14年間のアイドル人生で手に入れたふたつの宝物、髙木悠未が描く“なりたい自分”とは?

髙木悠未(たかき・ゆうみ)
1997年5月7日生まれ、福岡県出身。身長147cm。福岡を拠点に活動するアイドルグループ「LinQ」の現役メンバー唯一の1期生。アイドル活動と並行して、モデル、タレント、インフルエンサーとしても活躍している。2025年7月に自身初となる写真集『タカラモノ』(光文社)を発売。そして同年8月、福岡での卒業ライブをもってLinQを卒業することを発表した。
福岡を拠点に活動するアイドルグループ「LinQ」の1期生として活躍中の髙木悠未。中学1年生からアイドルの活動をスタートさせた彼女が、2025年夏に14年間のアイドル人生に幕を下ろすことを決意した。そこで今回、配信番組『LinQ・LinK』や『LinQのしゃべらんと知らんよ』などでLinQと親交が深いlogirlで、彼女の活動を追いかけ続けてきたテレビ朝日プロデューサー・鈴木さちひろが髙木悠未に独占インタビューを敢行。デビュー時から卒業を決意した現在の思い、そして初芝居を経験した舞台『灯籠』の秘話など、彼女が青春時代のすべてを捧げた“LinQ・髙木悠未”としての人生と、これから描いていく“髙木悠未”の新しい未来について語ってもらった。
──お久しぶりです! シュッとしましたよね?
髙木 痩せましたね。あと、お姉さんになってません? 自分で言うのはあれやけど(笑)。ちょっと色気出てませんか?
──あ、いや……(笑)。
髙木 失礼〜(笑)! ちょっとでも色気ありません? 出てないかな〜♪って。
──タレントさんの……?顔になりましたね。
髙木 きれい系になった? 垢抜けた? (周囲にいる当時関わったスタッフを見ながら)みんなも痩せすぎ……!
──そりゃ、LinQダイエットをしましたから。「カロリーなんて」(2011年)を毎日聴いて(笑)。
髙木 ちゃんと覚えてくださっているんですね!
──もちろんですよ!
髙木 あれ? でも、ライブ……あんまり……観たことないですよね(笑)?
──あ、気づかれちゃった。でもさ、ちょうどコロナだったじゃない?
髙木 コロナ前からもですけど!(笑)
──コロナ前だとアキバかなー。AKIBAカルチャーズ劇場でのライブに行ってる。
髙木 それめっちゃ前じゃないですか(笑)……8年前とか?
──コロナ前のライブなので(笑)、もちろん、絶えず観てますよ!
髙木 ありがとうございます! でもメンバーでもう知っている人いないですよね、誰も。
──たしかに、番組をやっていたころのメンバーは、みなさん卒業しちゃったから。そして今回、髙木さんも卒業ということで。では、集大成のインタビューを始めますね。
髙木 (鈴木さんに)初めて、真正面からお話を聞いていただきますね(笑)。

──そうだっけ? じゃあ……デビューのきっかけから聞いてみようかな(笑)。
髙木 ははは! っぽい、っぽい、取材っぽい(笑)。デビューのきっかけは中学1年生のころ、何気なく毎日授業を受けて、帰りの会をして……そのルーティンに「人生って毎日終わりに近づいているのに、このままでいいんだろうか?」という急な悟りを(笑)。そこから「自分の人生を派手にしたい」となって……イコール“芸能界”だったんです。
当時、兄がモーニング娘。さんを好きだったんですけど、私が「9期生オーディション」というのを受けたら、いい感じのところまでは行けて。それが悔しくて……じゃあ東京で認められないのなら、福岡でやってやる!となって。時代的には、「アイドル戦国時代」でもあったので。それで「福岡 オーディション」って調べてみたら、LinQが出てきたんです。しかも初期メンバー募集だったので、やってみようと思って。
──グループに入って……最初のライブは天神ベストホールですか?
髙木 最初のライブはキャナルシティ博多です。からの、イムズホール(※)という。
(※福岡市中央区天神IMSビル9Fにあったキャパ約400人のイベントホール)
──あ、イムズホールのほうが先なんだ。
髙木 イムズホールがデビューの場所です。ベストホールでのライブは、その3〜4カ月あとですね。
──ステージに初めて立ったときはどうでした?
髙木 当時アメーバブログというのがあったんですけど、それをデビュー前にやっていたんです。でも、アイドルをするという感覚はわからなくて。初めてステージに立ったときファンの方に「ゆうみ〜ん」って叫んでもらって……それで「すごい世界だ」と思って。自分はアイドルを見たこともないしライブへも行ったことはなかったんですけど、見ず知らずの人が「ゆうみ〜ん」って言ってくれる感覚に、なんだこれは!と思いました。
──推されるみたいな?
髙木 うんうん。こういうのも、この活動を通しての出会いだなって。本来はお互いに出会うことはなかったわけで。ファンの方も中1の私と出会うことはなかったし、(私も)20〜40代くらいの方に出会うこともなかったし。これもご縁だな、と。活動をしながら、ご縁というのをすごく感じていました。

──その後メンバーがいろいろと変わっていったけど、初期メンバーの中で印象に残っているメンバーとか、このお姉さんにいろいろ教えてもらったとかありますか?
髙木 そもそも年齢幅がひと回り違うグループだったんですよね。それがグループの色だったと思うし、LinQの強み。いろんな層のメンバーを好きになってもらうのは、すごくよかったなと思う。私も中学校では習わない、人生の経験をたくさんしている先輩と仕事をするという。もう仲間じゃないですか?
──なるほどね。
髙木 上下関係も学ぶし。いろんな人のいろんないいところを盗むと、最強の大人になれるんじゃないかなって、中1ながらに思っていました。
──いい意味で厳しかった?
髙木 厳しいです! 上原あさみさんという初代のリーダーが、バリバリ体育会系で。そもそも「ハニーズ」という福岡ソフトバンクホークスのダンサーだったんですよ。もう、立ち姿から教えてもらっていました。お辞儀は90度!みたいな。だから、1期生はこうしてますね(笑)。今でも名残があります。
(と話して、90度のきれいなお辞儀を見せる髙木)
──もう、あの大人数でライブをやっているすごさに圧倒されるというか。
髙木 最初はレッスンも大変でしたね。集まることができるのが夜とかしかなくて。学校もあるし、バイトをしているメンバーもいたので。しかもほぼダンスも歌もやったことのない素人集団が、1カ月後に12曲のオリジナル曲を披露するという過酷な期間だったんですよ。毎日毎日レッスン場で。レッスン場も、コンクリート打ちっぱなしみたいな雑居ビルのようなところでやっていて。
でもそれも、今となってはいい思い出ですね。私たちは素人なんですけど、あさみさんはハニーズでの経験があるから、練習するときもイメージトレーニングが大事だとずっと言っていて。練習の質を上げるためのイメージトレーニングをしていたこと、今でも記憶しています。あさみさんには、ただ練習するんじゃなくて、イメージをする大切さも教えてもらいました。
──悠未さんは当時中1だから学校もあったじゃないですか。学校とアイドル活動の両立は大変でした?
髙木 いーや、私は本当に両立できていない! 学校にも行きたくなくて。学校行くふりをして八十八ヶ所巡りをしてました(笑)。私の地元が、仏さん、お地蔵さんの街なんですよ。
──これ使えるのかな(笑)。
髙木 これはよく話しているので大丈夫です(笑)。

──ははは。さっきアイドル戦国時代と言っていましたけど、印象に残っているグループはありますか? ちょうどローカルアイドルブームでもありましたよね。
髙木 ひめキュンフルーツ缶さんとか、Dorothy Little Happyさんとか、あとは、東京女子流さんも。東京だけど世代の方のイメージだし。ひめキュンさんがけっこう、ご当地アイドル1位になっているイメージがあって。
──ご当地アイドルだと、あとNegiccoとか……。
髙木 まなみのりささんも! あと、T-Palette Records(※)に所属していたからバニラビーンズさんも。あとlyrical schoolさんにアプガ(アップアップガールズ(仮))さん。その時代は、みんながむしゃらにやっていましたね。
(※タワーレコード内に設立されたアイドル専門のレコードレーベル)
──T-Paletteといえば、デビューするときはどうでした?
髙木 初めて東京に来たときの記憶は残っていて。ご当地ブームというのもあったし、福岡ブランドだし、「福岡=かわいい」みたいなイメージが先行していて。お客さんも初めてなのにけっこう来てくれたし。あと、私はロリ系だったから……(笑)。
──はははは!
髙木 ちっちゃいから、めちゃくちゃロリ系で(笑)。東京の人にめちゃくちゃ刺さって。人気メンバーだったのを覚えています(笑)。
──たしかに、売りにしていましたもんね。よくMCで「幼い私を……」とか。
髙木 そうそう! しかも姉さんたちからも「これ言ってみたら?」って頭に叩き込まれながら(笑)。大人の好きな言葉を言っていこう!みたいなしつけはありましたね(笑)。
──(笑)。デビューを経て、ライブもどんどん大きくなっていきますよね。本当に大きなライブをやったという意味だとZepp Fukuoka(『LinQ 1st Anniversary Live@Zepp Fukuoka 2012.4.17<豚骨革命!濃すぎたらごめんたい!>』/2012年)かな。このときはどうでした?
髙木 Zeppでやったとき……本当にがむしゃらだったな。初めての大きな会場で、どんな気持ちやったんやろ。集客っていうよりも「いいものを作るぞ」の時間をいっぱい過ごしていた気がするけど。今になると集客とかどうなったのかなって。満員だったのかな……。
演出でフライングハートという、上からハートを降らせるみたいな。そういう演出をまだやったことがなくて、そういう演出にもお金をかけられるので、演出にこだわっていたイメージがあります。
──そして次に、さらに大きな福岡市民会館。
髙木 『~楽詣~(たのしもうで)あけましておめでとうございマ・シ・テ』(2013年)ね! あさみさんの最後のライブ!
──『楽詣』はどうでした? なかなかの大きな会場で。
髙木 LinQの全盛期だったかも、と今でも思うぐらい一番集客もできたし、キティちゃんを呼んだりして派手にできていた。みんなで太鼓もやったりして。メンバーが多いぶん、いろんな役割ができるから……太鼓メンバーとかダンスメンバーとか。幅広いLinQを見せられたライブでした。
──太鼓、ありましたね!
髙木 しかもお正月なのに、お客さんがたくさん来てくれて感動しました!

──そこからいろいろ経て、『TIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)』でも東京に来たりするじゃないですか。東京のライブで印象に残っているものはあります?
髙木 2周年のときに、福岡と東京を画面でつなぐ、みたいなライブがあったんですけど。そういうのって大所帯じゃないとなかなかできなくて。「私たちLinQです!」というのを、全国3カ所ぐらいでできるのがLinQの強みだったんですよね。それを福岡と東京とで画面でつないでコラボできたのが思い出というか、話題性もあってよかったのかなって。新しい取り組みでしたし。
──なるほど。現在も東京と福岡を行き来していると思うんですけど、東京の思い出ってありますか?
髙木 東京の最初の思い出は、こんな満員電車に乗ったことない!かな。駅員さんが人を人と思わないぐらい押しつぶしているし、福岡と東京の違いを満員電車で、初めて経験して。東京の最初の印象は、人の多さですね。あと、東京のアイドルさんは福岡と違って戦いに来ている感があって。
福岡はいい意味でも、悪い意味でも、平和っていうか……うーん、自分のスタイルで、ファミリー感でやっていこうというのがスタイルで。でも東京は上京してきた人たちもいるし、ここでやるしかないという覚悟が全然違う。でも、LinQは福岡で自分のスタイルでの戦いをやっているからこそ、大らかで純粋な雰囲気があって、それが東京の刺さる人には刺さっていたのかなって。純粋な何にも染まっていない感じが。
──それはTIFに行くと感じていたりしてました?
髙木 はい、感じます! TIFは、1年の活動の集大成と思っていて、あそこに入るのも限られた人数だし……100組ぐらい。ゆうたら甲子園みたいな。あそこに行くのを目指しているアイドルさんもいっぱいいるし。TIFで、こういうアイドルさんが流行っているんだなというのを、自分でも知るきっかけになるし。
あと10年前と今のTIFで明らかに違うのは、昔は目立ってなんぼ、個性強めでとにかく破天荒なグループがいっぱいいました。今は令和キュルキュル、衣装もみんなカラフルでリボンがバリでかいとか。流行りものには、一貫性がある気はするんですけど。
──なるほど。福岡のアイドルグループでよく交流するグループはいますか?
髙木 福岡は入れ替わりがいっぱいあるから。私の関わったグループだと、今はもう誰もいないかもですね。HKT48さんも入れ替わっているし、HRには友達がいたぐらいだったんですけど。QunQunさん(現QunQun☆RiniU)さんも変わったし。あと、流星群少女さんも、今はないですね。
──活動をしていくなかで、LinQは大胆に構成が変わりましたよね。そのときはどうでした?
髙木 あれは6年の壁……。3年、6年、9年って壁があると思うんですけど、その壁がやってきて。そのころ、グループ自体も少しマンネリ化していたのもあって、解散じゃなくて“解体”というものをLinQはしているんです。今となっては、すごくよかったと思います。事務所が「IQプロジェクト」というかたちを作って……それまでLinQというグループしかなかったところへ、LinQから派生してできたユニットだったりとか、OGメンバーの舞台だったりとか、いろいろと活動の場を広げたんです。
九州の大きなエンタメプロジェクトが“解体”以降、すごく盛り上がってきたような気がしているし、今では小学生低学年からのLinQ KIDSというものもできています。育成を担当しているのが、1期生の上原あさみさんで、同期メンバーでも、裏方に回って違うかたちで、違う目標でやっている元メンバーも多くて。
私がここまでLinQを続けてきた理由には、こういうふうに仲間がまだ近くにいて、違うかたちで一緒にやっていることもあります。私も責任を感じていたから、LinQで少しでも上へ行けるように、もうちょっとがんばってみます、みたいな。今はそれぞれの役割で、同じ事務所の仲間として盛り上げているイメージですね。
──それこそ最初は最年少で始まって、気づいたら最年長になっていたという。
髙木 そうです! でも、最年少も最年長もどっちも経験できるっていうのは、けっこう貴重な経験だと思っていて……どっちの気持ちもわかるんで(笑)。でも最年長になってみて、中学生のころ「自分は天才」と思っていたけど違っていたんだなって、お姉さんたちに自分を活かしてもらっていたことに気づいて。「とりあえずあとはうちらでやっとくけん」、「悠未は自由におること」って。でも私はそのときは勘違いをしてたから……。自分がLinQを盛り上げてるんじゃなかった、活かしてもらってたんだなって、今になってめっちゃ思います。
だから、お姉さんたちにやってもらっていたことを今度は自分がやりたいと思っていて。ただ自分もまだプレイヤーだから、後押しだけじゃなくて、うまく自分が出るところと、チームでの役割というものを意識してやっている感じです。
──その意識を持っているなかで、今回卒業を決めたきっかけはなんですか?
髙木 きっかけは、中高生メンバーが9割を占めたグループになっていたこと。私の中で毎年LinQをこういうグループにしたいという目標もありながら、後輩も増えて、毎年教えなきゃいけない1年にもなっていて。良い意味でも悪い意味でも、なかなか前に進めないみたいな。新しいメンバーが入ってきてくれたからがんばるぞ!という気持ちでやってはいるんですけど、触れていると、本当に世代が変わったんだなと、心から思って。
自分が今できることは、自分が経験してきたことを今のメンバーに教えて、LinQを長く続けてもらってLinQの歴史を塗り替えてくれるようにすること。だからそのために、私も今のメンバーにいろいろと伝授する役割に、いつの間にかシフトチェンジしていた。2年ぐらい前から……そのあたりも、理由ですね。同期もどんどんいなくなって。まだ同期がいっぱいいたら、もうちょっと続けられたかもしれないけど。やっぱり世代交代のタイミングかもしれないなって思えたし、自分の20代残りの時間を、アイドルというひとつの武器を下ろしてみて、違う魅力をつける期間にしたいなとも思いました。

──後輩メンバーに、こんなことを期待したいというのはありますか?
髙木 LinQの歴史が長いぶん、先輩方の想いというのを持ってくれているのはうれしいんですけど、それだとLinQのカバーグループになってしまうから、自分らのLinQにしてほしくて。私の想いとかじゃなくて、自分らで作っていってほしいと、言っていますね。どうしても、昔のLinQを知っているファンは「なんか違うんだよな」って、やっぱり見えちゃうと思うし。今のメンバーは、いつまでもそう思われちゃうのはかわいそうだなって。ポテンシャルはあるんだから、自分らのLinQを作っていってほしいと思っています。
──なるほどね。ちょっと脱線しますが、悠未さんはテレビ朝日の番組にも出てくださったじゃないですか。『関ジャニの仕分け∞』はどうでした?
髙木 今でも、あのときの自分はすごかったなって思って(笑)。あり得ない奇跡が起きて。あのプレッシャーのなか、しかもドラマーのシシド・カフカさんに『太鼓の達人』で、パーフェクトで……。練習では一度も……知ってますよね? 私が練習でできていなかったのを見てましたよね?
──見てましたよ(笑)。
髙木 なのに、あれは不思議で仕方ない。今でも不思議。本番にただただ強かったという。だって、まわりの大人たちが「え?」ってなってましたよね?
──なってた(笑)。
髙木 記憶がないですもん、ざわざわしてた。
──ライブアイドルって本番に強いんだなって思いました。この前出演した『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ)もそうですけど、出た反響はどうでした?
髙木 やっぱり全国放送の影響力ってすごいなと思いました。普段テレビで見ている人たちと実際に一緒の空間で収録すると刺。激がすごい。入る隙もないぐらいトークが飛び交ってるから、すげえって(笑)
──でも、ちゃんと爪あとを残してましたよね?
髙木 あれ(実際は)6回振ってもらって、結果3カットだけ。前半は緊張しちゃって。でも緊張していたら二度とチャンスがないから、その緊張も途中からは意外と楽しめていて「なんか楽しいかも!」って。
──やっぱり本番に強い(笑)。あとlogirlでは、番組『LinQ・LinK』とか、生配信の番組もあったり。何か覚えている企画とかありますか? 覚えていないかもだけど(笑)。
髙木 覚えてますよ〜! logirlは──今日も取材に来るまでの道のりで「なつかしい〜」と思いながら大江戸線に乗ってきて、思い出してました。ひとりでテレ朝に来るという環境も(そういう動きは)福岡ではできなくて、自分の中ではいい経験の時間だったんです。
あと、トーク力も。わからないながらに「これを言ったら大人が笑った」とか「これは笑わないんだ」とか、大人の顔色をめっちゃ見ながら正解とか不正解を探していたlogirlでした(笑)。しかも芸人さんとかとも絡ませてもらう時間も多かったから、本当に修行させてもらった感じです。
──あとプライベート案件になるけど。このときの記憶はありますか?
(と、写真を見せる:ももいろクローバーZのメンバーと一緒に撮った写真)
髙木 わあ、なつかしい〜! 初めて人を見て鳥肌が立ちました。ももクロさんのZeppツアーだと思うんですけど、初めて鳥肌が立ったし、このライブを観て、よりがんばりたいと思ったので記憶にあります。
──百田夏菜子さん推しでしたよね?
髙木 はい、今でも。ライブ映像を観ています。ももクロさんはずっと『@JAM EXPO』に出られていて、この間もフィナーレのステージを観たんですが、ずっと変わらず愛され続ける人たちはすごいなって。

──そうですよね。あと舞台『灯籠』(2015年)に出演してもらったじゃないですか。あれはどうでした?
※【カタオモイ.net】プロデュース公演『灯籠』
髙木 『灯籠』! この間も見返したんですよ! 井之脇海さん……めっちゃ……すごいですよね! この間も、当時来てくれていたファンの方と物販で盛り上がりました(笑)。「井之脇海さんすごいよね」「俺も思っとったけど、誰も共有する人いない」って。
──見返してるの!?
髙木 見返してますよ、何回も! もう一回やり直したい……。あの経験が今の私の、第一の殻破りをしてくれた。表現ってこんなに幅があるんだって。普段まわりにはメンバーしかいなくて、LinQっていう小さな視野でしかなかったので。違う方々と関わることで、すごく視野が広がりましたね。
──初のお芝居?
髙木 めちゃくちゃ初のお芝居だし、今見たら本当に恥ずかしいぐらいで。ごめんなさいという感じ(笑)。
──本番公演をやっていくなかで、回を重ねるごとに悠未さんの演技が上達していったんですよ。客を前にすると一気に変わる。僕らも観ていて「ライブアイドルってそういうことなんだね」って。
髙木 本当に!? それはアイドルの経験が活きていたってこと?
──うん、客が入ると全然違う。
髙木 それタイムリーで褒めてほしかった……(笑)。ずっと自信がないままで。今もゲネプロの映像を観て、もっとできたなって。ばり早口だったし、今見える自分へのアドバイスがある。今までやってきたものの経験が何かに活きるってことですね。
──めちゃくちゃ活きてますよ!
髙木 2191回でした、センターでステージに立っていたのは。いい経験。
──「いろんなチャレンジをしたい」と言ってましたけど、卒業後はどんなことをやっていきたいですか?
髙木 拠点はどうするの?って、よく聞かれるんです。もうちょっと若かったら東京でチャレンジしたいと思ったんですけど。私が福岡を拠点にしたいと思った理由は、年齢もあるんですけど、逆にせっかく14年間、福岡でいろいろと築いてきたし、その経験は何にも変えられないものだと思ったから。地方に東京のタレントさんが来ることもすごく多いので、そこで絡んで「福岡におもしろい子がいた」って。こっち(東京)に来て埋もれるよりも、たぶん印象が強くなると思ったんですよね。「九州におもしろい子がいる」というフレーズでタレント活動をやりたいなと思っています。
──目指す方向はタレントさん?
髙木 そうですね、マルチな。SNS系が好きなファン層もつけたいけど、メディアのほうでもファン層が広がったら最強になるんじゃないかなって。SNSもここ数年力を入れてやってきたので。観ている人には、テレビの画面もスマホの画面も同じレベルに見えているらしく。だからどっちも最強になれたらいいなって思っています。

──こんな人になりたいっていうロールモデルはありますか?
髙木 大泉洋さん! やっぱり、絶対的な地元があって、東京は出稼ぎみたいだと言える人。地元でも愛されると思うし、結局は地元に持って帰るから。それが自分のスタイルになればいいなと思っています。
──なるほど。ソロ(のアーティスト)活動は?
髙木 ソロ活動は、今は特に考えていないです。したいと思ったら、もっとストイックにならないと……だし、今なっていないってことは、やりたいことじゃないんだろうなって思っています。
──ここが私の魅力なんだというところはありますか?
髙木 私はアイドルということでごまかしてきたものがめっちゃあると思うんですよ(笑)。ごまかすというか……アイドルだから許されてきたというか。それがなくなるので、新しい武器を身につけなければと思うけど。地方タレントだと、人間力というか「この生き方かっこいい」というのが長くファンでいてくれるファン層になるのかなと思うので。人間力を磨きたいと思っています。この人の生き方がかっこいいと思ったら、女性の方々にも応援してもらえるだろうし。息を長くしたいという感じです。
──そのひとつが、趣味のバイクだったりします?
髙木 そうですね。バイクも最初は興味がなかったんですけど、『東京卍リベンジャーズ』を観て、マイキーのバブかっこいいなと思って(笑)。これからどういうことをしていくかという戦略会議で、釣り女子とかゴルフ女子とかたくさんある中で、バイクってあんまおらんと思うって。しかも自分の小柄というのも、ギャップになって生きるかもしれんって。バイク好きな人とアイドル好きな人って近い人が多いかもしれないと思って……それでバイク女子。
実際に自分もすごく興味があったので。車の免許は持っていないけど、バイクの免許は取りました。前にバイクのイベントへ出たときも「バイクに乗っている女の子だ」って言ってもらえたし。あと、バイク女子でフォロワーがめっちゃ多い人もあんまりいないから「いいかもしれん!」って、いい意味でビジネス脳も働かせながら(笑)。
──なるほど。好きなことが仕事になるのはいいですよね。卒業ライブのことについても伺います。こんなライブになったら……というのはありますか?
髙木 私は創立メンバーなので“創立メンバーの卒業”でしかできない、OGメンバーを34人呼ぶということを7月5日に実現できるようになったんです。これまでの卒業メンバーが60人ぐらいいるんですけど、そんなに来てくれることもびっくりだし、みんなそれぞれ人生のシフトを変えているなかで、あのときの青春を一夜思い出そうと。
たぶんLinQにも感謝しているから、来てくれるのかなって。私もみなさんがいたから今まで続けようと思ってこられた感謝の会、同窓会みたいな。LinQのファンの方も、今のファンと昔のファンが共通している「LinQで好きだったもの」が融合する日になればいいなって。7月5日は、けっこう力を入れてますね。
メンバーにも10年ぶりに踊る人もいるし。衣装も引っ張り出してきて「入らんよー」というLINEをしながら(笑)。あと、若いころぶつかってきたメンバーもいるんですけど、今はもう時効だよねって感じで。和解できている時間もすごくよくて。お互いに反省していた部分も、大人になってわかるから、めっちゃ泣くと思います。
──楽しみですね。最後に応援してきてくれたファン、今応援してくれているファンに向けて、ひと言もらえますか?
髙木 この活動をしていなかったら出会えていなかった人たち、ファンの方もだし関係者の方もいっぱいいると考えると、私の宝物だなと思えたのが「出会い」だったんですよね。あと「経験」。これが私の14年の宝物だなと思えた部分だったんです。せっかく出会えたご縁だから、今後も悠未ちゃんを応援したい、活力をもらえるという存在、Win-Winな関係でいたいと思うから、これからもどうぞよろしくお願いいたします!

取材・文=鈴木さちひろ 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝