ギャルネタを武器に『THE W』などで活躍するエルフの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#29(前編)
2023年、『女芸人No.1決定戦 THE W』で準優勝を果たしたエルフ。
“ギャル芸人 ”としてブレイクした荒川のキャラクターや、はるの得体の知れなさを生かした漫才やコントに定評があるふたりが、コンビを結成したのは2016年のこと。
一見、まったくタイプの違うふたりだが、吉本興業の養成所であるNSCに通っているころは、相方同士というより「友達って感じ」だったという。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
「漫才師をやろう」と必死だった初舞台
左から:荒川、はる
──昨年末に開催された『THE W』決勝では見事、準優勝となりました。その後も大活躍のエルフですが、初舞台はいつごろでしたか。
はる 2016年の10月のNSCライブですね。
荒川 4月に入学して半年後。芸人それぞれの地元から人が集まるんですよ。
はる 親も来てくれましたね。でも緊張しすぎて何も覚えてない。
荒川 私も〜。
はる ネタを覚えるのも初めてなんで、台本をただただなぞるので必死でした。間、テンポ、声量、全部間違ってた……。
荒川 はるのツッコミは、初手から怒鳴りつけてたな。
はる 「漫才師をやろう、やろう」としてる感じだったから。「ツッコミ」っぽい感じを意識しすぎてました。
──地元の人たちの反応はどうでしたか。
はる 怖くて聞いてないです。そもそも親も友達もみんな「がんばれ!」としか思ってなくて、笑いには来てないから……。
荒川 私らが舞台に出てきただけで喜んでくれてた(笑)。でもNSCってとにかくネタ見せが多いんで、ウケたウケないで、喜んだり落ち込んだりするヒマもないんですよ。とにかく次のネタ持っていかなアカンっていう状態。そういう意味では、お客さんの前でやるよりも、芸人の前でやるネタ見せのほうがしんどかった。
──芸人仲間のほうがシビアなんですか?
荒川 そうですね。「サムい」とかも普通に言われてたんで。今だったら「黙れ」って思えるんですけど。あのときは同期の評価に怯えてましたね。
──ちなみに当時はどんなネタをやってたか覚えてますか?
荒川 私が加藤ミリヤさんの替え歌をするネタがありましたね。私、恋愛したらその相手のことしか考えられなくなるんですよ。だから恋するとネタも変わって(笑)。加藤ミリヤさんが好きで、友達の名前を並べるっていう歌があったんで、その当時の元カレと関わった女の名前をただ歌うってネタをしてました。
──荒川さんが歌っている間、はるさんは何をするんですか?
はる 全力でツッコむだけです。
荒川 カオスでしたね。
ヤンキーの先輩に“ネタ見せ”してた中学時代
──そもそもお笑い芸人になったキッカケはなんだったんでしょうか。お笑いは子供のころから好きだったんですか?
荒川 ずっと好きでした。当たり前にずっとあるのがお笑い。でも、すごい世界すぎて、自分が芸人になるなんて想像したことなかったです。芸人になろうと思ったのは、高校2年生のときにNSCのパンフレット見つけたことで。「学校あるんや! ヤバ! 行きたい!」って即決でした。大学も行きたかったけど、お金かかるから。
でも、いろんな人にすっごい反対されましたよ。進路相談のときに「NSC」って書くとボロカス怒られました。三者面談のときも先生が「お母さん、こんなんでいいんですか?」って聞くんですよ。将来の夢について作文を書いたときも「お前にできんの?」って先生に笑われたし。
──それでも芸人になろうという決意は揺るがなかった?
荒川 そうですね。私はまわりの人たちの意見には全然興味なかったんで、否定されて悲しいとも思わなかったです。もともとお笑いって自分にとって武器だったんですよね。ヤンキーの先輩に認めてもらうために、「ちょっとギャグやっていいですか?」とか言ってたので。
──先輩ヤンキーにネタ見せ。
荒川 私の地元が本当にヤンキーとかギャルが多かったんです。同級生の中でも、お兄ちゃんとかお姉ちゃんがヤンキーだと、一目置かれるんです。私は長女だからそういうのもなくて。だから中学のときはすっごい悔しかったんですよ。あと、友達にもかわいい子が多くて私は全然敵わないですし。中学生なりに同じ土俵で戦っても無理やなって思って、ギャグやったり、「だんじり」やったりしてました。
──NSCに入るときは友人を誘ったりはしませんでしたか。
荒川 ナナって子を誘ったんですけど、断られました。ナナとは『ハイスクールマンザイ』(高校生お笑いNo.1を決めるイベント)にも出たんですよ。
──荒川さんの人生初舞台はそこだった。
荒川 そうかもしれないですね。でも私は文化祭みたいなノリで「思い出作り」だったんですよ。だから今思うとめっちゃ場違いやって。
──お笑いをやる高校生にとって、ハイスクールマンザイは甲子園みたいなものですもんね。
荒川 そうなんです。地方予選の準決勝ぐらいで負けちゃったんですけど、「マジ楽しい。最高!」みたいな感じで、ほかの参加者の子たちに「みんなで記念写真撮ろうや」とか言ってたら普通に断られて。それで相方に「もういい、帰ろう! コイツらおもんない!」とかバリキレて帰りましたね。
はる ははははは(笑)。
荒川 今だったら賞レースで落ちてテンション下がる気持ちめっちゃわかるから、当時の私のほうがムカつくんですけど(笑)。当時は「は? お前ら何しに来たん? 笑えよ!」って思ってました。ナナはめっちゃおもしろくて、今でも私は芸人になったら絶対売れると思ってます。ダブルボケみたいなコンビだったんですけど、ナナのほうが全然おもしろくて悔しかったんです。だからひとりでNSC入ったら、絶対ボケまくろうと思ってました。
芸人は先生の勧め
──はるさんが芸人に憧れたのは、NON STYLEの『M-1グランプリ』優勝(2008年)がキッカケだったそうですね。
はる そうです、小6のときにNON STYLEさんが優勝されて。単純にすごくおもしろかったんですけど、それ以上に衝撃だったのは石田(明)さんが泣いてたことで。あの姿を見たときに、「芸人ってアホやって笑かしてるだけじゃないんや」って気づいて、かっこいいなと思いましたね。
──それからお笑いの世界を目指したんですか。
はる 憧れてただけで活動はしてないです。でも高校のときに「体育教師になりたい」って言い出したら、高1のときの担任の先生が「いや、『芸人になりたい』って言ってたやん」って、教師になるのを止めたんですよ。私の学力がアホすぎて、高3からいきなり教師になるのは無理だったから、だったら一回芸人になれっていう。先生にケツ叩いてもらってNSCに行きました。
──先生に「芸人になれ」って言われるのは珍しいですね(笑)。友人や親からは止められませんでしたか?
はる 「いいんちゃう?」って感じでした。親とは「高校さえ行ってくれたらあとは好きにしていい」って約束してたんで何も言われなかったです。まわりは基本就職やったんで、NSCにもひとりで入りましたね。
──NSCで荒川さんと出会うわけですね。
はる そうですね。NSCって最初のころに「相方探しの会」があって、そこで会いました。荒川は今ほどギャルじゃなかったですけど、まぁまぁハデで明るくて、それなのに「憧れの芸人は中川家さんです」とか言ってて、そのギャップが気になったんですよね。私はあんまり前に出るタイプじゃなかったんで、自分が持ってない明るさと華やかさを持ってる荒川に、自分から声かけました。
──荒川さんは、はるさんの第一印象って覚えてますか?
荒川 「細いやん」って。私は芸人になっても見た目を大事にしたいな、かわいくいたいなって思ってたんで、はるとならバランスいいやろなって思いました。
はる そんだけ?(笑)
荒川 うん。
はる でも荒川って最初はピンでやろうと思ってたんやろ?
荒川 そうそう。誰かとずっと一緒におるのが、ホンマに無理で。友達とかも決まったメンバーでずっと一緒におろうみたいなのが、すっごい苦手。だから最初はやっぱりピンでやろうかなと思ってました。
──なのになぜ「相方探しの会」に行ったんですか。
荒川 入学してすぐネタやらなアカンくて。でも当時はピンネタの作り方もまったくわからなかったんですよ。でも漫才ならめっちゃ見てたから作れそうと思って、とりあえず相方を探したんです。だから、中身が合わんかったら、すぐ解散しよって言ってましたし。
はる まあ最初はどこのコンビもそんな感じですけどね。
「相方っていうより、“すっごい友達”」
──今は荒川さんがネタを書いているそうですが、当時はどうでしたか?
はる 最初から荒川です。
荒川 最初のころは一緒にネタ作りしてるつもりだったんですよ。でも4年目ぐらいのときに、ふと「あれ? これ全部私やな……」って気づきました。
はる スタート時からヒャクゼロです!
──曇りない眼で言いますね(笑)。荒川さんは漫才なら抵抗なく書けたんですか。
荒川 全然書けなかったです。本当になんにも知らんくて、まわりの芸人さんのやり方をとにかく吸収してました。当時はネタ見せでもほかの芸人のネタを、みんなが笑ってる理由がまったくわからないことばっかりで。「イヤなこと言ってるだけやん」とか思って、ほかの漫才師に「なんで笑ってるん?」って聞いて回りましたね。
──聞いた結果、納得した?
荒川 しないです。「一線を越えてるからこそおもろい」みたいなのは一切おもしろいと思わなかったんで。でもそういうネタをやる子らにも「好きなお笑いナニ?」とか聞いて勉強はしてました。それでお笑いって(吉本)新喜劇と中川家さんだけじゃないんやって気づけたので結果よかったです。
はる 私はその間もなんにもしてなかったですね。NSCの記憶ってあんまないんですよ。
荒川 違うやん! NSC生のすっごい恋愛する女の子がひとりおって、その子の話ずっと聞いてたやん。
はる そうや(笑)。私、めっちゃ頼られがちで。当時は荒川とネタ合わせするか、人の恋バナ聞くしかしてなかった。
荒川 NSCにいる女の子の恋バナ全部聞いてた!
はる たしかにそうでしたわ。人の恋愛事情だけは全部知ってました。一切お笑いはしてないけど(笑)。
──なんでみんな、はるさんに話したがるんでしょうね。アドバイスが的確だった?
はる アドバイスはしないです。
荒川 いらんねんな。
はる そう。「あぁ、そうなんやぁ」って聞いてあげるだけでよくて。私はそうやって何時間でも話聞けちゃうんです。私は自分の意見を話すのはめっちゃ苦手なんですけど、人の話を聞くのは好きで。
荒川 私だったら、人の恋バナばっかり聞くのはちょっと時間もったいないって思っちゃう。恋愛してる子ってあんまネタ見せにも来ないんですよ。NSCのお母さん的存在の社員さんがいたんですけど、その人から「女芸人は恋愛だけ気をつけなさい」ってめっちゃ言われてたんですよ。恋愛すると解散しちゃうって。
──なぜ恋愛が解散につながるんですか。
荒川 やっぱり恋愛にハマっちゃうと、おもしろいことするのが恥ずかしくなって変わっちゃう。これはホンマにあるんで、女芸人はめっちゃ言われてました。
──コンビ間ではさすがに恋愛の話はしないですか。
荒川 しますします、今でもするし(笑)。エルフって、ネタ合わせ以外の部分ですごく波長が合うから続いてると思ってて。
はる ネタ合わせだけダメ(笑)。
荒川 あと、私らはずっと「恋愛してもいい」っていう認識やったんですよ。恋で変わっても、それをお笑いにすればええやんって感じで、なんかおもしろそうやしって。だからお互いの恋愛の話もめっちゃしてました。同期の男芸人がおったらできないんで、同期の子らと遊んで解散したあと、朝方まで難波駅の前ではるとふたりで恋バナして泣いてました。相方っていうより、すっごい友達みたいな感じやった。
はる 今でも私は現場でかっこいい人見つけたら、すぐ荒川に言っちゃうんですよ。それを荒川がすぐその人に伝えるんで、「やめてや!」みたいな。
荒川 27歳になっても女子高生みたいなくだりをまだやってます(笑)。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平
エルフ
荒川(1996年8月30日、大阪府出身)と、はる(1996年6月16日、大阪府出身)のコンビ。2016年、大阪NSC38期として出会い、結成。2022年に東京へ進出すると、同年に行われた『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ)で初めてファイナリストとなる。翌2023年にはTHE Wで準優勝。
【前編アザーカット】
【インタビュー後編】
ギャルネタでブレイクの先にある、エルフのネクストステージとは|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#29(後編)