『キングオブコント』決勝に突如現れた元祖いちごちゃんのきっかけは、即席で組んだトリオ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#42

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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『キングオブコント2025』決勝。スーパーの店員と客という、取るに足らない設定を逆手に取り、ブリーチの試飲を勧めるという狂気的なネタを披露したのが、元祖いちごちゃんだ。

植村侑史と、ハイパーペロちゃんの出会いは2008年のこと。あれから17年の歳月が流れ、アラフォーになったふたりは、地下ライブシーンで発酵しきった強烈なネタを武器に、コントのメインシーンに殴り込んだ。

コアなお笑いファン以外には、まだベールに包まれた元祖いちごちゃん。彼らにお笑いの道に迷い込むまでの軌跡を聞いた。

NSCってなんだ?

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左から:植村侑史、ハイパーペロちゃん

──お笑いに興味を持ったのはいつごろですか?

植村 ペロちゃんはかなり強烈な人生なので、僕から話しますね。僕は北海道の新ひだか町出身で、子供のころはテレビもあまり映らないような場所だったんですよ。ただ、『めちゃイケ』(めちゃ×2イケてるッ!)は観ることができて、それが唯一の娯楽だったんですよね。きらびやかな世界で人を笑わせる職業は素敵だなと思ったのが最初です。

──芸人になりたいと思ったのは?

植村 小学3年生のときから「俺はお笑いをやる、コメディアンになる!」って言ってましたね。で、高校2年生のときにNSCの存在を知るんですよ。

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──何がきっかけだったんですか。

植村 高校の国語の先生が突然『M-1甲子園』のビラを持ってきて、「植村くん出てみれば?」って言ってくれたんです。先生は僕が芸人になりたいっていうのを知っていたんで。

──じゃあそれが初舞台ですか?

植村 いや、でもそれは出なかったんです。開催場所は家から電車で6時間くらいかかるし、片道5000円もかかる。それにコンビを組む相手もいないですから。でもそのビラに小さく「優勝するとNSCの授業料免除になります」って書いてあって、「このNSCってなんだ?」って親にパソコンで調べてもらったんです。そこで「お笑いの学校があるんだよ」って教えてもらった。そこから卒業したら札幌のNSCに行こうって決めてたんですけど、親が「どうせお笑いやるなら東京行っちゃえば?」って。

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──親が芸人への道に背中を押してくれるって珍しいですね。

植村 それは感謝してますね。まわりの大人も漁師や農家ばっかりで、うちは洋服屋でしたけど、地元から出ない人ばかりだから。まわりの大人たちがみんな、そこで生まれてそこで死んでいくなかで「どうせ家から出るなら、人に甘えないで、東京に出なさい」って言ってくれたのは今にしてみればありがたかったです。自分はいきなり道内から出るのは怖かったですけど、外の世界見てみたいなと思ってたんで。

それで18歳のとき、5万円だけ握りしめて上京してNSCに入りました。

ハイパーペロちゃん、衝撃の初ネタ見せ

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──NSCはどうでしたか?

植村 そこで初めてネタをやらなきゃいけないと知って、びっくりしました。NSCを卒業したらすぐにテレビでバラエティ番組に出ると思ってたんで。『M-1(グランプリ)』の存在とかはもちろん知ってましたけど、マストでネタをやらなきゃいけないとは思ってなかった。

運よくネタをやらずにテレビに行ける人もいるけど、それはひと握り。みんな、ネタを作って舞台に立っての繰り返しで下積みするっていうプロセスを、全然知らなかったんですよね。だから最初のネタの授業で、いきなり「この中でネタできるヤツいるか?」って言われたときは、あたふたしました。でもそれは僕だけじゃなくて、誰も手を挙げなくて牽制し合ってたんですよ。そこで最初に挙手したのが、ペロちゃんなんです。

ペロちゃん はいはい。僕はあのときが一番トガってたんで。最初におもしろいことをやれば、NSCでいろんな人からコンビに誘ってもらえるって聞いてたからやったんですけど。

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植村 すごい勢いでスベってたね(笑)。それでペロちゃんはNSCから疎外されるんです。ひどいネタだった。

──ペロちゃんは何をしてしまったんですか。

植村 本当によくわかんないネタで、キャッチボールの相手がいないから、ひとり壁に向かってボールを投げて、返ってきたボールが自分に当たるっていうのを繰り返してて。当たるたびに「あっ……!」「あっ……!」って言うだけ。この説明だけですでにおもしろくないのに、これを彼、5分間も続けたんですよ(笑)。

──根性据わってますね。

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ペロちゃん 僕の体感では1分くらいだったから。一応途中で「ありがとうございました!」って言ったんですけど、まだ短い気がしたから再開した。

植村 こっちは終わってくれよ!って思ってたんですけど、ペロちゃんはそれを3回繰り返しましたから(笑)。

──ペロちゃんは人前で何か発表するのはそれが初めて?

ペロちゃん はい。一発かましてやろうと思ったけど、みんなから無視されて予想外でした。

植村 でもペロちゃんが偉かったのは、彼のネタを見てみんな自信つけて、次々と手を挙げ出したところですよ。

ペロちゃん 「コイツよりはできるわ」って勇気を与えて。

植村 そいつらもひどいんですよ。トランプばらまくだけとか、できないのにバク転やろうするとか、ただ自己紹介するとか。でもそっちのほうがウケてたなぁ。

唯一の娯楽が『バカ殿』だったワケ

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──ペロちゃんは、お笑いに興味を持ったのはいつごろでしたか?

ペロちゃん 子供のころ、唯一観てたバラエティが『バカ殿』(志村けんのバカ殿様)で、それでお笑いが好きになりました。

──植村さんと同じように地方に住んでいたからですか。

ペロちゃん いや、生まれは六本木なんですけど、まわりが社長とか馬主の息子のなか、僕だけ貧乏で、父親が働いていた弁当屋の社宅に暮らしてたんです。兄弟3人、5人家族で1DKに住んでて、1台だけあったテレビのチャンネル権は親父が持ってたんですよ。それで演歌番組、野球、相撲、競馬とかばっかり観てるなかで、唯一観るのが『バカ殿』。

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──なぜお父さんは『バカ殿』が好きだったんですか?

ペロちゃん エロいやつがあったからですね。

──お父さん、なかなか強烈ですね。

ペロちゃん そうですね。けっこう酒乱で、酔っ払って帰ってくると僕にジャイアントスイングをする癖があって。机の角に、僕の頭が当たっちゃって、救急車で運ばれたこともありますね。

植村 その話、使えんのか……?(苦笑)

ペロちゃん あと、親父のお気に入りの遊びが、僕ら兄弟にでんぐり返しさせることで。兄弟を列に並ばせて、でんぐり返しさせてました。Re_251111_C00029

植村 なんだよ、その遊び(笑)。

ペロちゃん でも、親父はたぶん遊んであげてるだけだったんですよ。ジャイアントスイングもでんぐり返しも、僕らと遊んであげてるつもり。ただ、酔っ払ってるから手を離しちゃうだけで。本当悪い人じゃないんですけど、競馬も大好きで、子供たちの運動会に来ても、うちらのレースを見ずに馬のレースを見てました。僕が10歳のときに、六本木の社宅から立ち退きにあって、川崎に引っ越したんですけど、それも親父が競馬場の近くに住みたいって言ったからで。

──お金持ちに囲まれて肩身の狭い思いをしていた六本木から引っ越して、子供としても解放感があったのでは?

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ペロちゃん 六本木のときはお金持ちもいるけど、外国の大使館も多いから外国人の子も多かったんですよ。僕は子供のころから滑舌が悪いんですけど、それもあんまり気にされなくて。お金のことだって、小さいうちはあまり関係なくて平和だったんですよね。でも川崎に引っ越したら、滑舌の悪さとか六本木から来たのがいけ好かないとかで、イジメられたんです。「麻布小学校だったよ」って言ったら、滑舌の悪さから「アダブ」ってあだ名つけられるし。もともと明るい性格ではなかったけど、もっともっと暗くなりました。

植村 昔の話聞くと、本当に壮絶なんですよ。

ペロちゃん 中学のときは殴られたり、髪の毛を抜かれたりして、あるとき川を見て死のうと思って自転車で河川敷から飛び込んだんです。でも浅瀬だったから向こう岸まで着いちゃって。それであんま死ぬのよくないなと思って、生きることにしました。

父親との再会

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植村 それにしても強烈な親父さんだったよね。

──植村さんも会ったことあるんですか。

植村 ええ、何度か。最初にお会いしたのは一家離散の日だったんですけど(笑)。

ペロちゃん 僕が芸人になってすぐだから22歳のころかな。2010年とか。

植村 もう15年前か。夜逃げじゃなくて昼逃げで、親父さんの借金でクビが回らなくなっちゃって両親が離婚して、一家が散るから片づけるってことで、仲のいい芸人さんも数人連れて行きました。僕らが行ったら、もう親父さんはウイスキーのボトルを持ってて、瓶の中に入ったコルクをずっと指で取ろうとしてたね(笑)。

ペロちゃん 「お前らも飲むか?」とか言って、片づけは一切手伝わなかった。

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植村 見た目はまんまペロちゃんなんですけど、ペロちゃんより恐かったですね(笑)。

ペロちゃん それからしばらくどこに住んでるかも知らなくて。でもあるとき実は兄貴から連絡が来て「親父、うちに居候してたけど、末期がんになったよ」って。それで10年ぶりに会うために入院先に行くときに、一緒に来てくれたんだよね。

植村 心細いかなと思って「じゃあ俺も行くよ」って言いましたね。

ペロちゃん 親父の名前がある相部屋に入って、一つひとつベッドを見てもいないんですよ。それで病室を出ようとしたら「こっちだよ」って声をかけられて。

植村 親父さんが痩せてたから気づかなかったんだよね。

ペロちゃん そう。で、僕は芸人で仕事もあんまなくて兄貴と弟より動きやすかったから、親父のところによく会いに行ってましたね。

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──植村さんがそこでついていくところに、コンビ仲のよさを感じます。

植村 たしかに仲はいいっすね。めちゃくちゃケンカもしますけど。

ペロちゃん でもお母さんは俺のこと、なんか言ってるんでしょ?

植村 僕の親はペロちゃんの写真を見たときに、「この子はあんまよくないんじゃない? あなた、この子に殺されるかもしれないから気をつけたほうがいいわよ」って言われましたね。親はあんまりペロちゃんのことが好きじゃない(笑)。

──ペロちゃんの強烈な過去に聞き入ってしまいましたが、話を戻すと、とにかく暗い性格だったというペロちゃんが、どういう経緯でNSCに入るんですか。

ペロちゃん もともと志村けんさんが好きだったのもあったし、M-1とかは見てたから、高校卒業したらお笑いやりたいなとなんとなく思ってました。でも、高校3年生のときの三者面談で「芸人になりたいです」って言ったら、先生にびっくりされました。「お前みたいなヤツがなれるはずない」って。「お前は笑わせる人じゃなくて、笑われる人だ」って言われたのがすごく悲しかった。

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──それはつらいですね。

ペロちゃん お笑いがやりたいから生き延びてきたのに、全否定されたのがムカついて、「じゃあ何やればいいんだ」って聞いたら「いったん大学に行って、社会を見たほうがいい」って言うんで、一応大学受験をすることにしたんですよ。Fランクでなんとか受かるくらいのところを目指して。そしたら、フラフラしてた3歳年上の兄貴も急に「俺も大学受験する!」って言い出して。

植村 「ペロちゃんには負けたくない!」ってなったんだろうね(笑)。

ペロちゃん そうそう。で、兄貴と一緒に夏期講習を受けて、兄貴は主席で受かったんですよ。でも僕は全部落ちた。

──なんと……。

ペロちゃん で、もともとやりたかったNSCの入学時期も過ぎてしまってて、それで1年間バイトして学費を貯めて入りました。

初舞台はトリオだった

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──ふたりは最初から同じコンビだった?

ペロちゃん いや、僕は最初、ウエムラってやつとブルーバードってコンビを組んでました。

植村 そこがややこしいんだよな(苦笑)、このウエムラは僕とは違う人なんです。で、僕は『めちゃイケ』の影響で極楽とんぼさんに憧れてて、加藤浩次さんみたいな人をずっと探してたんですよ。でも、加藤さんっぽいだけのヤツって、ただ我が強いヤツになっちゃって、全然うまくいかなくて。それで一回、ペロちゃんと組んだんですよ。

ペロちゃん 夏合宿でね。ブルーバードで相方だったほうのウエムラが来なかったから。

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植村 僕も、元の相方が事件起こしてNSCを辞めて、ひとりで合宿に参加しなきゃいけなくて、たまたま残り者同士の3人で組んだのがペロちゃんとで。でも、その合宿の最後にあったネタ大会で3位になったんですよ。

──即席コンビでそれはすごいですね。

植村 僕はそのとき初めてネタ書いたんですけど、それで味をしめて「俺って意外とネタ書けるんだ」って自信をつけましたね。なのに、合宿が終わってからペロちゃんと、もうひとりに「正式に組んでくれないか」って頼んだら、ふたりに断られて。

──えぇ!

植村 僕、最初のネタ見せでペロちゃんのことは下に見てたんで、「コイツに断られたら、もう芸人やってけないわ」って落ち込んじゃって、1カ月くらいNSCの授業も休んじゃったんですよ。で、久々に戻ったらペロちゃんのコンビが解散してて……。

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ペロちゃん それで「やっぱ組みましょうか」って言いました。

植村 さすがに、なんだよ!って感じでしたね(笑)。結局、組みましたけど。

ペロちゃん それで合宿のときのもうひとりも誘ったんですけど、そっちはダメで。

植村 でも、合宿でウケた感触が忘れられなくて、トリオにこだわってて、3年くらいはもうひとりを入れて、3人組でやってました。ツッコミの人間が3回くらい変わったのかな。結局、吉本を辞めて、フリーになって、オフィス北野に入るタイミングで、これからはふたりでやっていこうってことになりましたね。それが2014年です。

文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

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元祖いちごちゃん
植村侑史(うえむら・ゆうし、1989年12月4日、北海道出身)とハイパーペロちゃん(1988年8月4日、東京都出身)のコンビ。2014年結成。『キングオブコント2025』決勝進出。YouTubeチャンネル『元祖いちごちゃんねる』にはネタ動画や、ペロちゃんの食事風景などがアップされている。

 

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

キングオブコント決勝に出たものの…怖いものなしな元祖いちごちゃんの物語はしぶとく続いていく|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#42

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