でなければいけない。バンド練習というよりも、舞台のお稽古みたいな感じでしたね。
──Gacharic Spinのボーカリストが板についてきただけでなく、今やおひとりでメディアに出演する機会も多くなりましたね。アンジーさんが個人で活躍されていることに対して、メンバーのみなさんは何かおっしゃっていますか?
アンジェリーナ1/3 あえて何も言わずにいてくれてるんですよね。ギターボーカルのはなちゃんは、「アンジーのおかげでいろんな人がガチャピンを知ってくれるようになったよ、ありがとう」って要所要所で伝えてくれたりとか、バラエティ番組でも「あの切り返しおもしろかった」と言ってくれたりします。でも、ほかのメンバーもラジオを聴いてくれたりテレビを観てくれたり、先日は舞台にも来てくれて。でも多くは語らず、「ありがとう」だけを伝えてきてくれるので、私もかえってやりやすいです。
──今年2月に出演された初舞台『芸人交換日記』はいかがでした?
アンジェリーナ1/3 めちゃくちゃ楽しかったです。先ほどお話ししたように、自分の父がすごくお芝居が大好きな人だったし、私が「お芝居をやりたい」と言ったときに、「やっぱり俺の娘だな!」と泣いて喜んでくれたんですよ。それが私としてもうれしくて、活躍する姿をお父さんに見てほしいって気持ちで、幼少期はがんばっていたんです。だけど、父が亡くなったことで自分の夢をあきらめた。私にとって、お芝居の復帰作が『芸人交換日記』だったんです。
私は漫才コンビ・イエローハーツの甲本の娘役と、彼女役の2役をやらせてもらいまして。その娘役が、まあ自分の人生とまったく一緒で! ざっくりいうと、甲本はお笑い芸人として売れたかったけど、家族や相方のために夢をあきらめて飲食店を始めるんですよ。自分が夢をあきらめてしまったからこそ、今度は夢を持っている人たちをサポートしたいと。その結果、たくさんの夢を持った人たちが、そのお店に集まってきた。でも甲本は癌になってしまうんです。甲本は「夢をあきらめるな」、「大切な人のために夢をあきらめる強さを持てる人間になったときに初めて、夢はあきらめるものだよ」って言葉を残して亡くなるんです。
──ああ……それがお父さんと。
アンジェリーナ1/3 私のお父さんも俳優の夢をあきらめてから飲食店をやっていて。夢を持ってる若い子たちが「お金がない」と言ったら「じゃあ俺が自腹で料理を作ってやる。だからお前たちは自分のやりたいことやれ」と言って鍋を振る父の背中を見て私は育った。時間が経って夢を叶えていく人もいれば、あきらめてしまう人もいるなかで、お父さんはずっとその人たちと向き合っていて。最終的に自分が病気になってしまって、癌で亡くなってしまうのもまったく一緒で。
お父さんがよく私に言ってくれたことは、「夢は口に出せば叶う」、「夢をあきらめるな」、「自分の夢を口に出すことで、それを実現してあげたいって思う人たちが近くに来てくれる。実現したいって思ってもらえるような人間になりなさい」とずっと言われていて。甲本とあまりに一緒すぎて、この役をいただけたことは必然だと思ったんです。自分の夢の原点になっているお芝居を「もう一回やってもいいんだよ」と言われているような気がして。死ぬ間際でも思い出すぐらい、大きな出来事ですね。
──Gacharic Spinの加入もそうですし、そういう奇跡的な巡り合わせがアンジーさんの人生には多いですね。
アンジェリーナ1/3 そうなんですよ。私には実力も特別な素質もないけど、“人にめぐり会う”才能だけはあったんですよ。運だけでここまで来ているなって思うぐらい、出会うべく人たちにちゃんと出会えている。“人ってひとりで生きていけない”を体現している人間だと思います。
人生のターニングポイントは神田伯山さん
──ラジオのパーソナリティは、どういうきっかけで始められたんですか?
アンジェリーナ1/3 最初はコロナ禍で始まった『アンジェネレーションラジオ』がきっかけでした。当時、制作担当だった方が「アンジーはマイクパフォーマーだし、もっと間口を広げられたらいいよね」ということで、1年ほど番組をやらせてもらいまして。ある日、リスナーさんから「表現者になりたいのなら、ぜひ神田伯山さんの素晴らしい講談に触れてみてください」という熱いメールが届いたんです。それで演目『中村仲蔵』という講談を聞いたら、度肝を抜かれて涙が止まらなかったんですよ。「こんな素晴らしい表現を知らずして、どうして私はステージに立てているんだろう?」と思うぐらいの衝撃を受けました。
後日、「私は初心者ながら、講談を観てこんなに感動したんですよ!」とラジオで30分間熱弁をしたんですね。なんと、それが伯山さんご本人の耳に届きまして。私は当時19歳だったんですけど「ロックをやっている10代のピンク髪の女の子が、講談をめっちゃいいって言ってくれて。俺の名前を出してくれたんだよ」と『問わず語りの神田伯山』で言ってくださって。そこからラジオを通して交流が生まれて、半年ぐらいずっとオファーし続けて、やっと『アンジェネレーションラジオ』で伯山さんのゲスト出演が決まりました。
──そこでどんな話をされたんですか?
アンジェリーナ1/3 芸事についての質問や自分が悩んでることを、赤裸々にお伝えしたんです。そしたら一つひとつの質問に、真摯に答えてくださって、人としても大好きな人になりました。そこから交流が深くなり、今では私のことを“伯山の妹”と言ってくださるようになりました。ただ、年度が変わるタイミングで私の番組が終わってしまったんです。
やっと伯山さんと出会えて、ラジオが大好きになったのに、と落ち込んでいたときに伯山さんがコロナに感染されて。お身体は元気だったらしいんですけど「ラジオ収録には行けないから、アンジーが代役をやってくれないか?」と収録の2日前に連絡が来まして。もともとはリスナーとして『問わず語り』を愛聴していたので「え? あんな耳の肥えたリスナーさんしかいない番組に、私が出ていいのかな?」と思ったんですけど、「……やります!」と出演させてもらいました。
──とはいえ、かなり荷が重い代役ですよね。
アンジェリーナ1/3 ヤバいですよね! でも2日後に収録する、と言われてるから「自分にできるかどうかわかんないです」と言ってる場合じゃなくて、勢いのままお受けして。収録が終わったあとに「大丈夫だったのかな?」って、だんだん不安になってくるっていう。
でもリスナーさんは温かい方がたくさんいらっしゃって、うれしい反応をくれました。伯山さんの代役をきっかけに、文化放送(『アンジェリーナ1/3のA世代!ラジオ』)とTBSラジオ(『アンジェリーナ1/3 夢は口に出せば叶う!!遅番』)で自分の番組を持たせていただけることになって。人生のターニングポイントを何回も作ってくれてる方が、伯山さんなんですよね。
──伯山さんと出会ったことで、新しく興味を持ったものはありますか?
アンジェリーナ1/3 もちろん講談や寄席もそうです。あとは、テレビ朝日の番組でご一緒したときに、伯山さんが私のところに来てくださって「俺さ、アンジーにストリップを観てほしいんだよ」とおっしゃったんです。“ストリップ”の言葉自体は知っていたし、伯山さんのラジオで魅力も聴いていたんです。「だけど大人のイメージありますし、私には敷居が高いんじゃないですか?」と言ったら、「いや、アンジーだったら感じるものがあると思う。これでストリップを観てこい」と1万円を渡されました。
──すごい!
アンジェリーナ1/3 渡された1万円を握りしめて、浅草ロック座にストリップを観に行ったら、めちゃめちゃ感動して。そこから池袋ミカド劇場にも行きましたね。自分が飛び込めなかったところに「行ってこい!」と背中を押してくれるレジェンドの先輩がいるって、すごく幸せなことだなって思ったし、ストリップを観てからステージ上の所作をより気にするようになったんですよ。
ストリップって衣服を着ていないわけじゃないですか? それでも指先ひとつで観る人に美しいと思わせる力がある。私でいえば「衣装に頼ってしまっている動きをしていないか?」とか「指先ひとつにも魂を込めて表現しているだろうか?」など、いろいろと考えさせられました。
個人仕事の終着点はすべて“バンドのため”
──講談やストリップのほかにもアンジーさんは、美術にも影響を受けているんですよね。
アンジェリーナ1/3 岡本太郎が小学生のころからの推しメンなんですよ。『20世紀少年』ってマンガがあるじゃないですか? 作品に描かれている“友民党”について「これって何?」とお父さんに聞いたら、「岡本太郎というアーティストの人がいてね。その人が作った奇想天外でカッコいい造形物をオマージュしてると思う」と教えてくれて、興味を持って調べたんですよ。
大阪万博のテーマ館の大屋根を貫いて、世の中を見渡せるような高い塔を作ろうと言って、生まれたのが太陽の塔ですよね? 考えてることもおかしいし、そんな人がまわりにいたら迷惑ですよ(笑)。でも、やり遂げちゃう。「太郎さんが言うなら、しょうがないですよ」と言って動いてくれる人たちがいるってことは、それだけ愛されている証拠だし、命をかけて芸術と向き合っているところに、小学生ながらにめっちゃ感動して。「私、この人みたいになりたい」と思ったんですよね。あとは、最近改めてすごいなと思ったのは横尾忠則さん。
──どこに惹かれましたか?
アンジェリーナ1/3 子供のころから大好きなんですけど、今22歳になって横尾さんの本とか資料を読み返すと、こんなに死と向き合いながら生きてる人っているのかな?って感動するんです。横尾さんって、若いころから死を連想させる作品をたくさん発表されていて。横尾さんの作品を見ていると、「死ぬことが怖いことではないんじゃないか?」と思う境地に立たされるぐらい、考えてることも深いし、作品も含めてメッセージが強い。子供のころに見ていた横尾さんの作品と、今とでは感じ方が全然違って、年齢を重ねれば重ねるほど魅力的に思える。この人を好きな理由ってそこにあるんだなって、この1〜2年ですごく感じましたね。
──改めて思うのが、アンジーさんってパッと見の印象と中身が逆っていうか。
アンジェリーナ1/3 ははは、そうなんですよ。よく言われます(笑)。
──古くから受け継がれている伝統や、先人たちが残してくれたものから、大きな影響を受けていますよね。
アンジェリーナ1/3 やっぱり伝統芸能とか、昔から愛されているものには理由があるから、知っていかなきゃいけないと思うんですよね。新しいものってきらびやかに見えるし、素敵なものに感じやすいけど、それは昔から愛されているものがあるからこそ。古きよきものをしっかりインプットした上で、新しい表現につなげるのが大事だと思います。最近の個人的な目標は、寄席に出たいんですよ。落語なのか、講談なのか、浪曲なのかわからないですけど、テレ朝動画で配信されている『WAGEI』のおかげで、玉川太福さんという浪曲師の方に出会えたのもあり、三味線を弾きたい欲が強くて。伝統芸能を自分でやることで、今の自分に生かせることがあるんじゃないか、と思うんです。
──ちなみに、その先のビジョンはありますか?
アンジェリーナ1/3 私にとって最も大事なのは、Gacharic Spinというバンドがずっと生き続けることなんです。年齢差が離れているメンバーと一緒にバンドを組んでいるので、この先何があるかわからない。急に活動が止まってしまう事態に直面するかもしれない。そうなったときでも、「Gacharic Spinのアンジェリーナ1/3です」って名乗り続けたい。自分が名乗ることでバンドが残り続けるし、どれだけ昔に作った楽曲でも、その楽曲が生き続けられる状況を作りたい。メンバーそれぞれが、いろんな人生に進むとしても、帰ってこられる場所を作りたい。だからこの名前をずっと守り続けて、Gacharic Spinの活動が止まってしまったとしても、離れ離れになってしまうことがあったとしても、ずっとこの名前が生きていく環境を作っていくのが一番のビジョンですね。
──個人で活動していても、やっぱり“バンドのため”に終始するんですね。
アンジェリーナ1/3 バンドに還元できなかったら、個人で活動をする意味がないと思っていて。外で吸収したことを、どのようにバンドにつなげていくかを一番意識しています。
──まさにラジオもそうですよね。
アンジェリーナ1/3 はい。前に、伯山さんが「ラジオを大事にしてきた人が、自分の本業に返していけるんだよ」と言ってくださって。その言葉を大事にラジオをやらせてもらっているからこそ、たくさんのリスナーさんがガチャピンを知ってくれたり、「ラジオがきっかけで、ライブにも行きました」と言ってくれたりする人たちが増えたんです。ラジオでつながった方々っていうのは、本当に熱くて。何にも変えがたい強い絆で結ばれてるな、と感じますね。ラジオのお仕事を大事にしてきたことで、今の自分の活動があります。
──ここまでのトーク力を身につけるためには、相当な鍛錬を積まれたんだろうなと思います。
アンジェリーナ1/3 ぶっちゃけ、私は話すのがめちゃくちゃヘタくそなんですよ。自分がラジオを始めたばかりのときは、まともに聴いていられるレベルじゃなかったんです(笑)。エピソードの時系列がおかしいし、いろんな登場人物も出てくるし、あっちこっちに話がとっ散らかって何を話しているのかもわからない。伯山さんの代役をやらせてもらったときに、『問わず語り』のラジオチームとアンジーラジオのチームって一緒なんですけど、その人たちがまあ厳しくて。「今の話はわかりづらい」みたいなことをバンバン言ってくるんですよ。
──話すプロじゃないのに!
アンジェリーナ1/3 初めて『問わず語り』の代役を務めたときに、ですよ! ラジオ番組を1年間やっていたにしろ、自分の中で達成感とかやりきった感がないまま終わってしまった番組からの『問わず語り』なのに「がんばったね、今のよかったよ」とか一切なくて。作家の方からも「今のだと全然伝わらないわ。もう一回やってみよう!」と言われて。もう絶対にこのチームとやりたくない、と思うぐらい(笑)。
──ははは、スパルタすぎたと。
アンジェリーナ1/3 めちゃくちゃしごかれたおかげで『問わず語り』は荒削りなりに、しゃべることができまして。結果、たくさんのリスナーの方が私の存在を知ってくれたから、あの人たちの厳しさはただのスパルタじゃなくて、ちゃんと結果につながる厳しさだったんだなと思いました。すごく愛のあるチームだなと感じたときに、「やっぱり、この人たちとラジオをやりたい!」という思考に変わったんですよ。
「そうじゃない!」、「もう一回録り直し!」、「これ、全部ダメ!」みたいな指導が1年半ぐらい続いて……今に至ります(笑)。最近になって、ようやく作家の方とかディレクターの方から「アンジー、しゃべりうまくなったね」と言われるようになって。文化放送のチームは20代中心なんですけど、そこでもアンジーのしゃべりの活かし方を考えてくださっていて。レジェンドチームもアンジーのしゃべりの生かし方を考えてくださる。おかげで今の自分が形成されたので、ラジオチームには本当に感謝です。
──というか、アンジーさんってみんなに愛されていますよね。
アンジェリーナ1/3 ラジオだけじゃないんですよ。北島三郎さんや大御所の方がたくさんいらっしゃるクラウンレコードにお世話になっているんですけど、そこの社長にもかわいがってもらっていて。社長から「取材やラジオのしゃべりもうまくなったし、ライブのステージングとか、普段の人との接し方もすごくよくなったよね」と言っていただけて。今やらせてもらっていること全部が、自分を作ってくれているので、一日一日の出来事にしっかりと向き合って、人としてもアーティストとしても成長していきたいと思います。
取材・文=真貝 聡 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝