『すごいよ!!マサルさん』に憧れたストレッチーズの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(前編)
勢いある若手が集った『ツギクル芸人グランプリ2022』。接戦をものにし、見事優勝したのはストレッチーズ。
正統派漫才の安定感を見せつけ、余裕すら感じさせる福島と高木は、高校からの同級生だ。
ブレイク前夜のストレッチーズが、青春時代の初舞台について話してくれた。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
『すごいよ!!マサルさん』に憧れた初舞台
左から:福島敏貴、高木貫太
──おふたりは埼玉の浦和高校で出会ったんですよね。男子校ってどうでしたか。
福島 女の子と過ごす青春への憧れはもちろんあったんですけど、結局楽しかったですね。
高木 「俺らっていつもなんか足りないよな。男ばっかりでさ」とか言ってんのが楽しい。
──この連載では初舞台について聞いてるんですが、おふたりの初舞台は高校ですか?
福島 最初にふたりでなんかやったのは、高校2年生の文化祭のときです。それはもう漫才でもショートコントでもなくて。
高木 ただ、ふたりで変な言葉を叫ぶっていう、たぶんまだお笑い界にないジャンルです。変な顔しながら、響きがおもしろい単語を交互に叫んでいく。それが初舞台です。
福島 「耳毛」とか「猛打賞」とかただ言い合う。
高木 お察しのとおり、めちゃくちゃスベリました。
福島 でも、「スベったなぁ……」って落ち込む感じでもなくて。
高木 たしかにな。僕らは人前に出て、なんかやってることが楽しかったから満足してましたね。それでなんか行事のたびにそんなことやってました。
文化祭は別の高校の女子とか来るんで、モテたいとは思ってたんですよ。おもしろいやつならモテそうだってことで、お笑いをやったんですけど、致命的なのは、僕らのおもしろいって「耳毛!」と叫ぶってことだったという。
──変な言葉言いたいっていうのは、ふたりとも共通してたあったんですね。
福島 はい。ふたりともうすた京介さんの『すごいよ!!マサルさん』っていうギャグ漫画が好きで、その影響ですね。
高木 高校のとき僕と福島で最初に盛り上がったのが、そのマンガの話でした。福島ほどではないですけど、僕も好きで。小学生のとき初めて集めたマンガでしたね。まさるさんの突拍子もないボケがふたりとも好きだったんで、それをやりたかった。
──初めてふたりで漫才をしたときのことは覚えていますか。
福島 それも文化祭で、女装ミスコンみたいなのがあったんですけど、ふたりで女装してマイク立てて漫才のマネごとをしたやつですね。
高木 みんなが歌ったり踊ったりするなか、僕らだけ女装して漫才。
──ウケましたか?
福島 ウケてないですね。変な単語だけ叫ぶよりは、ざわついてましたけど。
高木 高校のときはウケた記憶がまったくないです。
福島 でも、あれはウケた。浦和高校の卒業式。
高木 ああ。
福島 浦和高校に変わった風習があって、校内のちょっとした高台に目立ちたがり屋が立って、「学生注目!」と言って、何か主張したりするんです。
──「未成年の主張」みたいな。
福島 はい。それで夢を語る人とか、彼女にフラれたエピソードをみんなしゃべるんですけど、僕と高木は「僕たち、私たちは、卒業します」って呼びかけみたいなのをやったんです。そこで浦和高校の身内ネタを交互に披露して。
「みんなが行くファミリーマート、僕らの卒業間近に潰れちゃった」とかなんですけど、それが内輪ウケしましたね。
高木 あれはウケたなぁ。1~2年前、僕らをテレビで観た同級生から「卒業式の呼びかけを見たときから、お前らが芸人になって活躍することはわかってた。あれ、マジでおもしろかったもん」みたいなLINE来ましたよ、ウソつけと思いましたけど(笑)。
ストレッチーズを生んだ、福島のドタキャン
──進学も同じ慶應大学で、同じお笑いサークルに入りますよね。
福島 はい、でも別々に入るんです。
高木 もうひとり浦和高校から慶應に行ったやつにマセキ(芸能社)のひつじねいり・細田(祥平)がいるんですけど、僕はそいつとサークルに入ったんですよ。
細田は当時から「お笑い芸人になる」って決めてたので、NSC(吉本興業の養成所)に誘われたんです。でも、僕はまだ人生かける熱量はなかったから、NSCに入らないために、大学のお笑いサークルに誘った。
福島 僕は寮に入ってて、そこの仲間と新入生歓迎会に行きました。最初だから爪あと残そうとボケ倒したんですけど、それが反感買って。「お前みたいなやつは、もう来るな」って出禁食らっちゃって。僕もトガってたんで「だったらいいよ」って出ていって……。
そのあとしばらくはアカペラとバスケサークルで、男子校で味わえなかった青春を取り戻す感じで過ごして。
──いいですね。
福島 一緒にバーベキューしたりとか楽しかったですね。でも、どっかで物足りないなっていうのも正直ありました。
それで夏休みに高校の同窓会で久しぶりに会った高木が、そのお笑いサークルに入ってると聞いて。ほとぼりも冷めたしってことで、半年遅れで入れてもらって。やっぱりお笑いサークル入ってからは、アカペラもバスケも行かなくなりましたね。
──同じ高校から出てきても、おふたりは大学では会ってなかったんですね。
福島 学部もキャンパスも違ってたんです。僕は総合政策学部で湘南藤沢キャンパス。
高木 僕は理工学部で、1~2年は神奈川の日吉。3〜4年は日吉のさらに奥地にある矢上ってところで。
──サークル活動はどこで?
高木 日吉ですね。
福島 僕の寮が日吉だったんですよ。キャンパスまで1時間かかるんで、サークルのほうが圧倒的に行きやすかったですね。
──ストレッチーズはいつ結成するんですか。
福島 1〜2カ月後に文化祭があって、それに向けて組みましたね。
高木 最近思い出したんですけど、 僕はそれまで細田とふたりでやってたんですよ。福島が来たから、トリオでやろうとなって。
でも、ネタ合わせの日に福島がドタキャンするんです。高校時代の細田と福島はそんなに仲よくなかったから、細田も「初回からネタ合わせをドタキャンする奴とやりたくない」って言い出して。しょうがないんで、僕と福島のふたりでやりました。
大学入ってからの福島って、ちゃんとしてない奴だったんですよ。 そのネタ合わせも連絡すらしないでドタキャンだったし。高校のころと変わって、チャランポランになっちゃったんだなと。
福島 その話、今思い出しました。行かなかった理由は覚えてないんですけど、たぶん、寮の関係で急に予定が入ったのかもしれない。
寮の上下関係が厳しくて。自治運営で委員会があってその仕事が多いし、サボるとペナルティを課されたり。当時は僕も寮という小さい社会で洗脳されちゃってたんで、当たり前に寮を優先してた可能性はありますね。
高木 なるほどね。今の話聞いて、寮でいっぱいいっぱいだったのは納得しました。でも、服装とかもおかしくて。なんか大学デビューした感じになってたんですよ。
GACKTになった福島と、大学の初舞台
──今はこんなに落ち着いた雰囲気の福島さんが大学デビュー?
高木 そうなんですよね。半年ぶりに会ったときも金髪でベロア地のコート着て、真っ黒のロングブーツで現れて、なんかGACKTみたいになってて。
福島 金髪じゃなくて茶髪です。高校まで服にまったく興味がなくて、親元離れて初めて自分で服を買うことになって、何もわかんなかったんです。都心に出るのも怖いから、寮の友達と日吉の洋服屋に行って買ったのを覚えてます。
高木 あれ日吉でそろえたの?(笑)
福島 うん、日吉に1軒しかない服屋で、そこが味の濃いお店で。優しいおじさんの店員に「これは絶対モテるよ」「かっこいいよ」って言われるがままに買ってたら、GACKTになってしまった。
──意図してGACKTになったわけではなかった(笑)。その後ふたりですぐ漫才をやろうと?
高木 そうですね。
福島 日高屋で飯食いながらとか、タバコ吸いながら、ずっと“ながら”で漫才作ってましたね。
高木 文化祭でやったのは『道案内』っていうネタで。高校生のころと同じで、変なワードを言いたい気持ちが先走ってました。シュールっていえば聞こえはいいですけど、ネタというより“変なこと”って感じで。
福島 僕よりも高木のほうがお笑いを観てたんで、漫才っぽいベタなボケも散りばめてもらいつつ、後半はただただ変なことを言う。
高木 でも、それが意外とちょっとウケたんですよね。
福島 僕ら声だけは大きかったんですよ。大学生くらいだと、ネタはおもしろいのに声小さいみたいな人が多くて。でも僕らは声だけは大きくて、熱量で押したらちょっとウケたんですよね。
高木 ネタも今思い返すと、なんでウケたのかわからない。僕が郵便局の場所を聞いたら、福島が鼻を利かせるから、「こいつ、匂いで郵便局の位置を把握しようとしてんのか!」みたいな。そこで福島が「エジプト」ってつぶやいて、僕が「なんでエジプトって言ったんだよ!」ってツッコんだら、ちょっとウケるっていう。
福島 そのあとに僕が「エジプトの匂いがしたんだよ」って言ったら、しーんとしてました。
高木 それがお笑いサークルで初めての漫才ですね。
10年前のマックのクーポンを今も大切に持っている
──『大学生M-1グランプリ2012』で優勝されていますね。
福島 初舞台で意外とウケたのがうれしくて、大学2年生のとき外の大会に出たんですけど、全然ウケなかったんです。学校から出るとウケないのは悔しかったですね。
『大学生M-1グランプリ』の予選は映像審査で、学校でウケてる動画を出したおかげで通ったんだと思うんですよね。そこで初めて、ちょっとがんばってみようって。
高木 まじめにネタ考え始めたのはそこだったね。
福島 それまではずっと飯食いながら、タバコ吸いながらだったんですけど、日吉駅のマックに集合して、ひたすらネタと向き合って。そのときのコーヒークーポン券、今も家にあります。有効期限が10年前、2012年なんですよ。
──「今日は俺たちのターニングポイントになるぞ」と思って、取っておいた?
福島 いや、正直そのときは思ってないです。数カ月後に財布の整理してるときにそのクーポンが出てきて、「初めてのネタ合わせのときのだ。取っておこう」って。
──そういえば、福島さんは昔付き合っていた恋人との思い出の品も残しているってお話されてますよね。
福島 はい、全部取ってありますね。プレゼントも手紙も全部残してます。
──手紙とか読み返す?
福島 そうですね、たまに見ます。処分しちゃうと、彼女と過ごした時間をまるごと捨てちゃう気がして。今まで生きてきた時間が空白になっちゃう気がするというか。
高木 残してたら、前に進めなくなっちゃいそうだけどね。
福島 いや、進めてますね。 逆に全部捨てる人のほうが未練あるんだと思います。捨てなきゃ忘れられない。僕は捨てなくても前に進める、忘れられるっていう。キスプリとか今見返すとおもしろいんですよね。
高木 捨てろってマジで。恥ずかしい。
福島 当時はそれが素敵なことだと思って純粋にやってたんだなと思うとおもしろくて。
高木 なんでキスプリの話してんだよ……。
──すみません(苦笑)。大学生M-1の話に戻しましょう。
高木 ありがとうございます。あの大会に優勝できたら、プロに行ってもいいって認めてもらえることになるのかなとか、大学最後の思い出になるかもとか、いろいろ思って本腰入れてみましたね。
──本腰入れたらすぐ優勝っていうのもすごい。
福島 びっくりしましたね。
高木 でもあの優勝はまぐれだと思ってて。今、太田プロ(ダクション)でも一緒のさすらいラビーってコンビも最終決戦の3組に残ってて、彼らが一番ウケてたんです。
でも、ネタの終盤に会場にあった長机がガタンって倒れた音で、お客さんの集中力が切れちゃって、 ウケが沈んだんですよね。あの長机がなかったら、今の僕らはいないんじゃないかな。
文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽
ストレッチーズ
2014年デビュー。福島敏貴(ふくしま・としき、1992年3月19日、埼玉県出身)と高木貫太(たかぎ・かんた、1991年7月24日、埼玉県出身)のコンビ。『大学生M-1グランプリ2012』優勝。『ツギクル芸人グランプリ2022』優勝。ラジオアプリGERA『ストレッチーズのプリ右でごめん』は毎週水曜日更新。
ストレッチーズ第1回単独ライブ『ヘマル』が7月18日(月・祝)に東京・北沢タウンホールで開催される。
【前編アザーカット】
【インタビュー後編】
ツギクル芸人グランプリ優勝・ストレッチーズ「いつか清木場俊介さんにお礼を言いたい」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(後編)