にぼしいわしが語る『THE W』優勝までの道のりと、次なる漫才のスタイル|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#39

『女芸人No.1決定戦 THE W』第8代チャンピオン・にぼしいわし。
にぼしいわしのしゃべくり漫才は、日常の疑問を、豊かなアイデアでふくらませ、観客をとんでもない笑いへと導いていく。「シャネル」と「おばんざい」、「アイドル」と「うんこ」。にぼしいわしの手にかかれば、正反対の存在が手をつないで、笑いになって羽ばたいていく。
それでも彼女たちは「自分たちの力を信じきれない」という。一度は絶望し、お笑いの世界から離れもした。それでもお笑いが辞められず、帰ってきた彼女たちが、プロの芸人となり、頂点を極めるまでの道のりを明かしてくれた。
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泥棒と漫才

左から:香空にぼし、伽説いわし
──いわしさんに誘われたにぼしさんは、ふたつ返事でNSCへの入学を決めたそうですが、生半可な気持ちじゃ入れないですよね。そもそもお金がかかりますし……。
にぼし これもいろいろありまして……。
いわし これから話すこと、全部載せてください。
うちらって、高卒ストレートで入ったら34期なんですよ。でも、にぼしが受験で全滅したんです。滑り止めも何も受からなくて、まっさらな浪人生になってしまった。それで1年待って、35期になるんです。
──そもそもにぼしさんの親は、高校時代からお笑いをやることに反対してたんですよね?

いわし そうなんですよ。それも成績が悪かったからで。だから親と交渉してなんとか「受験うまくいったら、NSC入ってええよ」って許してもらったんです。なのに、全滅。それで1年遅れたんです。
にぼし 結局、親には内緒で入学しました。
いわし 私と、私のおばあちゃんのお金でな。
──当時の学費が約40万円と聞きますが……。
いわし 私が大学1年生の間に、自分の授業料40万円と、相方の授業料の半分20万を稼いだんです。それでもにぼしの足りない20万円を、私のおばあちゃんから借りた。そのおばあちゃんも、だんだん認知症になってしまい、返済が間に合わなかったんです。
にぼし 一応、全部返しましたよ。
いわし 4〜5年はかかったけどな(笑)。私のおばあちゃんは亡くなる直前に、「お前は泥棒と漫才してるんか!」って言ったんですよ。

にぼし 天国のおばあさんは、私がまだ泥棒やと思ってる。
いわし 当たり前よ。おばあちゃん家でネタ合わせとかしてたのになぁ(笑)。
──いつ、にぼしさんの親は、芸人をやってることに気づくんですか。
にぼし お笑いをしてるっていうのはうっすら知ってて。でも最初は仕事もやりながらだったから、趣味でやってるんちゃうって思ってたみたいです。
いわし 初めて『THE W』の決勝が決まったときにバレて。そこから、にぼしの親は手のひら返したみたいに応援してくれてますね。でもね、こっちは40万貸してるんですよ。にぼしの親は、いいところしか知らない(笑)。
にぼし お金を借りてたことも知らないですから。
挫折しても続けたお笑い

──その後、NSCは卒業して吉本の所属になりますが、すぐに辞めています。それはなぜですか。
いわし 同期で仲よかったゆりやんレトリィバァに絶望したんです。ゆりやんは入った瞬間からずっと輝いてて、在学中にテレビに出だした。いつも一緒におったのにな、ってそこで力の差を感じて。あと、もともと私たちってお笑いの下地がないんですよ。
──高3でお笑いをやるまで、お笑い番組もあまり見ていなかったって言ってましたもんね。

いわし そう。だから最初こそ『ハイスクールマンザイ』からやっていたおかげで、同期よりマシだったんですけど、だんだんみんなのネタができ上がっていくと、追い越されていく。自分が子供のころにお笑いを見てなかったことのツケが回ってきたんです。
それであんま向いてないんかもしれへんなと思い、引き返すなら今やと。まだ20歳やったんで、普通に就職しました。
にぼし そのときは私も大学が忙しすぎたし、両立すんのは難しいやろなって思ってたんで、すんなり辞めましたね。
──同期に止められませんでしたか?
いわし 社員さん以外には、誰にもなんにも言わないで辞めたんで、それはなかったですね。

──それからどれくらいお笑いから離れたんですか。
いわし 私が大学3年生のときにお笑い辞めて、働いてたのが4年間。だから6年くらいですかね。ただ『M-1(グランプリ)』だけは出てたんですよ。吉本辞めて最初のM-1は2015年で、そのときは1回戦のために1年ぶりに、にぼしに会いました。同期にはバレたくないから、大阪じゃなくて広島予選に行ってな。ネタ合わせもろくにしてないからあっさり負けて、牡蠣食うて帰ってくるみたいな。小旅行ですね(笑)。
にぼし 楽しかった。
いわし ただ、就職して2年目、2017年に3回戦まで行ったんですよ。3回戦まで行くと配信されるじゃないですか。そこで「あれ? にぼしいわし戻ってきてんの?」って知られて、ライブにちょこちょこ呼んでもらえるようになりました。社会人しながらぬるりと戻ってきたのが、2018年でしたね。
──なんで3回戦まで行けたんだと思いますか。
いわし マジでわからん……。
にぼし でもそのときはM-1前に、ちょっとだけエントリーライブに出てたやん。

いわし たしかにそのバトルライブの成績はよかったけど、ネタは1本しかないしなぁ。声も小さかったし。実際、2018年は2回戦で負けちゃってるし、まぐれやと思う。ただ、おかげでライブの本数は増えて、いよいよ仕事との両立が難しいってなって退職したのが2019年の3月末でした。
──仕事を辞めるのは不安じゃなかった?
いわし 不安でしたけど、2019年って調子よかったんですよ、初めてTHE Wの決勝に行けたし、M-1も準々決勝まで行けた。あと、(よしもと)祇園花月でやった『王将』のネタで東京のほうにも知ってもらえるようになって。そこから知り合いが増えましたね。2019年は2カ月に1回、東京でライブできてて。なので、うまく行ってる実感はありました。
──お笑いに集中したとたん、その成績はすごいですね。
いわし どうなんでしょうね。たしかに「働くの辞めたら、こんなにネタ考える時間あるんや」とは思いました。月60ステくらい出てましたし、わりと順調でしたね。
ブルーオーシャンで水を得た

──2019年のTHE W決勝の初舞台はいかがでしたか。
いわし ネタ中に、自分の足が震えているのを感じたのは、あの瞬間だけですね。夢見心地で終わっちゃった。
にぼし 私も緊張はしましたけど、ライブと違いすぎて、別の次元に来ちゃったのかなって感じでした。

いわし 2020年のTHE Wは、ファイナリストがほぼ知り合いで楽しかったですけどね。Aマッソさん、オダウエダ、ヨネダ2000もいて、ライブの延長線上みたいな感じでできた記憶があります。でも結果的に2020年は一票も入らなかった。この先まで行くためには何かを変えないとって思いました。それで『にぼしいわしの何卒何卒…!』っていうライブをやり始めたんです。
──どういうライブだったんですか。
いわし 東京の芸人さんを大阪に呼んだんです。そもそも私たちの問題は、新規のお客さんが入りづらい環境でライブをやってることだなと。普段、コアなお笑いファンしかいないところでばっかりネタをやってると、やっぱタブーだったりバイオレンスだったりがウケるからネタ作りも引っ張られる。
にぼし ライブとテレビでは、ウケるところが全然違うよな。

いわし そやねん。だからどうやったら普段からテレビっぽいお客さんの前でネタができるか考えて。そこで東京の芸人さんのラジオを聴いてる在阪のリスナーがブルーオーシャンだと気づいたんです。ラジオリスナーって、普段お笑いライブになじみのない人も多くて。でも、東京から来るんだったら見たいじゃないですか。
それでまずは、真空ジェシカさん(『ラジオ父ちゃん』)とかカナメストーンさん(『カナメちゃん村』)、ママタルトさん(『ラジオ母ちゃん』)を呼んだら、「BAR舞台袖」っていう40人の小さい箱とはいえ、数十秒で売り切れた。あのライブが賞レースの架け橋になったのは大きかったですね。
──実際、そのライブでネタも変わりましたか?
いわし そうですね、私らのネタって、日常の延長線上でやるのが意外とないねやと思って、そこからは万人に伝わりやすいネタを作るようになりました。
「うちらはお笑い向いてない」

──2年連続で出ていたTHE Wの決勝ですが、2021年は惜しくも準決勝敗退となりました。
いわし 落ち込みましたねぇ。親友のオダウエダが優勝したあの回は見られませんでした。
にぼし いわしは道頓堀川で泣いてました。
──どういうシチュエーションですか。

いわし ライブのあと、出演者のひとりがライブビューイングするって言い出したんですよ。「いや、負けてるヤツいるのに、そんな提案ようすんな」ってライブハウスを出てった。
にぼし くっさい川の前で泣いてました(笑)。
──そこから這い上がって、上京もして、3年後にTHE Wで見事優勝したわけですが、結成から12年、解散危機はありましたか。
いわし 月1くらいでありますよ(笑)。やっぱりうちらって、うっすら腐ってるんですよ。教室の隅っこで「あいつらより、うちらのがおもろい」みたいな反発心から始まったけど、その変な自信もハイスクールマンザイとNSCですごい才能に出会って折れてる。
だから自分たちの力を信じきれてなくて、たぶん人の数百倍悩んでしまってるんです。「うちらはお笑い向いてないな」って。それでほかの芸人よりライトに「辞めようか」っていう話をしてしまうんですよね。「俺らはおもろい」って芸人、本当にけっこういるんですよ。これは嫌味とかじゃなくて、ほんまにすごいなって思います。

──とはいえ、ここまで続けられたわけですが、最低限の自信を得たきっかけのライブはあったんでしょうか。
いわし それはあります。ちょっと待ってくださいね、スケジュール確認したらわかります。……あ、2020年11月28日に初めて出た『グレイモヤ』っていうライブでの新ネタですね。そこでめっちゃウケたんですよ。
前の出番だったカナメストーンさんがウケて焼け野原にしていったから、うちらはもう無理やろうなって思ったのに、ですよ。あれで「私たちもここにいていいんだ」って初めて思えました。あれ以上のウケはないんちゃうかな。それからいろんな芸人さんがしゃべりかけてくれるようになりましたし、転機のライブですね。
初グレイモヤ!!ありがとうございました、ずっと出たかったんや…!お笑いの汁に十分に漬け込まれた最強のお客さんの前で最強の方々とご一緒出来て嬉しかったです〜脳味噌溶けた状態で大阪戻ります〜この上なく嬉しすぎる1枚を皆様にお見舞いします!喰らえ! pic.twitter.com/6b7ewoxYqp
— にぼしいわし (@NIBOSHIIWASHI21) November 28, 2020
私は本気ですよ

──10月28日には、個人事務所「株式会社A-dashi(えぇだし)」を設立されますが、そもそもどこかの事務所に入る選択肢はなかったんですか?
いわし みなさんけっこう優しくて、「なんかあったら言いや〜」って事務所さんはあったんですけど、お断りしてたんです。それも結局うっすら腐ってるからかもしれない。個人でやってるほうが動きやすいし、誰にも迷惑かけへん。ほかの個人事務所の方々とは違って、野望はあんまりないですね(笑)。
──最後に、これから踏みたい“初舞台”が聞きたいです。
いわし やっぱりまずはM-1ですよね。注目度は上がってて、お客さんの見る目も変わってきてる。客観的にはいい流れなんでしょうけど、個人的にはTHE Wでいったん、天井を叩いた気がしてます。だから今は違う一面を見せるためチェンジをやってるところですね。これがハマるかどうか……たぶん2年くらいかかるかも、という覚悟でやってますけど。

──THE Wのネタはひとつの完成形でした。にぼしさんの人柄も出てるし、発想もボケもどんどん飛躍していく。それなのにここから改めてチェンジを目指しているとは驚きです。
にぼし いやいや、まだまだこれからです。こないだの新ネタは、よりニンが出ていましたよ……。
いわし ……お察しのとおり、この人、普段はネタほどボケないじゃないですか。だからまずは普段のほうでおもしろいことを起こしたほうがいいんですよね。漫才としては完成したとしても、そこからテレビやラジオで活躍するためには、ネタと平場では乖離している部分を減らしたい。
ずっとネタだけにトガり続けてきたので、相乗効果で知られるようになりたいです。これはTHE Wで優勝したからこそ踏み切れた境地ですけど。
──賞レース以外ではどんなことに挑戦したいですか。

いわし ネタで全国ツアーをしたいですね。行ったことない土地で漫才をして、その場のお客さんを笑かす。それが一番楽しいんで。
個人としては、最近エッセイの連載をしてて、文章を書くのは続けたいです。脚本の仕事もしたいですね。劇団の方にコントを書かせてもらったりしてるんですよ。にぼしいわしではできないようなネタも、もっと書きたいです。
にぼし 私は手芸と絵を描くのが好きなので、いつか個展がやれたらうれしいです。あと、自分で編んだものを、この人(いわし)に身につけてほしいです。この人に編み物を被せた写真をSNSに乗っけると、かなり伸びるんですよ。その評定を全部図録にまとめて、出版できたら。

いわし NHKの『すてきにハンドメイド』も出たもんな。そう遠くないんちゃう?
にぼし 前回は編み物好きのゲストとして出ましたが、次は講師として出たいです。
──いいですね(笑)。
にぼし いやいや……笑ってますけど、私は本気ですよ。
──いや、にぼしさんが手芸家として、いわしさんが作家として有名になって、それでもふたりが舞台でネタをやっている未来を想像したら「いい未来だな、微笑ましいな」と思いまして……。すみません。
にぼし あ、そういうことか。こちらこそなんかすみません(苦笑)。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

にぼしいわし
香空にぼし(きょうから・にぼし、1992年6月13日、大阪府出身)と伽説いわし(ときどき・いわし、1992年7月2日、大阪府出身)のコンビ。2010年、高校3年生で結成。2012年、大学在学中に大阪NSCに35期生として入学し、2013年にデビューするも、翌2014年に活動休止。『女芸人No.1決定戦 THE W』では4度ファイナリストとなった(2019年、2020年、2022年、2024年)。そして2024年、大会史上初めてフリー芸人として優勝を飾る。2025年10月28日には個人事務所「株式会社A-dashi」を登記申請し、同日記念ライブを開催予定。にぼしは文筆業、いわしは編み物でも活躍する。YouTubeチャンネル『にぼしいわしの吹き溜まり』も更新中。
【後編アザーカット】





