「すべてが初めてすぎて、緊張とかいう次元じゃなかった」おいでやす小田の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#43

「おい!」「コラー!」「なんでやー!」そのツッコミはシンプルで速い。そしてなによりパワフル。彼の叫びを聞いた者は、発作的に笑ってしまう。
「今、全ボケが抱かれたがってる芸人」とまで評された男。それが、おいでやす小田だ。
今は体が張り裂けんばかりに叫ぶ小田だが、かつては引っ込み思案だったという。なぜ彼が芸人になり、今の芸風を獲得していったのか。その謎に迫るべく、おいでやす小田誕生の前日譚を聞いた。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
ダウンタウンに憧れて

──京都府出身の小田さんは、当時どれくらいお笑いになじみがあったんでしょうか。
小田 まわりはいろいろ見てたんでしょうけど、僕がお笑いを見出したのは、中学ぐらいですかね。完全にダウンタウンさんからです。僕は100%、ダウンタウンさん。当時はそれ以外まったく興味がなかったですね。見たこともないです。
──ダウンタウンにハマったきっかけは?
小田 最初は4つ上の姉貴の影響で『4時ですよーだ』は観てましたね。月曜から金曜まで夕方にやってたんで。でも内容は正直覚えてないです。自分で観るようになったのは『生生生生ダウンタウン』とか『(摩訶不思議)ダウンタウンの…!?』です。今のダウンタウンさんの歴史の中ではメインの仕事って感じではないですけど、僕はそのときの“ダウンタウンファミリー”を見て「お笑いやりたい」と思ってました。
──ふたりのうち憧れてたのは……。

小田 最初はもちろん松本(人志)さんでしたね。僕だけじゃなくて当時はみんな、お笑い始めるときは松本さんになれると思ってたんで。浜田(雅功)さんのすごさに気づくのは『ガキ使』(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!)のフリートークから。浜田さんのツッコミはホンマにイカつかったんで、芸人になってからはマネしてました。でも当時は松本さんですね。
『一人ごっつ』も、関西では放送されてなかったんですけど、四国の大学に行った幼なじみが録画してくれたビデオテープを夏休みとか春休みに受け取って観てたし。『松ごっつ』でやってた「面雀」(おもじゃん)っていうのも仲間内でやってました。手持ちの牌と場に出た牌、それぞれに書かれた言葉を合わせて、おもろい言葉を作るゲームなんですけど。自分たちで面牌(おもはい)を作ってました。
──学校ではお調子者のタイプですか。
小田 いや、めっちゃ引っ込み思案で目立つのは大嫌いでした。人前でなんかすることはない。本来、絶対に人前に立ちたくない人間なんですよ。けど友達同士ならできるっていうだけで。でもずっと芸人にはなりたいと思って、友達にも言ってましたね。
──「引っ込み思案のお前がなれるわけない」と言われませんか?
小田 いや、友達は「ええやん」って感じですよ。「いけるんちゃう?」って。仲間内ではみんなおもろくて笑ってましたから。
初舞台の「ぞわっ」

──人前で何かをやるのは芸人になってから?
小田 基本的にはそうですけど、初めては大学2年のときの部活動紹介ですね。バスケットボール部やったんですけど、ミヤシタっていう唯一の友達と出たんですよ。バスケ部がふたりしかいなかったんで、僕らが出るしかない。ミヤシタにはのちにNSCに誘ったときは断られましたけどね。大学辞めるつもりはないし、そもそも芸人になるつもりもないってハッキリと。
──部活紹介ではどんなネタをやったんですか。
小田 覚えてないなぁ〜。お笑いっぽいことを提案したのはたぶん僕やったけど……まぁミヤシタになんかやってもらって「ちゃうやんけー!」みたいな。それでウケたことは覚えてますね。
──ウケるのはすごいですね。当時から今の声量だった?
小田 いや、それはないです。関西のツッコミに憧れて「何々やんけ!」「何々やないか!」ってスパンと言いきってはいた気がしますけど、まぁそれも普通のツッコミやと思いますし。

──ネタの内容は覚えてなくても、ウケた感覚は忘れられない。
小田 うん。ぞわっとしましたね。もうそのときはお笑いやることは決めてましたけど、お笑いを体感で知ったのはそのときかもしんないです。でもまぁ、もしあのとき撮った映像があるとして今見たら、そんなウケてないなってなるんちゃうかな。人に笑ってもらった経験がないから、ちょっとでも笑いがあったらウケたと思うだけで。いろんなとこで営業するようになってわかりましたけど、人ってそんな笑うもんじゃないでしょ。
──大学を中退して、NSCに入ったそうですね。
小田 もともと高校卒業するときにお笑い芸人になりたかったけど、母親から「大学だけは出といたら」と言われて。僕も未熟やったから、そのまま飛び込むのも怖いんで大学行きましたね。でもやりたい勉強でもなくて、2年半くらいでプツッと意志が切れた。それで3年生で辞めて、22歳になる年にNSCに入りました。
baseよしもとは怖すぎた

──NSCの入学は2000年ですね。
小田 はい、大阪の23期生です。モンスターエンジン西森(洋一)、ムーディ勝山とかですね。養成所でいうと友近さんも同期ですけど、先輩だと思ってます。当時も会ったこともないし、実際に会ったのも今から7年くらい前で、そのときはもう友近さんはスーパースター。とにかく売れるのが早くて、ケンコバ(ケンドーコバヤシ)さん、バッファロー吾郎さん、笑い飯さんとかの1個上の世代の人たちとやってた人っていう感覚ですもん。
──ダウンタウンに憧れてたなら、最初はコンビだった?
小田 はい。2009年まではコンビで『M-1(グランプリ)』を目指してたんです。でもNSCのときは基本ピンでしたね。組んではすぐ解散して。
──松本さんが好きということは、ボケだった。
小田 いや、ネタは書いてましたけど、ツッコミばっかりやってました。ダウンタウンみたいな漫才をやろうとすると、ボケよりもツッコミに対して「その言い方じゃないねん」って思ってしまうんですよ。だから最初は僕がボケをやってても、結局ツッコミをやるようになる。逆に相方にボケてもらっても、そんなに気にならない。もちろん僕がツッコミになったところでダウンタウンさんにはほど遠いですけど。

──芸人としての初舞台はいつですか?
小田 卒業公演ですね。結局、ひとりで出ました。それが初めての人前。僕らが芸歴1年目の2001年にM-1が始まるんで、当時は賞レースもなかったから。
──初舞台の感触は覚えていますか。
小田 もうね、緊張とかいう次元じゃなかったと思います。baseよしもとっていう劇場で、僕らがその後オーディションを受けるようになる場所ですけど、そのとき初めて舞台に立ったんです。すべてが初めてすぎました。舞台はもちろん、音が流れてる感じも、照明の強さも、機材を見るのも、袖から舞台を眺めるのも、舞台にのぼる階段も、全部初めて。緊張を超えてました。
──鮮明に覚えているんですね。
小田 はい。自分の出番の前の人がネタをやってる。で、次で僕が待っている。1分後には僕があそこに立っているのが、どうにも信じられなかった。現実感がないというか……。ホンマに怖すぎました。声が出るかどうかもわからん。ウケるウケへんの話じゃない。練習どおりにできる自信もなかったです。
袖にいた、あの芸人の顔が忘れられない

──この「First Stage」に登場した芸人で、小田さんが最も芸歴が長いんです。今の若手は養成所のときから賞レースに出ているし、学生お笑いスタートの人も多い。なので、初めて人前でネタをやった緊張感はあっても、ステージそのものへの緊張を語る人は記憶にないです。
小田 なるほどなぁ。たしかにそうかもしれないですね。僕の芸歴1年目にM-1が始まったので、その後の世代とは舞台に対する感覚もちょっとちゃうんですかね。
──実際に舞台に上がって、どうでしたか。
小田 たぶん、ウケました。まぁそれも部活紹介のときと同じで、今思うと大したことなかったんでしょうけど。ショートコントを3つくらいやったと思います。落ちこぼれなんで、出番は1分しかない。友近さんとか優秀な方は3分間ですよ。
今思うと、まず声が出た。支離滅裂じゃなく、ちゃんと日本語をしゃべれた。そしてフリができて、ボケれた。それでクスッとでも笑いがあった。それでじゅうぶんやった。「よかった〜」って大満足で帰りましたね。最悪を想定してたんで。

──その日の打ち上げは気持ちいいでしょうね。
小田 いや、そんなんはなかったすね。未成年もおったし、まだ僕はお酒も飲んでなかったんじゃないか。だからモンスターエンジンの西森にお礼だけ言って帰りましたね。
──なぜ西森さんにお礼を?
小田 西森にネタを手伝ってもらってたんですよ。コントのオチで、袖からふわっと金ダライを投げてもらって、それが僕の頭に当たって倒れて終わり、みたいなネタやって。
でね、西森のほうが緊張してたんすよ。僕が最後のセリフを言う前に「今からやで」ってチラッと袖を見たときの、西森の顔(笑)。引きつってガチガチに構えてましたから。あのときの西森の顔は未だに忘れられないです。そのときは僕も「なんでお前が緊張してんの?」と思いましたけど、あとで気持ちがわかりました。自分のネタで失敗するよりも、人のネタに迷惑かけるほうが怖いんですよ。
──でも、今の西森さんからは考えられないエピソードですね。
小田 そうでしょ。もうホンマに素人時代の話です。その卒業公演から半年後に西森と組むことになるんです。
「俺じゃなくてええんちゃう?」

──西森さんと組むまでの半年間は、ピンとして芸歴1年目を過ごした。
小田 そうです。baseよしもとのオーディションを受けて、全然引っかからない。ネタがどうこうっていうレベルでもないですよ。緊張して出てきて、か細い声。そんなん笑うヤツいないでしょ。本当に力不足。
──なぜ西森さんと組むんですか。
小田 この話になると毎回なんですけど、お互いに「お前から誘ってきたよな」って言うんですよ。ホンマどっちでもいいんですけど、お互いにそう思ってるから、いつも食い違う。

──私は小田さんにインタビューしているので、全面的に信じます。
小田 ホンマにそうしてください(笑)。そもそもNSCの卒業旅行に、仲間内6〜7人で行くっていうのがあって。僕は松本さんに憧れてトガッてたんで「そんなもん行ってられへん」って断ったんです。今思ったら行ったらよかったのに(苦笑)。
で、その旅行から帰ってきた西森から電話があったんですよ。「相方と解散することになったわ」みたいな。旅行中なんか帰ってきてからなんかわからないですけど、なんかあったらしくて。でもその話が終わったあとも、30分くらい全然切らない。
ほんで僕も「あれ? コイツまさか『組もう』って言おうとしてる?」って気づいて、しょうがなく「じゃあ俺とやるかぁ」って言ってあげたんです。西森も「まぁ、ええでぇ」みたいな。めっちゃ腹立つ(笑)。
──その瞬間まで、西森さんと組むとは……。
小田 まったく思ってなかったです。ただ、西森はめちゃくちゃおもしろかったですけどね。ボケの人間としてセンスがあって、同世代の中でも光るもんがあった。僕がツッコミ芸をやることが決定したのも、西森と組んだからかもしんないですね。ボケとしてはどうあがいても勝てへんと思ったから。そのときに松本さんになるのをあきらめたんやろな。
──西森さんとのコンビはいかがでしたか?
小田 オーディションには一度も受かりませんでしたね。ただ、インディーズと呼ばれる地下ライブでは評価は高かったと思います。まぁそれも西森が、ですけど。

──西森さんとのコンビ・蛇腹は1年半で解散したそうですね。それはなぜ?
小田 なぜ、やろな……。最初は僕も西森もネタを書いてたんですよ。で、僕が書いたネタはね、手抜きよるんすよ(笑)。本人は「そんなわけないやん」って今でも否定するんですけど、どう見ても気合い入ってない。ふぬけた感じでやってたんです。それで次第に西森が書くネタだけやるようになって、それが1年ぐらい続いて「あれ? もうこれ俺じゃなくてええんちゃう?」って思ったんですよ。
──ネタは書かず、ツッコミに専念するのは違った?
小田 はい。僕は、お笑いで自分の力がどれほど通用するか試しに来てたんで。ネタに「僕の」という要素がないとダメでした。
──まっすぐな思いですね。
小田 もちろんお金持ちになりたいとか、モテたいっていう気持ちもありましたよ。西森をお笑いの才能で疑ったことはないですし、一緒にやってたら売れるやろうなとも思いました。けど、自分がお笑いの世界でどのへんまでいけるんやろうって知りたかったんです。だからもうあっさり。解散は自然の流れでしたね。だから今も西森とは仲いいですし。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

おいでやす小田
1978年7月25日、京都府出身。2000年、NSC大阪校に23期生として入学。2008年からピン芸人として現名義で活動。『R-1ぐらんぷり』は2016年の初決勝進出から5年連続でファイナリストとなる。2020年、同じくピン芸人のこがけんとともに組んだ「おいでやすこが」でユニットコンビとして初めて『M-1グランプリ』ファイナリストとなり、準優勝。準優勝。YouTubeチャンネル『おいでやす小田 どストレートチャンネル』の企画「『芸人の幸せ』ってなんですか?」は、『幸せってなんですか? おいでやす小田と14人の芸人が本気で考えてみた』として書籍化もされた。同チャンネルは最近、2023年に始めた趣味のゴルフ動画中心になっている。
【前編アザーカット】



