R-1決勝敗退で涙し、M-1決勝敗退で大喜び…? 賞レースを駆け抜けた、おいでやす小田のこれから|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#43

今では切れ味鋭い大声量のツッコミで知られる、おいでやす小田。しかし彼が芸人になったのは、意外にもダウンタウンへの憧れからだったという。
コンビ活動はうまくいかず、芸人として実力をつけるためにピンに転向。それから苦しい日々が待っていた。
その後、ピン芸人として力を蓄えた彼は、即席ユニットで臨んだ2020年の『M-1グランプリ』で、準優勝を飾る。
おいでやす小田に、逆転までの孤軍奮闘を振り返ってもらった。
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相方にナメられてた

──小田さんはピン芸人ですが、もとはダウンタウンに憧れて、コンビでの活動を模索していたんですよね。
小田 そうですね。最初は2001年にモンスターエンジンの西森(洋一)と組んで、次は今、(吉本)新喜劇に所属している(奥重)敦史と「土瓶」というコンビを組みましたね。それが4年半で一番長い。その後もいろいろ組んでましたけど、2008年にピンになりました。
──土瓶は4年半も続いたのに、なぜ解散したんですか。
小田 続いたのは、僕の思いどおりにできたからですね。敦史がホンマにいいヤツなんで。ただ、当時は吉本の劇場には全然立てなくて、地下ライブばっかり。地下ライブってダラダラできて楽しいんですよ。
でも4年も経つと、このままではアカンなと思ってきた。当時一緒に出てたのが先輩のスーパーマラドーナさん、とろサーモンさん、元相方の西森が組んでたモンスターエンジンあたり。まずはそこに勝たなアカン。それで「覚悟を決めよう」って敦史と話し合いをしたんです。「俺は同世代一のツッコミになる覚悟がある。せやから敦史もボケとして勝つ自信ないんやったら辞めよう」って。

──アツいですね。
小田 ほな、1週間後に電話かかってきて「解散しよ」って言われましたけど(笑)。ビックリしましたよ。僕は「もっとがんばろう」ってハッパをかけたつもりやったんで。「続ける/解散」の2択だとは思ってなかった(笑)。まあそれで結局解散しました。
──それからピン芸人ですか。
小田 いや、地下芸人まわりでも2〜3回組みました。でもネタ合わせはすっぽかされるわ、ネタ書いてくるって言って書いてこないわ。西森とか敦史とは違って、組んだ相方にナメられてた。
──それは腹が立ちますね。
小田 いや、でも僕はそんとき気づいたんですよ。これ、僕のせいやなって。
──なぜ?
小田 僕がナメられてるから遅刻されるし、ネタも書いてもらえないんです。だったら自分がおもしろくなって世に出るしかない。この状況をひっくり返すしか、ナメられんようになる方法がない。それでピンになりました。ピン芸人を辞めるときは、お笑いを辞めるときだと覚悟してました。
6年連続、セミファイナル敗退のつらさ

──ピン芸人としての目標は『R-1ぐらんぷり』ですか。
小田 もちろんそうです。今思うと、ピンになるまではカスでした。コンビ時代はインディーズで、メンバーもお客さんもみんな知ってる人で楽しいだけ。お金はないですけど別にバイトすればそれなりに稼げるし。もうサークル感覚です。ぬるま湯に浸かってたなってそこで気づけたのはよかったですね。
──しかし2009年から2015年まで、6年間ファイナリストになれなかった。
小田 ああ、そうでしたね。あの時期は地獄でした。人生で一番つらかったんじゃないですかね。正直、あのときのことはあんま覚えてないです。関西のテレビ番組で1年間レギュラーをやらせてもらったり、劇場ではピン芸人ではかなり優秀なほうやったけど、もう全部忘れた。つらいのが、2010年から6年連続で準決勝敗退だったことで。
──あと一歩のところで逃し続けた。
小田 人によって違うでしょうけど、僕はあと一歩で負ける、しかもそれが続くことが最大に苦しいと思いましたね。一番しんどかった。

──でもレギュラー番組があったり、ピン芸人で劇場レギュラーになったり、まわりの芸人からナメられないくらいの評価は得たんですよね。
小田 それはうれしかったでしょうけど、R-1の悔しさが100倍ぐらい上回ってましたね。当時は劇場のお客さんだけ笑かしても、外には通用しないって勝手に思っちゃってましたから。今思うと、どっちが上とか下でもないと思うんすよ。種類が違うだけで。そのときは劇場で僕よりも下のランクの子がR-1の決勝にボンボン行き出して、R-1で勝てないことがコンプレックスになって。もう全否定されたような気分でした。
──その悔しい時期を耐えて、なぜ2016年はついに決勝に行けたんだと思いますか。
小田 それはもう2015年のR-1で負けたとき、次も決勝に行けなかったら芸人を辞めると決めたからです。辞めないために決勝に行く。1年間、そのための準備だけやってた。
──どんな準備ですか。
小田 とにかくネタを舞台にかける。だからまず舞台数を増やすために協力してくれる人を探してました。辞めるって決めたら、なりふり構ってられない。それで劇場のスタッフさんや作家さんにもいろいろお願いするようになりました。人生で一番人に迷惑かけた1年だったと思います。感謝しかないですね。
痺れた初舞台と、人生で一番ウケた日

──苦労してようやくたどり着いた2016年のR-1決勝、その初舞台はどうでしたか。
小田 とんでもない緊張でしたね。呼吸もうまくできないですし、足が痺れて立ち上がるのもやっと。酸欠やったんですかね? イスを置いて座ったり立ったりするネタやったんですけど、後半はもう気力だけ。脳から足に伝達が行かない。ずっと震えてました。
──今回の取材にあたって当時の映像を見直しましたが、気づきませんでした。
小田 そこはまぁ努力というか研磨して、オートでできるぐらい練習しましたから。そうじゃなかったらリズムが狂ってたんじゃないですか。
──ブロック予選で破れましたが、初決勝で優勝を狙ってましたか。
小田 はい。もちろん。

──それで負けてしまった。それは絶望ですか? それともとりあえず芸人を辞めずに済んだ安堵が勝る?
小田 うーんとね、めちゃくちゃうれしかったですよ。念願のR-1に出られて最高の日でした。たしかに優勝するつもりでしたけど、自分の直前に出た(ハリウッド)ザコシショウがむちゃくちゃやってスタジオを焼け野原にして、別の大会みたいになってましたから。そのままザコシショウは優勝まで行ったわけで、僕は圧倒的に負けてるんでしょうがない。晴れ晴れとした気持ちでしたね。ザコシショウのあとでも、まったく乱れんとネタもできた。万々歳やろ、と。
ほんで、次の日の新幹線でもずっと機嫌よかったんですけど、最後、京都ぐらいに来たとき初めて「あれ? ホンマはもうちょっとなんかできたんちゃうかな」と思ったんですよね。ネタに入る前、直前のザコシショウのネタに触れてもよかったかもしれん。ネタ中には思いもよらん対策があったんじゃないか。何を俺は大満足して帰ってるんやって最後の最後で思った。そっからめちゃくちゃ悔しくなって、新幹線でボロボロ大泣きしました。
──その雪辱戦となった2017年は、また準決勝で破れます。準決勝で負けるのが一番つらいと言っていた小田さんが、よく立て直して敗者復活で勝ち上がりましたね。

小田 いや、このときは敗者復活に自信あったんですよ。準決勝のネタの仕上がりがまだ85%くらいの感じやって、突破できなかった。まわりからは「あれで落ちたん? 文句言ったほうがええで」って言ってもらえるくらいの出来ではありましたけど、自分としては落ちる要素を15%残してたんで、しょうがないと思えた。それに敗者復活の日まで2週間あったんで、そこで100に持っていく自信がありました。
実際、あのときの敗者復活戦は、人生最高の舞台やったかもしれないです。完璧でしたね。もうすべて思いどおり行きました。
──決勝と同じネタですか?
小田 まったく同じです。でも出来が全然ちゃうんです。僕のネタってピン芸人には珍しいツッコミ芸のコントなので、演技で見せたり、間を溜めてひとこと言うとかもなくて、とにかくお客さんとのリズムが大事。波の満ち引きがあるなかで、呼吸を合わせんとズレるんです。ひとりコントではあるけど、ちょっと漫談に近い。決勝ではそこがうまくハマらなかった。
でも敗者復活戦は、すべて完璧でした。それまでの2週間、100まで持ってくために舞台をたくさん踏んで、ホンマにギリギリ最後の最後、あの舞台で完成したんですよ。あれは最高でしたね。
M-1決勝は「漫才」を背負わされる恐怖

──ピンで活動してきた小田さんのブレイクのきっかけが2020年の『M-1グランプリ』です。同じくピン芸人のこがけんさんと組んだ「おいでやすこが」で決勝進出。即席ユニットのファイナリストは初の快挙でした。R-1同様、初めてのM-1決勝は緊張したんじゃないですか。
小田 いや、M-1は緊張ゼロです。もうゼロもゼロ。本業じゃないですから。ラッキー以外の何物でもなかった。
──憧れていた松本(人志)さんの前で漫才をするのに……?
小田 いや、別に漫才は本業じゃないんで、もし評価低くされても関係ないです。別に漫才やし、普段やってへんし、と思ってました。だからあんな点数が出るなんて想像もしてなかった。

──「これで人生変わるぞ」って気合いが入るとかでもなく。
小田 まったく。「トップバッター引いてくれ!」ってふたりで言ってましたから。僕らが前説代わりに大会を盛り上げて、あとは本業のみなさんどうぞってしたかった。僕らは色物なんで、当然の心境なんですよ。あと逆にR-1に普段はコンビだけどピンで来る芸人も「僕らは盛り上げるだけです」と言うんで、それのM-1版です。ほかの漫才師と闘ってる気持ちも全然ない。
──さすがに高得点を叩き出して、2本目ができるとなったときは「優勝するかも」って期待も生まれたんじゃないですか。
小田 いや、逆に「優勝せんといてくれ!」と思ってましたね。漫才を一生やってくつもりはないから、漫才の十字架を背負わされたら……と思ってゾッとしてました。勝手に次の「漫才の顔」にされそうっていう怖さ。やめてくれって感じでしたね。
だから僕「優勝、マヂカルラブリー!」って発表された瞬間、飛び跳ねて喜んでたんですよ。賞レース史上初めてじゃないですか。ギリギリで負けて「やったー! よかったー!」って(笑)。

──あのM-1から5年が経ち、仕事も安定的に活躍していますね。これからやってみたいことはなんですか。
小田 なんでもやりたいですけど、まずナレーションです。
──ナレーション、ないんですか?
小田 いや、ないでしょ。僕の声をナレーションで聞いたこと。
──たしかに具体的には思い出せないですが……。
小田 ほら、ないやん(笑)。ずっとナレーションの仕事したいって言ってるのに来ないんですよ。やりたいのは、ロートーンのナレーション。
──いわゆる「おいでやす小田」っぽい大音量の絶叫ではなく。
小田 僕ってわからないくらいのロートーンでしっとりしたナレーションがしたいです。昔からお笑い芸人に憧れると同時に、そういうナレーションをかっこいいなと思ってて。NBAが大好きやって、その年のチャンピオンチームのドキュメンタリーとか観てたんですけど、それの日本語訳をしてるナレーションの方に憧れまくって家でマネしまくってたんです。試合の解説とかじゃなくて、ドキュメンタリーのナレーション。むちゃくちゃやりたいです。ずっと言うてるのに全然来ない!

──この記事でも引き続き伝えていきます。
小田 ぜひお願いします。お笑いの仕事でいうと、やっぱりダウンタウンさんと3人だけで仕事がしてみたいですね。まぁ叶わない夢とは思いますけど、それが叶えばお笑い始めた意味があったのかなって。お笑いにおいて、これ以上うれしいことはないなと思います。
──最近は役者としての仕事もされていますよね。
小田 ドラマの現場は楽しいんで、毎クールやりたいくらいです。仕事してる感というか、達成感があるんですよ。迷惑かけられないから自由にはできない。言われたとおり、台本どおりにしゃべる。「仕事したなぁ!」と思いますね。
──お笑いの現場とは違う?
小田 まったく違いますね。特にバラエティ番組は好きにやってるんで、半分仕事と思ってないですから。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

おいでやす小田
1978年7月25日、京都府出身。2000年、NSC大阪校に23期生として入学。2008年からピン芸人として現名義で活動。『R-1ぐらんぷり』は2016年の初決勝進出から5年連続でファイナリストとなる。2020年、同じくピン芸人のこがけんとともに組んだ「おいでやすこが」でユニットコンビとして初めて『M-1グランプリ』ファイナリストとなり、準優勝。YouTubeチャンネル『おいでやす小田 どストレートチャンネル』の企画「『芸人の幸せ』ってなんですか?」は、『幸せってなんですか? おいでやす小田と14人の芸人が本気で考えてみた』として書籍化もされた。同チャンネルは最近、2023年に始めた趣味のゴルフ動画中心になっている。
【後編アザーカット】



