「ひとりのほうがウケたんです」史上最年少R-1チャンピオン・友田オレが覚醒した初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#45

『R-1グランプリ2025』は、芸歴3年目、当時わずか23歳の友田オレが史上最年少で優勝を果たしたことで記憶に新しい。
フリップと歌を組み合わせたピン芸は、その類まれな大喜利力とたしかな歌唱力によって、新世代を知らしめた。
そのキャリアは大学お笑いからスタートしているが、それでもまだわずか6年前のことだ。地元福岡からコロナ禍に上京し、お笑いサークルに入ったという友田オレに、芸人としての数々の初舞台について聞いた。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
部活をサボって漫才

──友田さんは2025年に『R-1』で優勝していますが、まだ芸歴は浅いですよね。
友田 4年目ですね。大学のお笑いサークルから始めて今の事務所に入りました。プロになったのは2022年です。
──2001年生まれなので、この連載で初めての「21世紀生まれ」です。そもそもお笑いはいつから好きだったんですか。
友田 小学生のころからですね。テレビで『(爆笑)レッドカーペット』や『(爆笑)レッドシアター』『ザ・イロモネア』を観てました。目立ちたがり屋だったんで、お楽しみ会でネタのマネとかしてましたね。天津・木村さんの「吟じます」のフォーマットで、中身だけみんなで考えた「あるある」を披露して。

──当時からピンネタに関心があった?
友田 いや、それはたまたまです。高校2年のときの文化祭でも漫才をしましたし、お笑いサークルに入ったときも最初は漫才でした。
──高校の文化祭ではどんな漫才をしたんですか。
友田 霜降り明星さんのフォーマットをパクったネタです。一応中身は変えましたけど。ちょうど霜降り明星さんが『M-1(グランプリ)』で優勝した時期だったんで。僕は本当はボケをやりたかったんですけど、ツッコミをやってました。
サッカー部だったんですけど、毎年、文化祭と大事な試合が絶対に被るんですよ。でも僕はベンチだったし文化祭で漫才をやりたかったんで、試合を休みました。
──あとで先輩や顧問に怒られたんじゃないですか?
友田 いや、進学校だったんで、勉強を理由にすると休めたんです。だから「最近成績が悪いので勉強します」と伝えて一時的に休部して。一応勉強もがんばって成績も上げたんですけど、本当は漫才がやりたくて休んだ。

──初めて人前でお笑いをやったときのことは覚えていますか。
友田 教室を借りてやっただけなんですけど、笑ってはもらえたんですよね。それが気持ちよかった。緊張もしましたけど、人前に出て何かやるのは好きなタイプなんで、またやりたいなぁって。だから大学の志望校を選ぶときも、お笑いサークルがあるところを重視していました。それでもともと早稲田大学にも興味があったんで、「LUDO」っていう有名なお笑いサークルがある早稲田を選びました。
コロナ禍の上京、LUDOでの初舞台

──大学入学は2020年ですね。ちょうどコロナ禍が始まったころです。
友田 本当に最悪でしたね。春はコロナ禍に入ったばかりで、上京も夏休みごろでした。それまでは実家でリモート授業を受けてて。ひとり暮らしを始めても、授業はほとんどリモートなので友達もできないし、サークルの活動もほぼなかった。当時はあまり自覚してなかったんですけど、今思うとふさぎ込んでた気がします。しょっちゅう体調を崩してましたから。
──サークル活動は?
友田 リモートで開催された「相方探しの会」に出て、同じ期の3年生の人と組みました。結局、彼が先に卒業するタイミングでピンになったんですよね。

──LUDOでの初舞台は?
友田 初めて外のお客さんの前でやったのは、大学1年の文化祭です。マスクの上からさらにフェイスシールドもつけてやりました。表情を見せられないから、しゃべくり漫才しかウケないと思ってやりましたけど、めちゃくちゃスベりましたね。
そもそも相方と組んだとき、僕は「ボケをやりたい」と伝えたら、彼が「ツッコミできるよ」と言ってたから組んだのに、フタを開けてみたら全然できなくて(苦笑)。なので仕方なく僕がツッコミをやってたのもあって、「なんか違うなぁ」ってずっと思っていました。
──そのコンビを解散して、改めて相方を探すんじゃなくてピンになったのはなぜ?
友田 別にずっとピンでいこうと思ったわけじゃなくて、まずはひとりでやってみようって感じでした。初めてひとりでやったのは、大学2年の夏に出た外のアマチュアライブだったと思います。
──芸名はその時点であったんですか。
友田 そうですね。スマホでエントリーしたんですけど、大学の講義中で、そのときの教授の名前が「友田先生」だったので、そこから適当につけました。本当にただの思いつきだったんですけど、椿鬼奴さんに「わたしはこの芸名で本当によかったよ。本名だったら病院とかでしんどいから」って言われたので後悔はないですね。

──初舞台から歌ネタでしたか?
友田 最初だけ歌ネタじゃなかったんですよ。悪魔を演じるひとりコントで、人間の寿命を伸ばす代わりに交換条件を言うみたいな設定だったかな。そこのボケの内容は漫才をやってるころと同じ発想だったんですけど、ひとりでやったときのほうがウケたんですよね。
歌ネタをやるようになったのは、サークルでほかにやってる人がいなかったからで。自分だけ歌ネタやれば目立てるかもな、っていう下心で選びました。
──そこは小学生のときに天津・木村さんのネタを借りたところから変わってないんですね。替え歌も既存のフォーマットを使って、中身を変える手法ですし。
友田 そうですね。霜降りさんのネタを使ったときも結局ガワだけ借りてたので。「何をおもしろがるか」っていう自分の感覚はずっと変わってないかもしれないです。でも、それが漫才のころはウケなかったのに、ピンになって見せ方が変わったらウケるようになったんで、それは不思議でしたね。
バズった「左利き」は、すぐできた

──2022年3月、YouTubeにアップしたネタ『私の彼は左きき』がSNSでバズりました。
友田 びっくりしましたね。たぶん、3〜4個目に作ったネタだったんですよ。なんの戦略もなくただ上げただけだったんで、自分でもびっくりしましたね。
──まだ何者でもない段階で、いきなりネタ動画をYouTubeに上げるのは、ためらわれませんでしたか?
友田 今でこそ大学生も普通にネタ動画をアップしてますけど、たしかに僕のときは、大学お笑いの世界で結果も出してないアマチュア芸人が動画を上げるってことは、あんまりなかったです。自分でもいきなりネタ動画を上げるみたいなシャバいことはしたくない気持ちもあったんですけど、なぜか「スベってもいいから動画は上げよう」っていう信念がありましたね。むしろ、大学お笑いの世界で認められてないから、もっと広い世界に出したかったのかもしれないですね。

──どのくらいの速さでバズったんですか。
友田 アップしてから1カ月くらいですかね。『水曜日のダウンタウン』の藤井健太郎さんにもシェアされてビビりましたね。
でも最初の火種を作ってくれたのは「俺スナ」さんっていう方で。もともとお笑いマニアの方で、今は大喜利ライブで活躍されているんですけど。僕が出てた小さいライブで見てくれて、動画を上げたタイミングでも拡散してくれたんですよね。だから俺スナさんにも感謝です。
──『私の彼は左きき』で、朝の情報番組『スッキリ』にも出たんですよね。
友田 あそこから自分の想像もつかない展開になっていきました。当時はまだ事務所にも入ってなくて心細いから、サークルで裏方をやっていた子についてきてもらいました。でも生放送のスタジオに行くわけじゃなくて、ただカメラの前でネタを収録するだけだったんで問題なかったですけど。
事務所の決め手は「ここなら目立てる」

──いきなりテレビに出て、サークル内での反応はどうでしたか?
友田 みんなちゃんと見てくれましたね。お笑いサークルってカウンター精神を持った人が多いから、テレビに出たりするといろいろ言われたりするのかなと危惧もしてたんです。でも不思議とみんなちゃんとネタを見て評価してくれました。それは、漫才やコントとは別物として見られるからなのかもしれないですね。
──すでにYouTubeにもネタ動画をたくさん上げてますけど、捨てるネタもあったんですか。
友田 もちろんあります。替え歌しかやってなかったころは、ネタが尽きてきて、チューリップの「虹とスニーカーの頃」っていう曲でやったんですけど、ライブに来てくれるお客さんが誰も元の曲を知らなくて、シーンとしちゃったんで、もうやってないです(笑)。

──あっという間にバズってテレビでも取り上げられ、このころにはプロの芸人になることも視野に入っていましたか。
友田 芸人になりたいとは思ってましたけど、一応就活もしてましたね。まわりがやってるし親にも言われるので。今の事務所(「GATE」ハリセンボンやベッキー、宍戸開などが所属する)からも声をかけてもらったんで、まぁやってみるかと。
──なぜ芸人がほとんどいないGATEに所属したんですか。
友田 2カ月くらい悩んだんです。お笑いの事務所じゃないっていうところで世間からの目も気になりましたし。サークルの先輩とかOBの方にも相談はしました。
でも、お笑いの養成所に行くのは嫌だったんですよね。あと、大手に行くとピン芸人は埋もれがちかもなっていうのもあって、GATEなら目立てるかもなと。でも、そんなに深く考えたわけではないです。わりと行き当たりばったりなんですよね。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

友田オレ(ともだ・おれ)
2001年7月20日、福岡県出身。早稲田大学「お笑い工房LUDO」22期出身。大学在学中からピン芸人として活動し、2022年に芸能事務所「GATE」に所属する。2023年『第44回ABCお笑いグランプリ』決勝進出、2025年『R-1グランプリ』優勝。YouTubeチャンネル『友田オレ』では、不定期でネタ動画をアップしている。2026年5月には、歌ネタの音源も制作している幼なじみの清水遊(brooks)と制作した1stフルアルバム『陽動』をリリースした。
【前編アザーカット】






【インタビュー後編】
「結婚したいんですよ」地に足が着いているのに悩みも多い、R-1チャンピオン・友田オレの今|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#45