キングオブコント決勝に出たものの…怖いものなしな元祖いちごちゃんの物語はしぶとく続いていく|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#42

『キングオブコント2025』決勝、スーパーの店員と客という、取るに足らない設定を逆手に取り、ブリーチの試飲を勧めるという狂気的なネタを披露したのが、元祖いちごちゃんだ。
実は吉本の養成所NSCで出会ったふたり。フリー時代を挟みながら、オフィス北野、浅井企画と渡り歩いてきた。
まったく恵まれなかった、叩き上げの元祖いちごちゃん。しかしふたりからは悲愴感が感じられない。なぜ彼らは17年もの下積みをくぐり抜け、『キングオブコント』決勝までたどり着けたのか。その道のりを聞いた。
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不遇の吉本時代

左から:植村侑史、ハイパーペロちゃん
──元相いちごちゃんは最初のころずっとトリオだったのに、なぜコンビになったんですか。
植村 NSCのときにトリオで好成績だったのに味をしめて、もうひとりが抜けても補充してたんですが、やっぱりなんか違って……。
ペロちゃん 2年ぐらいで僕と一緒に同居してた相方が、家事を何もやらないので、私生活で無理になっちゃって解散しました。
植村 じゃあ気が合う仲のいいヤツを入れようってことになって、それも2年くらい続いたんですけど、そいつが病気になっちゃったんですよね。もし病気になってなければ、ずっと続けてたかもしれません。

──吉本を辞めたのはなぜ?
植村 実力がなくて、全然ライブに出られなかったんです。本社でのネタ見せに通らないから。ずっと一番下のランクのライブに出てて、ビラ配りとか、毎月お手伝いしかしてなかった。あのとき一番下でくすぶってた人たちの中で、今世に出てる人たちってほとんどいないと思いますね。

ペロちゃん たしかに、みんな辞めてるか。当時は『(爆笑)レッドカーペット』が流行ってて、1分ネタしかできなかったから、僕らは全然ダメだった。
植村 今でこそ「間」がいいって言われますけど、1分ネタだと、1〜2個ボケただけで時間切れだったから向いてなかったですね。まぁその少ないボケも当時は全然おもしろくなかったんですけど……。数年間いたけど、舞台には10回も出てないと思いますね。
オフィス北野、最期の輝き

──吉本を辞めてフリーになり、2016年にオフィス北野に入ったそうですが、なぜオフィス北野だったんですか。
植村 もちろん(ビート)たけしさんがいたのは大きかったですし……。
ペロちゃん あと、オフィス北野に入っていた芸人たちと仲がよかったのもあります。
植村 そうだね。当時はマッハスピード豪速球さんを筆頭に、若手がオフィス北野を盛り上げようとしてたんですよ。「若手を集めてるらしいよ」って噂があって、実際、キュウ、ランジャタイ、スーパー3助さん、バベコンブ、もう解散しましたけど、ハニーベージュっていう今残ってたら『M-1(グランプリ)』で優勝してるかもしれないコンビもいて、すごかったんですよ。

──すごいメンツですね。
植村 当時は「最強の事務所」って言われてて、いろんな事務所にケンカを売って勝ちまくってましたから。でも最後に錦鯉さん率いるSMAに大負けしましたけど(笑)。
──そもそもオフィス北野ってどうやって入るんですか?
植村 オフィス北野ってすっごい狭き門で、所属まで2年くらいかかりましたね。まずサンキュータツオさんにネタを見てもらって、「才能ないから辞めたほうがいいよ」って言われたところから始まって。実際、それでショック受けてトリオのときのもうひとりの相方は辞めちゃいましたから。で、僕はもうオフィス北野は受けたくないって思ってたんですけど、ペロちゃんが……。

ペロちゃん 悔しかったんで「ふたりでもう一回受けたら、結果も変わるんじゃない?」って言いました。
植村 そしたらそこでハマったんですよ。今とまったく変わらない雰囲気のネタなんですけど、そのときタツオさんに「すごい間だね」って褒められて始めて、僕らの持ち味が「間」だって気づかされたんですよね。
──たっぷりと時間を空ける「間」を使ったコントは元祖いちごちゃんの大きな武器ですが、そのときまで自分たちでは気づいてなかったと。
植村 今思うと、トリオ時代ってその「間」をつぶしてたんですよね。それでタツオさんをクリアしたあとは『チャレンジコーナー』っていうネタ見せに出るんです。そこで1位を3回獲れば所属させてもらえるんですけど、そもそもそのチャレンジコーナーが2カ月に1回しか開催されないんです。しかも当時はキュウとかランジャタイみたいなすごいのが一緒だったんで、僕らはまったく勝てなかった。

──そのメンツで3回勝つとなると、時間かかりますね……。
植村 そうなんですよ。で、結局、僕らは1回しか1位になれなかった。でも見かねたスタッフの方々が推薦枠というかたちで『審査会』に出してくれたんです。
──審査会ってなんですか。
植村 本来は1位を2回獲った芸人が出られるもので、そこでお客さん票を80%以上取ったら所属っていうシステムなんです。そこでなんとか80%以上取って所属させてもらいました。結局、僕らは『チャレンジコーナー』で長いことくすぶってたので、応援してもらえたんですよね(笑)。

──ファンに愛された結果だったんですね。
植村 でもすぐにオフィス北野が終わるんですよ。『SLAM DUNK』のラストみたいでした(笑)。
──王者・山王工業に奇跡の勝利をした直後、負けるというやつですね(笑)。せっかく長い時間をかけて所属が決まったのに……。
ペロちゃん ひどかったですよ。それが2016〜2018年ごろのことです。
植村 で、2019年の1月に浅井企画に拾ってもらいました。
芸人仲間の支え

──当時、賞レースの成績はどうでしたか。
ペロちゃん オフィス北野のころは『キングオブコント』も1〜2回戦負けでしたね。
植村 でも当時はKOCの決勝なんて夢にも思ってなかったですね。オーディションでペロちゃんがはねて、キャラ芸人でいければいいなって思ってました。
──オフィス北野はオーディションのチャンスも多かった?
植村 いや、まったく回ってこなかったです(笑)。
ペロちゃん 浅井に入って、世の中にはこんなにオーディションがあるんだってびっくりしました。

植村 オフィス北野は「自分たちで仕事持ってこい」って感じだったんですよね。でも僕らは先輩に呼ばれたライブに出るだけだったんで。
──2014年の結成から2019年まで「吉本興業→フリー→オフィス北野→フリー→浅井企画」と激動ですね。さすがに元祖いちごちゃんはもうムリかもと思った瞬間はなかったですか。
植村 あんまなかったですね。
ペロちゃん いや、でも2年前のM-1……。
植村 あぁ(苦笑)。1回戦で落ちたときね。そのときは自分たちはコントが本業でM-1は半ば遊びのつもりだったとはいえ、1回戦落ちは相当ショックでしたね。
ペロちゃん でもまわりに励まされてね。
植村 僕らはまわりの芸人の励ましに支えられてますね。ちょうど今売れてる人たちが、ずっと「お前らはおもしろいよ」って言ってくれたから、ここまで続けられてる。もちろんお客さんの支えは大きいですけど、メンタルを保てたのは芸人のおかげでした。まぁ僕らは大学にも行ってなければ何かの資格を持ってるわけでもない。ここで辞めたところで何もないから、やるしかないかと開き直ってたところもありますが。

──とはいえ、2020年に初めてKOC準決勝に行ったのに、そこから4年連続で準々決勝敗退となります。当時はどういう心境でしたか。
植村 いや、僕らはずっと楽しくてしょうがなかったんですよ(笑)。あんまり努力もしてこなかったから「なにくそ」っていう気持ちもなくて。
──2025年、いきなりKOC決勝に行けた理由ってなんだと思いますか?
ペロちゃん 自分たちはいつもと変わらないんで、わからないんですよね。2025年もどうせ準々決勝で落ちると思ってたくらいで。

植村 僕らはいつも、賞レースに挑む感じじゃなくて、ライブで目の前のお客さんを笑わせるだけっていう感覚なんですよ。そしたら決勝に行ってたので、あんまり実感が湧かないっていうか。
むしろ変革を意識してたのは2023年なんですよ。ベタをやったり、設定を変えてみたり、演技力を意識してみたり。それでちょっと力ついたかも、と思ったけどその年はダメだった。翌年2024年の準々決勝はけっこうウケたのに、それでもダメだった。全否定されてる気がして、この先何をすればいいのかわからない。それで2025年は、ほとんどあきらめてたんですよ。なのに急にファイナリストに選ばれた。
ペロちゃん 肩の力が抜けたのがよかったのかな? 理由はまったくわからないね。誰か教えてほしい。ライブシーンではずっと変わらずウケてきたから、自分たちの成長したところがわからない。ファイナリストの記者会見中も具合悪くなっちゃってあんまり覚えてないんです。改めて映像を見て「まわりの芸人がこんなに喜んでくれたんだ」ってうれしくなりました。
もっと褒めてくれ!

──キングオブコント2025、決勝という初舞台はいかがでしたか。
ペロちゃん 僕は普通に楽しかったですね。想像より何も感じないんだなって思いました。それがダメだったのかもしれないですけど、本当に楽しいのみでしたね。
──落ち着いてたんですね。たしかに司会の浜田(雅功)さんにも絡んでましたし。
ペロちゃん フラットな感じで「浜ちゃんだ〜」ってなっちゃいました。友達になってって。
植村 裏で浜田さんが「アイツなんだよ、おもしろいな」って言ってくれたらしくて、ありがたいですね。

──植村さんは初決勝、いかがでしたか?
植村 ふたりともマンガが好きで、コンビ名も『元祖!浦安鉄筋家族』と『いちご100%』から取ってるんですけど、なんでもマンガで考えるクセがあって、決勝が決まったときは、そのまま優勝して、芸人としての最終回を迎えると思ってました。「もし売れちゃっても辞めていいんじゃない?」っていう感じで。だけど、いざ出たら全然ウケない。なのでまだまだ連載は続きそうですね(笑)。
──今回すごいインパクトを残したので、次回も楽しみです。

植村 「次回」って言うの、まだ早くないですか? 僕はもうちょっと初めてのファイナルを褒めてほしいです(笑)。これだけはマジで言いたい……。このペロちゃんを決勝まで上げるの、すげぇ大変なんですよ!
──(笑)。
植村 なのにみんな「ペロちゃんすごい!」って言うでしょう。いや「植村すごい!」って言ってくれよ、と(苦笑)。まず、人間にするのが大変だったんですから。
ペロちゃん 今、思うとね。昔は服装もぼろぼろでしたから。今日の服も相方が選んでくれたやつです。
植村 僕はペロちゃんのスタイリストまでやってるんですよ。基本的に放っておくと今もボロボロのもの着てるから。すべてに興味ないんだよね。
ペロちゃん 服も興味ないし、音楽も興味ないし。

植村 生きてるだけだもんね。
ペロちゃん 生きてるのみ。日々、プラプラ歩いて、町を点検してるだけです。
──植村さん、すごいです。では、最後にこれからふたりでやってみたいことを聞いてもいいですか。
植村 なんだろうな……僕はとにかくメディアに出たいですね。KOC終わってからも、メディア出演がほとんどなくて。ネタ番組に呼ばれたときもKOC関係なく、「気持ち悪い芸人大集合」っていうテーマでした(笑)。
ペロちゃん ロケとかしたいですね。

植村 バラエティ出たいよね。いつも(仮)っていうスケジュールで埋め尽くされてて、全部直前に流れていくんで……。YouTubeもやましい気持ちで始めましたけど全然伸びないし、まわりからも「お前たちはやるべきじゃない」って注意されてます。
ペロちゃん でも、何かしらひっかかるかもしれないんで、動かなきゃいけないよね。
植村 僕らは本当に不器用っすね。まぁ「元祖いちごちゃん」のマンガはまだまだ続きそうです。
ペロちゃん 僕も14歳で死のうとしてからずっと余生だしね。ずっと続編。
植村 ペロちゃんはもう何も怖くないでしょ?
ペロちゃん うん。一回死んだようなもんだからね。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

元祖いちごちゃん
植村侑史(うえむら・ゆうし、1989年12月4日、北海道出身)とハイパーペロちゃん(1988年8月4日、東京都出身)のコンビ。2014年結成。『キングオブコント2025』決勝進出。YouTubeチャンネル『元祖いちごちゃんねる』にはネタ動画や、ペロちゃんの食事風景などがアップされている。
【後編アザーカット】



