紆余曲折を経て主役の座が見えてきたコンビ・ひつじねいりの期待にあと押しされた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35

細身の元慶應ボーイ・細田が並べ立てる屁理屈に、ふくよかな男・松村が濃厚な関西弁で熱くツッコむ。東と西の笑いが融合したしゃべくり漫才が魅力のコンビ・ひつじねいり。
前回の『M-1グランプリ』では惜しくも準決勝敗退となったが、次の主役の座を虎視眈々と狙っている。
コンビ歴は7年目だが、実は今年、細田が34歳、松村が37歳と若手とは言い難い。紆余曲折を経たふたりは、どうして組んだのだろうか。ふたりのさまざまな初舞台を聞きながら、ひつじねいりの軌跡をたどる。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
細田の遅刻と、松村のモテテクニック

左から:細田祥平、松村祥維
松村 すんません、細田がまだ来てなくて……。
──よく遅刻されるんですか?
松村 いや、全然ないっすね。電話していいっすか……。出えへん。大丈夫かな。いったん先に僕だけ取材してもろても大丈夫ですか?
──もちろんです。では、ひつじねいりを組むまでの話を聞かせてください。大阪で生まれ育った松村さんにとって、お笑いはやはり身近でしたか。
松村 そうですね。逆に東京来るまではこれが当たり前やと思ってたんですけど、フル尺の漫才を20分番組とかでやってるんですよ。あと、『吉本新喜劇』。僕らが子供のころは土曜日は午前授業があったんで、学校終わったらすぐ帰って、お昼ごはん食べながらテレビで観てました。月曜は『新喜劇』(MBS)か『ごっつ(ダウンタウンのごっつええ感じ)』(フジテレビ)の話で盛り上がる。大阪ってほんまにおもしろいヤツがクラスの中心メンバーになるんですよ。足が速いとか顔がええとかより、おもしろいほうが偉い。
──ちなみに松村さんは人気者だった?
松村 僕はもうほんまにずっと人気者でした!

──(笑)。
松村 いや、ほんまなんですよ。とにかくイジってもらえたんです。友達もそうですけど、先生もイジってくる。そこでうまく返そうっていうのは、小学生のときからやってましたね。
──よく言われることですけど、ブラジルの少年たちが当たり前に路上でサッカーしてるみたいに大阪ではお笑いが日常なんですね。
松村 ほんまにそうでしたね。あと、女の子がめちゃめちゃ好きでモテたかったんです。顔はブサイクやから、笑いで勝負したろと。
──その努力は実ったんですか。
松村 これが実ってるんですよ。変な話、初体験もまわりよりちょっと早いし。そういう人生だったぶん、モテない自虐をネタでやっても、ウソってバレる。
──笑いでモテるってどういうことなんですか。
松村 小中学生のときはあんまわかってなかったんですけど、高校生ぐらいになると女子との会話の中で、ちょっとしたことにツッコんだり、イジったりすると、女子がめっちゃ笑ってくれるのに気づいて。それで女子との間(ま)の取り方がうまくなった気はします。大学に入ったら、心斎橋でめちゃめちゃナンパもしてて。見た目カッコいい友達はサクサク行くでしょう。でも僕は女子からしたら「なんでお前いかなあかんねん」って見た目やから、そこは戦死する覚悟で笑かしてました。

──女性が笑ってくれる定番のフレーズとかあるんですか。
松村 いや、これを言ったらっていう鉄板の言葉はないんです。それこそ女子の前にスライディングしたこともありますよ。「うわ、セカンドベースやなかったんかい!」とか言うて。その瞬間のインスピレーションだけ。せやからむちゃくちゃ失敗も多かったですし。ただ、そういうところで鍛えられた根性が、芸人になった今も少なからず活きてるやろうなって思います。
──まだ細田さん来ないのでもう少し「笑いとモテ」について聞きたいんですけど、笑わせてハートをつかんだあと、男性としての魅力はどうやって出すんですか。
松村 僕はこの見てくれなんで、やっぱ色気は出せなくて。なんで、笑わせたあとは「聞く力」ですね。最初は僕からめちゃくちゃしゃべって盛り上げてからは、ひたすら聞く。で、相手が投げてきたワードにちょっとだけおもしろを乗せて笑かすみたいな。(明石家)さんまさんみたいに「ほんで? ほんで?」じゃなくて、「そうなんやぁ」って相づちを打ちながらですね。でもこんな偉そうに言うてますけど、ほんまに打率は低いですよ、ピッチャーの生涯通算打率並です。圧倒的にミスが多い。数少ない成功で、自信を養ってきた感じですね。
突如の上京と運命にならずの出会い

松村 あっ! すんません、今、細田からLINE来ました。「忘れてた」って(苦笑)。ほんますんません。今から急いで来たら、30分くらいで着くと思うんで。あいつがどんな顔して入ってくるか、見てやりましょう。
──事故に遭ったとかじゃなくて、本当によかったです。では、もう少し松村さんの話を聞かせてください。芸人になろうと思ったのはどのタイミングだったんですか。
松村 大学卒業する直前ですね。就活してて、サラリーマンになる予定やったんですけど、高校の同級生が急に「お笑いやらんの?」って言うてきて、それがキッカケですね。就活もなんとなくやってたんで、お笑いやってみてもええなと。イケイケのお姉ちゃんたちを振り向かすには、俺が有名になって「見たよ〜」ってLINEさせるしかないなって。
──じゃあ最初は大阪で活動してたんですか。
松村 ここでややこしいのが、最初は静岡に行くんですよ。僕、留年してたから、誘ってきた同級生はもう社会人で。そいつが静岡に住んでたんです。親には内緒で「勤務地が東京になりました」って就職したフリして実家を出て、静岡の相方の社宅に住ませてもらいました。
──松村さんの芸人としての初舞台は、その相方と?
松村 そうですね。大阪であった新人コンクールの予選会、そこに1回出ただけです。それも客前じゃなくてネタ見せなんで、大阪吉本のギラギラした若手ばっかりやから、ひとつもウケない。終わったあとは、そそくさと帰りましたね。車で来てたんで、静岡まで運転して帰るんですけど、空気重かったなぁ。最初は「全然ダメやったなぁ」ってヘラヘラしてたけど、めっちゃ時間あるから、じわじわと「ヤバいな……」って。

──気まずい時間ですね。
松村 学生のときは、まわりからおもろいとされて調子乗ってたんで落ち込みました。本気でお笑いやってる人らとはまるで違うんやなと。今思うと、あの初舞台で相方は心折れたところが多少あったかもしれないですね。サラリーマンとしてじゅうぶん稼げてるのに、なんでこんな惨めな思いせなあかんねんって思うのも無理ない。もし初舞台でウケてたら、その勢いで「会社辞めるわ」ってなってたかもわからん。
──ナンパで鍛えられた松村さんは打たれ強いから。
松村 そうっすねぇ。「まぁこっからやな」って踏ん張れました。結局、相方が全然やる気にならなくて2カ月くらいで社宅出ましたけど。「俺、本気でやるわ」ってひとりで東京に来て。
──誘われて静岡に来たのに、相方に愛想を尽かして、そこからひとりで東京に出るってすごいですよね。大阪に戻る選択肢はなかった?
松村 大阪ってなると吉本一択なんで、NSC行かんとダメじゃないですか。当時僕はもう26歳になる年だったんで、今さら1年間養成所に通うのもしんどい。それに新人コンクールでのひどい経験があったから、とにかく舞台に立たなあかんってことで、フリーライブがたくさんある東京に行くことにしました。最初は上京してた友達の家に居候させてもらいながらバイトしてお金貯めながら、相方探すためにライブを観に行ったりして。

──相方はすぐ見つかりましたか。
松村 これもたまたまなんですけど、高田馬場の汚い食堂で偶然、高校の同級生と再会したんですよ。しかもそいつも東京にお笑いしに来たって言うてて。
──ドラマみたいな話。
松村 俺も思いましたよ、「絶対コイツと組んで売れるんや!」って。でもそのコンビも、2年ちょっとやったら「結婚するからもう辞める」って言われて(笑)。そのあともいろんな人と試して、今のコンビの1個前「いい塩梅」ではM-1の準々決勝まで行けたんです。それで芸人とかライブのスタッフさんとかに声かけてもらえるようになったんですけど、そいつとはまったくそりが合わず、2年もたなかったですね。
──松村さんの20代は、鳴かず飛ばずだった。
松村 養成所にも事務所にも入ってないから、同期もおらんし過酷でしたよ。あ、細田来た。
細田 すみません! いやもう本当に申し訳ありません。家の近くの喫茶店でネタ書いてました。集中するためにスマホもイジれない設定にしてたんで、連絡も気づかず……。
松村 うまいこと言い訳考えてきたなぁ。
細田 タクシーで考えてきました。今日は休みだと思ってました……。ホントすみません。
寂しさとエッチな問題で解散

──ちょうど松村さんがひつじねいりを組む直前まで話を聞いたんで、いいタイミングでした。埼玉出身の細田さんは、ストレッチーズと同じ浦和高校に通ってたんですよね。
細田 そうです。『U-1グランプリ』っていうのがあって、そこで漫才したのが初舞台ですね。出場者は2組だけで、もう片方はストレッチーズでしたけど。
──4分の3がプロになり第一線で活躍してるってすごい大会じゃないですか。
細田 いやでも文化祭で教室をひとつ借りてやるだけですよ。観てる人も10人くらいなんで、緊張することもなく。
──大学は慶應(義塾)ですが、(お笑い道場)O-Keisというお笑いサークルがありますね。もともと大学お笑いをやるつもりだったんですか?
細田 いや、最初はNSCに通おうかなと思ってました。でもお笑いサークルがあるって聞いてのぞいたら、大学生活を楽しめてない人が集まってて、親近感があって入りました。

──以前、この連載でストレッチーズに取材した際、細田さんとトリオになるかもしれなかったって聞いたんですよ。
細田 そんな話もあった気がしますね。でも別にサークルなんで、一生の相方になろうって感じではなかったと思いますよ。そもそも僕は漫才に憧れてたから、3人でやるイメージが湧かなかったし。
──ストレッチーズの高木(貫太)さんいわく、最初に3人で結成の話をしようとしたとき、福島(敏貴)さんが遅刻されて「初っ端から遅刻するヤツとは組めない」って細田さんが言ってたらしいんです。
松村 どの口が言うてんねん!! めちゃめちゃ遅刻しとるやないか!
細田 いやもう今日は本当にすみませんでした!
──もう大丈夫ですよ(笑)。学生時代にお笑いサークルで活動しつつ、どのタイミングでプロになろうと思ったんですか。
細田 慶應にいた真空ジェシカの川北(茂澄)さんが人力舎所属になって、そのルートで行けたらいいなと。当時は三四郎さん、ルシファー吉岡さん、モグライダーさんってマセキ(芸能社)所属の方々がライブシーンでめっちゃ盛り上がって熱気があったんで、大学在学中にマセキを受けて、卒業とともに預かりになりました。

──プロとしての初舞台は、そのコンビで踏んだ?
細田 はい。新宿Fu-でしたね。大学お笑いで慣れてたんで、わりとうまくいって。帰り道は缶ビール片手にテンション上がってたかな。あのころちょうど又吉(直樹)さんの『火花』が流行って芸人はカッコいいみたいな風潮があったんで、自分たちに酔ってましたね。
──松村さんと同じく、細田さんもいくつかコンビを経験してますよね。
細田 最初のコンビは1年くらいで解散しましたね。まじめにネタの話をするようになったら、普通に険悪になった(笑)。あと、新宿駅からライブ会場までの10分間、一緒に歩いているのにずっとイヤホンされてたのが寂しすぎた。
松村 コンビやったら普通にあるやろ(笑)。
──次のコンビはバーニーズでした。
細田 今、モシモシっていうトリオをやってるまぐろと組んでました。でも相方がすごいエッチな問題を起こしちゃって……。たぶん業界初のSNS乗っ取りで、自分のアカウントからすべてを暴露されたんですよ。今思えば笑い話にして続けられたと思うんですけど、僕がけっこう無理になっちゃいましたね。
実はNSCに入りかけた

──ここでようやく松村さんと細田さんがひつじねいりを組むわけですが、松村さんはずっとフリーだったんですよね。そもそもどうやって知り合ったんですか?
松村 たぶん、K-PROのライブですね。いい塩梅のときにM-1準々決勝まで行ったおかげでライブが増えたり、SMAに入れてもらえたりしたんですよ。その流れで知ってくれる芸人も増えて、細田とも出会いました。でも僕、細田と組む直前まで、NSCに行こうとしてて。
細田 それ知らなかったわ。
松村 いい塩梅を解散して、今さら誰かとまた組む歳でもないなぁって思ってて。30歳になる年だったんで、NSCに入る最後のタイミングかなと、まぁ吉本への憧れもありましたしね。あのとき入ってたら、たぶんナイチン(ゲールダンス)と同期ですよ。お金振り込めば入学っていうタイミングで細田から声かかって、まぁやるかと。

──細田さんはなぜ松村さんに声をかけたんですか。
細田 前のコンビがおもしろかったし、ふたりだったら対照的で見栄えがするんじゃないかなぁって思ってました。
松村 新宿の珈琲西武で、「組もか」って話したな。
細田 朝6時に集まりましたね、お互い8時からバイトだったんで。
──大事なときはちゃんと会って話すんですね。細田さんLINEで承諾されたら「寂しいから」って組むのやめそう(笑)。
細田 そんなことはないですけど(苦笑)。でもさすがにLINEではやらないですね。
松村 でも完全に一個騙されたんですよ。僕が細田と組もうと思ったんは、「ネタ無限に書けます」って言ってたのもあったんです。それまでのコンビでは合同で書いたり、僕が書いたりしてたんで、次はネタ作れる人と組みたかった。でも結局、詐欺でしたね。
細田 まぁそこは誇大広告くらいで(苦笑)。

──では、ひつじねいりの初舞台は?
細田 K-PROのライブだったと思いますね。
松村 お互い前のコンビで知られてたんで、ライブシーンのお客さんは知ってくれてたから、うっすら期待の熱があったんですよ。そのわりにはまぁ「ウケはしたけど……」っていう感じ。
──「ヤバいコンビ出てきた!」みたいな感じではなかった?
松村 まったくですね。自分らのスタイルを見つけるまでけっこう時間かかってます。
──初々しい初舞台ではなかったんですね。
松村 いやもう全然ですよ、僕らは焼き回ってるんでね(笑)。
細田 おじさんになって組んだんで、浮かれてるとかはまったくなかったですね。『火花』憧れももうなかったです。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

ひつじねいり
細田祥平(ほそだ・しょうへい、1991年11月30日、埼玉県出身)と松村祥維(まつむら・よしつな、1988年7月2日、大阪府出身)のコンビ。2019年に結成し、2023年には『ツギクル芸人グランプリ』で準優勝する。『M-1グランプリ2024』では初めてセミファイナリストとなった。大喜利ライブ『大喜る人たち』のMCとして、お笑いファンの信頼も厚い。
【前編アザーカット】





【インタビュー後編】
賞レースでも活躍し、ブレイク間近と話題のコンビ・ひつじねいりが抱く焦燥と野望|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35