不毛な会話劇で魅せる兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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京都を拠点に活動する劇団・THE ROB CARLTON。大富豪や政治家など、浮世離れした設定とキャラクターたちが繰り広げる、不毛な会話劇が魅力の劇団だ。

作・演出を務め、俳優としても出演する村角太洋と、村角ダイチは兄弟である。幼いころから仲良しで、40歳を目前にした今もともに歩むふたりに、いくつかの初舞台を聞いた。

ちなみに、太洋は役者名をボブ・マーサムという。ダイチは太洋を「ボブ」と呼ぶので、本文はそれに従っている。

若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

「僕らのコメディにはボケもツッコミもいない」

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左から:村角太洋(ボブ・マーサム)、村角ダイチ

──この連載では普段、芸人の方々のファーストステージ=初舞台について聞いているんですが、今回は劇団ということで異色回です。

ボブ そうですよね。そうそうたるメンバーの中にインタビューが載るのはありがたいですけど、私たちでいいんですか。

──もちろんです! THE ROB CARLTONの演劇の魅力は、重厚な世界観の中で繰り広げられる不毛な会話劇ですが、その一方でコントにも挑戦されていますから。演劇にせよ、コントにせよ、創作のこだわりはなんでしょうか。

ボブ 知らないことはやらない、ですかね。重厚な世界観と言っていただきましたが、もともとそういう古い映画が好きだから、そのシーンを再現したくて作ってるんです。

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──自分の愛着から創作がスタートする。

ボブ 物語やキャラクター、設定の根底をどれだけ能動的に把握できてるかは、僕にとって重要ですね。THE ROB CARLTONは、僕がもともと好きなもの、興味のあるものを題材にしている。その説得力はあると思います。

──喜劇を作っているTHE ROB CARLTONの、笑いの肝はなんでしょうか。

ボブ 僕らのコメディにはボケとツッコミが存在しないんです。それは、小さいころ親父に見せられてたアメリカのコメディ映画の影響だと思っていて。コメディ映画の登場人物って、みんな自分が「普通」だと思って行動するんだけど、それを観客側から見ると滑稽なわけです。自分の好き勝手に動いていたら、互いのアクションと思惑が絡み合って、どんどんカオスになっていく。そういう意味では、説明的になりすぎずに、キャラクターを理解してもらうことが重要だと思っています。

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ダイチ キャラクターとシチュエーションをしっかり作り込まないと、お客さんはなんのこっちゃわからないので、そこは大変ですよね。

ボブ 逆にいえば、キャラクターとシチュエーションを理解してもらったら、あとは彼らが多少変なこと言おうが何しようが、お客さんたちは納得して見てくれるんですよね。シットコム(シチュエーション・コメディ)を作る感覚にも近いのかもしれません。

──正統派のコメディなんですよね。

ボブ そう言ってもらえるとうれしいですね。時代遅れともいえるのかもしれないから(笑)。7月にはユーロライブで行われている演劇人とコント芸人が交差するライブ『テアトロコント』に呼んでいただきましたが、そこで観る芸人さんたちは、自分たちにはないロジックで笑いを作ってらっしゃっておもしろいし、演技も設定も巧みで。そこはすごく勉強させてもらってますね。

弟の文化祭演劇に脚本を書く

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──ボブさんとダイチさんは、兄弟なんですよね。

ボブ そうです。だから初舞台っていったら、幼稚園生のころだと思います。ホームビデオが残ってるんですよ。家でふたり並んで蝶ネクタイを締めて演説してる。でも、ダイチがすねてるんです。

ダイチ そうそう(笑)。僕がしゃべろうと思ってたのに横取りされたんやろな。親に対してだけど、何かを演じて見せるのはアレが初めてやった。僕は幼稚園のお遊戯会でも、ひとりだけ目立つ役をやらせてもらって、それでちょっとした優越感を覚えた記憶がありますね。

ボブ それ聞いて急に思い出したんですけど、小学1年生のときにものすごい悔しい経験をしたんですよ。クラスで演劇をしたんですが、ある男の子が「先生。僕、チャーリー浜のセリフ言いたいです」って言い出して。実際、本番でその子がめちゃめちゃウケてて、それが悔しくてしょうがなかった。当時から人を笑わせたいっていう欲求があったんでしょうね。

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──実際に演劇をやるようになったのはいつからですか?

ボブ 高校から脚本を書くのがおもしろくなってきました。高校の文化祭でクラスで演劇をすることになって、台本を書いたんですが……自分で立候補するのは気恥ずかしいから、うまいこと根回しして自分が書くことになるよう仕向けましたね。

──なんで書きたいと思ったんですか。

ボブ もともと映画が好きで、映画監督になりたかったんですよ。いろいろ観ていくうちに、脚本を自分で書く監督がいることを知り、じゃあ書いてみようと。ただ、映画は簡単には撮れないじゃないですか。だから脚本だけいろいろ書いてたんです。人前で見せるための脚本は高校2年生の文化祭のときが初めてですね。

──どんな物語でしたか。

ボブ もうハチャメチャで、いろんなマンガやアニメのキャラクターを全部出すみたいな感じです、今思えば恥ずかしい。でも学校の文化祭って客席は身内しかいないから、ある程度ウケてしまって。それで「自分には才能がある」って勘違いしちゃったんでしょうね(笑)。

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──でも、文化祭の持ち時間は少ないでしょうし、既存のキャラクターを使うと説明が省けるから、効率的でいいなと思いました。

ボブ たしかにそうですね。クラス演劇なので、いろんな人を出せるように、誰もが知ってるキャラクターを寄せ集めたところはあったかもしれない。

ダイチ 僕はボブの1学年下やから、その劇、観たんですよ。それで影響されて、僕も演劇をやりました。3年生のときは卒業してたボブに脚本を書いてもらって。ボブはずっと学校で目立つ人やったんで、僕の学年でもある程度信頼があって。「ダイチの兄ちゃんが書くんやったら大丈夫やろ」って感じで受け入れてもらいましたね。

ボブ ダイチに渡した脚本は『ゴッドファーザー』を下敷きにした話でしたね。自分で書いた脚本を、初めて客席から俯瞰して観られたので、勉強になりました。

「知らなすぎや!」劇場スタッフに叱られる

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──ボブさんとダイチさんは子供のころから仲がよかったんですね。

ボブ 僕らは幼稚園も小学校も中学も高校も同じですしね。

ダイチ 僕らが小学校に上がるぐらいのタイミングで、九州から京都に引っ越したんですよ。僕は今でこそ関西弁ですけど、当時は言葉も違ったから、露骨にヘンなヤツ扱いされてしんどかったです。でも家に帰ったらボブがいるし、そっちで遊んでるほうが楽しい。ボブの友達とも一緒に遊んでました。

ボブ ダイチとは兄弟って感じもしないですね。僕ら三兄弟で、4つ下の三男がいるんですけど、彼はちゃんと弟なんですよ。会ったらお小遣いをあげたくなる感じ(笑)。でもダイチはもう友達に近い。

ダイチ 不思議な距離感やね。

ボブ でも僕らにとってはこれが普通だから。

──高校卒業後、すぐにTHE ROB CARLTONを結成するんですか。

ボブ いや、僕は相変わらず映画が撮りたかったんで、海外に映画の勉強しに行こうと思ってホテルで働いてお金を貯めてました。でも同時に脚本を書いて、それを試したいから、(出身校の)洛西高校のラグビー部の連中を集めて、お芝居の真似事をやったんです。

ダイチ 「洛西オールドボーイズ」っていうそのまんまの名前でな(笑)。文化祭しか経験がなくて公演の打ち方もわからないのに、 一丁前に京都の劇場を借りてやりましたね。それが2004年か。

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ボブ 照明も音響もわからない。すべて見よう見まねでやりましたね。

ダイチ 劇場の人たちに「知らなすぎや!」ってめちゃめちゃ怒られましたよ(笑)。

ボブ でも、そのスタッフのお姉さんたちも演劇好きなんで、呆れながら教えてくださいましたね。

──洛西オールドボーイズが、そのままTHE ROB CARLTONになる?

ボブ いや、あれは本当にただのお遊びで、2008年には終了しました。その後も僕は、結局3年ほどホテルで働き続けました。でもあるとき、やっぱり本気でやっていきたいなと思いまして。しかし中途半端に年食っちゃったんで、弟子入りもスクールに入るのも難しい。それならいっそ自分でやってしまえとTHE ROB CARLTONの旗揚げ公演を行ったのが、2011年の2月11日でした。メンバーの(入江)拓郎も、そのときに弟がバイト先から連れてきたんです。

意図せず不毛だった初舞台

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──その初舞台は覚えていますか。

ボブ 鮮明に覚えてますね。

ダイチ 最初の公演なんて恥ずかしくて思い出したくないんだけど、忘れられない(笑)。

ボブ 台本も見てらんないよな。今まさにタイムリーですけど、大統領が演説中に撃たれるというシチュエーションで、そのシークレットサービス側を描いた話でした。

ダイチ 大統領は助かるんだけど、銃弾が1個だけ見つからなくて、シークレットサービスが疑われると。それがしょうもないオチで……。

ボブ あらぬ容疑をかけられたシークレットサービスが、すっごいくせ毛だったんですよ。

ダイチ アフロヘアの中に銃弾が残ってたというね(苦笑)。

ボブ 今思えば、くだらなすぎてむしろおもしろい気がする。

ダイチ でも密室に閉じ込められるっていう場面があって暗転が明けたら、ドアが開きっぱなしやったんですよ(笑)。

ボブ それは終わってるわ、はははは。今思えば最悪だったね。記録映像を見返してもすぐに止めるほどです。

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──今振り返ればさんざんだったとはいえ、当時は達成感もあったのでは?

ボブ いや、普通に落ち込みましたよ(笑)。稽古は盛り上がってたんですけどね。稽古中はシーンごとにやっていくんで、ポイントでしか捉えられなかったんですよ。一本の劇として全体で見通せてなかった。当時はおもしろいシーンがいっぱいできたら最高だよね、って感じでしたから。演劇って全体としての流れが重要で、波を作らないといけない。そんなことすらわからず、第3回公演までは試行錯誤してましたね。

──初回からTHE ROB CARLTONの「芳醇な不毛な会話」という特徴は表れていましたか。

ボブ そうですね。ファーストステージの公演は、その最たるものだった気がします。今は不毛なものを作ろうと意図してますけど、当時は一生懸命やってるのにフタを開けたら不毛だっただけですけど。

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──天然で不毛だった(笑)。

ボブ そうそう(笑)。ちゃんと構築されたコメディがやりたいのに、できない。でも、あるときから、自分たちのよさは「この不毛さなんだ」って気づいて、これを人工的に作り出せれば、おもしろい演劇ができるのではなかろうかと思ったんです。人を笑わせたいのに、天然でやってたらダメなんですよ。

──先ほど第3回公演までは試行錯誤していたとのことでしたが、4回目で何かつかんだんでしょうか。

ボブ そうですね。そこで初めて客演さんをお呼びしたんですよ。劇団メンバー以外の方が入ったことで、内輪ノリができなくなったのが功を奏しました。客演さんはもちろんのこと、その方を見に来るお客さんにもわかってもらうことを意識したんです。あの回が礎となって、THE ROB CALROTNの型ができましたね。

文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

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THE ROB CARLTON(ザ・ロブ・カールトン)
村角太洋(1984年7月21日、鹿児島県出身)、村角ダイチ(1985年11月24日、鹿児島県出身)による劇団。2004年、出身校である京都府立洛西高等学校ラグビー部のOBで「洛西オールドボーイズ」を結成。これが母体となり、2011年に「THE ROB CARLTON」が誕生する。ROBは「洛西オールドボーイズ」の頭文字であり、CARLTONは憧れのホテル「ザ・リッツ・カールトン」から取っている。10月には新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』を、東京と大阪で上演する。

新作舞台『THE ROB CARLTON 18FTHE STUBBORNS」』

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【東京公演】
MITAKA“Next”Selection 25th 参加公演
2024年10月4日(金)〜14日(月・祝)
会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール

【大阪公演】
2024年10月25日(金)・26日(土)
会場:ABCホール
http://www.rob-carlton.jp/

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

活躍の場と規模を広げていく、兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(後編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>