蛙亭「冠番組よりもとにかくコントがやりたい」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#4(後編)
昨年大阪から東京へと舞台を移し、ブレイクを果たした蛙亭。
この「First Stage」前編では初舞台にまつわる話を聞いたが、後編では芸人を志したキッカケや、漫才からコント主体に変わった歴史、そしてコントへの並々ならぬ想いを聞いた。
【インタビュー前編】
「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
目次
笑ってる観客を見て、芸人に憧れたイワクラ
イワクラ
──イワクラさんがお笑い芸人になりたいと思ったのは、小学生のときに見た吉本新喜劇がキッカケだったそうですね。
イワクラ そうですね。大阪におばちゃんがいたので、NGK(なんばグランド花月)に連れてってもらって。新喜劇は地元の宮崎でも放送されてたので、自分から「行きたい!」って言ったのかな。そこは、はっきりとは覚えてないですけど。
──初めて生で観たお笑い芸人に憧れたんですか?
イワクラ いや、もちろん舞台上はおもしろかったんですけど、それ以上に笑ってるお客さんに目が行って「すげぇ!」って思いました。たくさんの人が笑ってるところに感動して、その日のうちに親に「将来は吉本に入りたい」って言ってましたね。
──子供のころから人を笑わせるのが好きでしたか?
イワクラ 物心ついたときから、人を笑わせたいっていうのは強かったです。子供の自分がこういうこと言ったら親は笑うだろうなとか考えて、よくボケてました。
──小学生のころの初恋の人も、お笑い好きだったそうですね。
イワクラ まわりにお笑い好きがいなかったので、その子とずっとお笑いの話してて。「あのテレビ観た?」とか「アイツおもしろくないよね」って感じで、好みも似てたんですよね。
中野周平、ヤンキー女子に画力で負けた日
中野周平
──中野さんは、絵を描いたりアニメが好きだったり、あと子供のころからネットにハマっていたりと多趣味ですが、なぜお笑い芸人を目指したのでしょうか?
中野 小学生のころは、漫画家になりたいなと、ぼんやり思ってたんですよ。ただ小学5年生んのときに絵で軽く挫折しちゃって。
節分のとき、授業で鬼の絵を描いたんですよ。僕的には、かわいい鬼の絵を描いて会心の出来だったんですけど、転校生のヤンキー女子が、めっちゃリアルな鬼の絵を描きやがった(笑)。不登校気味な子だったんですけど、その絵でみんなからも「すげぇ!」って一目置かれるようになってましたね。
──先日バズった藤本タツキ『ルックバック』を地でいく話ですね。
中野 ほんとですよ、読んで当時のことめちゃくちゃ思い出しました。そこで生まれて初めて挫折を味わって、漫画家になりたいとは思わなくなったのかな。
そのあとも別に将来の夢もやりたいこともなかったんですけど、中3で進路を考えるタイミングで偶然テレビで『リンカーン』(TBS)の大喜利バトルを観たとき、「こういう職業もあるのかぁ」と思って。それで衝動的に「芸人になるわぁ」って親に言いました。
別にそれまでもゴリゴリのお笑い好きでもなく、みんなと同じように『(ダウンタウンの)ごっつええ感じ』(フジテレビ)や『笑う犬』シリーズ(フジテレビ)、『笑金(笑いの金メダル)』(テレビ朝日)を観る程度だったんですけどね。一番最初に好きになったのも「仮面ノリダー」ですし。
──進路選択のタイミングで初めてお笑い芸人になろうって珍しい気がします。
中野 進路はけっこう悩んだんですよ。家も裕福じゃないから、やりたいこともないのに高校行かせてもらうのも悪いなと思ったり。かといって、中卒だとあとあと困るかなとか。
でも「芸人になる!」って宣言したあとは、その日のうちにインターネットでお笑いのこと調べてました。その筋の掲示板を見ると、中卒でなるのは無理そうと思って、とりあえず高校には行きましたね。
「今回ダメでも、また次出ればいい」(中野)
──前編ではNSC時代の初舞台について聞きましたが、卒業後、印象に残ってる舞台はありますか? 卒業からしばらくは漫才一本だったそうですが。
中野 そうですね、ずっと漫才でした。印象に残ってるのは……2012年の『NSC道場』かな? これが卒業後3年目までの元NSC生が出られるライブなんですけど。トップ20組に選ばれると、次回も出演できるシステムで。
イワクラ いいネタができて自信満々で行ったのに、最初の『キングオブコント』のときと同じで私がまたネタ飛ばしちゃって。ネタ終わりにめっちゃ泣きました。
──漫才時代は悔しい思い出のほうが多いですか?
イワクラ そうかもしれない。劇場メンバーになるまでも時間かかったんですよ。まわりはおもしろいって言ってくれるけど、結果が出ないから自信なくして。「あれ、劇場入れない? 私たち無理なん?」って落ち込んでました。私たち劇場メンバーになるまで何年かかったかな?
中野 うーん、はっきり覚えてないなぁ。
イワクラ ある日突然「今日の合格者は蛙亭です」って発表されて。「イェーイ!」っていうより「おぉ……」って感じで。
──喜びよりも、戸惑いが勝った。
イワクラ そうですね。漫才の何を変えたらいいかもわからず、迷いながらただ続けてただけなんで、「なんで急にいけるねん!」って。
──イワクラさんが手応えのない日々を過ごしてる間、中野さんはどんな心境でしたか?
中野 ダメでもまた次出ればいいって感じで、今思うと気楽なもんですよね。ほかにもライブはあるし、と。
イワクラの悔し泣きとかもNSCのころから見てたんで特別焦らなかったですし、ネタ飛ばしたときも「何してくれてんだ!」とかも思わなくて、ただ淡々とやってました。お笑いとの向き合い方があんまりわかってないところもあったんでしょうけど。
イワクラ 当時から中野さんは無敵やったんやな。
中野 僕は目の前のことしか見えないタイプなんですよ。特に若手のころって、ようやく劇場メンバーになっても、3軍、2軍、1軍、と常に目先のワンランク上の目標があるので、とにかく一回一回やるだけでした。
漫才よりコントのほうがええやん!
──漫才で苦戦していた蛙亭が、コントに軸を移したのはいつですか?
イワクラ 一発目の単独だったので、いつかな?
中野 2015年6月28日が初単独……。
イワクラ ZAZA(道頓堀ZAZA POCKET'S)を初単独って言ってる? どういうこと?
中野 うん。
イワクラ 初単独はその前だよ、2014年。
中野 だから2年目ですよね。
イワクラ 「だから」ってなんやねん! そこ、ごまかさんでよ。ちゃんと覚えてないんですけど、劇場上位の人だけやらせてもらえる30分の単独があって、そこでコントを2本やってみたんです。そのネタを、よしもと漫才劇場(2014年12月開館)で久しぶりにやったら上位になれたので、そこから本格的にコントを始めました。
中野 (スマホを取り出してメモを見ながら)それが2014年の『蛙亭の30分』か(2014年9月10日、同年11月に閉館する5upよしもとで開催)。3年目のとき劇場メンバーになって……。
イワクラ ちょっと! メモあるんだったら最初っから見ながらしゃべってよ。
中野 ごめんごめん。でも、そこまで詳しくは書いてなくて……。またコントやるようになったのはキングオブコントのほうが先かな。
イワクラ 違う違う。初単独でコント作って、そのあと劇場でコントやってるから。……いまいち時系列がわからんな。たぶん、2014年の単独ライブ『蛙亭の30分』で作ったコントを、1〜2年後のバトルイベントで、やってみたら上位になったんですよ。
漫才では結果が出せてなかったのに、コントやったとたん結果出た!と思って、次のバトルイベントでも、単独のときに作ったもうひとつのコントやったらまた評判がよくて。コントのほうがええやん!ってことで切り替えました。
中野 すみませんね、あんまり覚えてなくて。
日常のムカつくヤツらは、コントの中でこらしめる
──結果が出たから切り替えたとのことですが、手応えもあったんですか?
イワクラ 手応えは覚えてないですけど、コントは作るのがとにかく楽しくて。漫才はふたりで作ってたんですけど、コントは私が丸々作って、自由に好きなようにできたんですよ。ボケとかツッコミをいちいち考えなくてもいいのも私に合ってて、めっちゃ楽しかったです。しかも結果も出たし、じゃあ基本コントでやっていこうと。
あと、ちょうどその時期にNSCの入学願書を振り返るイベントがあったんですけど、私「コント作りたいです」って書いてて。そのこと忘れてたなぁと思って。
──初心に帰ったんですね。イワクラさんのコントの作り方について、もう少し聞きたいです。
イワクラ 生活しててムカつくことから出発してますね。道でぶつかっても謝らないヤツを、どうやっつけるか、みたいな。タバコのポイ捨てするヤツがマジでムカつくから、こらしめてやろうとか。
──YouTubeにたくさんネタ動画を上げていますけど、昔に作ったネタも多いんでしょうか?
イワクラ そうですね、溜まったものを全部改めて撮り直して。
中野 『俺をなめるな』とか、『摘む人』とかもだいぶ昔よな。
──『ゴッドタン』(テレビ東京)の初出演時に披露した『宅配ピザ』のネタはいつごろですか?
中野 『ピザ』は新しめですね。3〜4年前かな。
──こらしめネタだけでなく、中野さんの演じるキャラクターが際立ったコントもたくさんありますね。
イワクラ そうですね。昔はムカつくことや、妄想に何か足して作るのが基本で、「中野さんがこういう動きしたらおもしろそう」とかもあったりして。あと、衣装発信のコント作るようになってから、中野さん主人公のコントが増えました。
──衣装発信?
イワクラ 先輩とのイベントで、中野さんが着てたTシャツがおもろすぎて、その場全員が爆笑したんですよ。「この人、Tシャツ着ただけでめっちゃおもろいんやけど、信じられん……」ってなって、見た目からネタ作ってみたんです。
中野 それまではキャラだけでネタ作るってやったことなかったんですよね。
──たしかに『絵描きのしゅうちゃん』や『フリーハグ』は強烈ですね。
イワクラ ああいうのはけっこう最近ですね。おもろいTシャツ着てる中野さんと私がぶつかったときに「なんでもいいからひと言お願い」って頼むと、中野さんがアドリブでやってくれるようになって。
──『爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!』(テレビ朝日)で中野さんがコントをアドリブで演じるというのが話題になりましたけど、それも比較的最近からなんですね。
イワクラ そうですね。
中野 いや、たしかにキャラでアドリブするアプローチは最近ですけど、ずっと昔からネタを渡されるのはライブの前日とか当日だったんで、アドリブ歴はだいぶ長いです(笑)。
冠番組よりも、とにかくコントがしたい
──最後に蛙亭の目標を聞きたいです。
イワクラ 全国ツアーはいつかやりたいですね。地元の宮崎でコントしたいですね、初恋の人にも観てほしいです。
──キングオブコントに向けて、秘策を考えたりしますか?
イワクラ いや、今までどおりですね。ネタをもっと強くしなきゃとは思います。今はけっこう「楽しい」だけでやってるんで、もうちょっとボケの数増やそうとかそういうテクニック的なところもがんばりたいです。
4月に(岩崎)う大さんが監督するコントライブ(※)に出してもらったんですよ。う大さんの提案する一言ひと言が全部おもしろくて、めちゃくちゃ勉強になりましたね。あれは大きかったです。
※『ねえ、なんでコントなの?』のこと。サスペンダーズやフランスピアノと共にユニットコントを行った
──中野さんの目標も伺えますか?
中野 僕は目の前のことしかできませんから、とりあえずキングオブコントですね。優勝すれば、自ずとツアーもできるでしょうし。蛙亭は賞レースはもちろん劇場イベントでも1位獲ったことないんで「キングオブコントのために取っておいたんだ!」って感じで優勝したいです。
──おふたりで冠番組をやりたいとかは……。
イワクラ まったく思わないですね。
中野 僕もそうですね。仮にレギュラー番組やるとしても、コント番組とかがいいですね。
──コントをやりたいという気持ちがすごく強い。
イワクラ はい。
中野 東京来てから、舞台やテレビでユニットコントもやらせてもらう機会も増えたので、そんなんもやってみたいですね。
イワクラ バラエティ番組はたしかにいろいろ刺激もらって勉強になること多いので、今後も出させてもらいたいです。でもやっぱり、いつかコント番組やりたいですね。ニッポンの社長さんとかロングコートダディさんと、テレビでなんか一緒にやれたら楽しいだろうなとか思いますね。
蛙亭
2012年結成。中野周平(なかの・しゅうへい、1990年11月20日、岡山県出身)とイワクラ(1990年4月10日、宮崎県出身)のコンビ。大阪で活動していたが、2020年4月に上京し、ブレイクを果たす。YouTubeチャンネル『蛙亭のケロケロッケンロール』では撮り下ろしのネタ動画を公開中。『蛙亭のオールナイトニッポンi』(ポッドキャスト、毎週火曜18時ごろ配信)や『芸人Boom!Boom! 蛙亭の語リング☆』(stand.fm、毎週金曜日配信)など、次世代のラジオ芸人としての一面も。
文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽
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